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エル ニョスキ店主の
スペイン バルセロナでの料理修行体験記。
といっても、
料理のお話だけではありません!
時間があるときに少しずつアップさせてもらいます♪
※当ブログの無断転載はしないでくださいね!!
でもまぁ転載するほどの大作でもありませんけど(笑)
2024/11/21 (Thu)
×
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2012/12/05 (Wed)
「ルックラ」での仕事も、あっという間に一年が過ぎました。
毎日ただひたすら「忙しい!!」という状況に追われていましたが、それでも少し落ち着き始めてきたころ、一年を境にオープンメンバーが次々と辞めてしまいました。
その頃、英ちゃんも秋にはここを辞めて日本に帰ると言ってました。
しかし。
お店の空気が何か変だ。
日本人の俺でも判るくらいにお店の空気がどんよりしていました。
忙しくて繁盛している店にも関わらず、急にレストランの支配人も辞めさせられたり、とにかくお店の全体に変な雰囲気が漂っていました。
すると、シェフも店を辞めるという噂が夏頃に皆の間で広まりました。
「なんでそんな事になっちゃうの? お前、何か知ってる?」
俺はすかさずエクトールに聞いてみましたが、彼は知っているけど知らないようなそぶりを見せます。
というか、「今それは話してはいけないタブーな話」的な。
この頃レストランはさらに事業を拡大し始めていて、宴会やパーティーも受けるようになり、別に調理場も設け従業員もさらに雇うようになり、店がどんどん大きくなろうとしていた矢先でした。
翌日になって、やっとエクトールが俺に小声で言いました。
「今はまだ話せないんだけど、近いうちにゆっくり話すからさ」
「え、何の話だよ?」
「まぁ、仕事の話だよ。今は言えないからまた今度、な?」
何のことだかさっぱり分からなかったが、彼の言うとおりにしました。
だけど、そう言われるとどうしても気になってしまい、「頼むから!」とお願いして、部屋でゆっくり話しを聞かせてもらうことにした。
「実はさ、秋にシェフが辞めるんだよ」
「うん、噂では聞いてたけど。でも、どうして?」
「上とモメたみたいだね。数字が出ないって」
「は?」
そんな話はまずあり得ませんでした。
毎月、レストランと宴会で億という単位の売り上げを出しているほど忙しい店で、そんなことがどうして起こるのか不思議で仕方がありません。
当時、経理を知らない俺でさえそれはおかしいと。
いや、誰でもそう思いますって。
どおりで急に数名辞めていったワケだ。
それで、数字を出せないシェフが責められるような形で店を辞めさせられる、というのだ。
だが、そこには違う話がありました。
エクトールは俺にこう続けます。
「だけどさ、もうシェフは次に行くところが決まってるんだって。そこで、うちらも引っ張って行くっていう話。俺もよく分からないんだけど、今度一緒にシェフとうちらの三人で食事に行こうって言ってるから、そのときにゆっくり話を聞こうよ。詳しい話は聞いてないんだけど、なんでも五つ星のホテルらしいよ」
「テツには説明したよ」とエクトールはシェフに話していたみたいで、調理場を通るときシェフはいつも俺に目で合図をするようになった。
シェフは小声で俺に、「そういう話だから、また今度ゆっくりな」。
一週間後、三人で夕食をしました。
シェフも一応有名人なので、あまりバルセロナ近郊での食事をするのは見られたくないらしく、ジローナの山奥にあるミシュラン一つ星のレストラン「Can Jubany」まで行きました。
別にそんなに山奥でなくても(笑)
俺はエクトールの運転で一緒に向かい、シェフとは現地で合流。
そこで三人で食事を始める前に、ジョアンの口から新しい仕事の話を聞かされた。
「実は、ジローナに五つ星のホテルがあって、そこのシェフとして働きに行くんだけれど、そこで今まで働いてたシェフを始めキッチンスタッフが今年いっぱいで抜けるから、来年の一月からお前たちに一緒に来て欲しいんだ」
「やった! 我慢した甲斐があった!!」
一瞬、心の中で正直にそう思いました。
今までシェフと一緒に仕事をしてきたコックの中で、エクトールと俺は一番長い間一緒に仕事をしていて、ある意味彼の右腕と左腕でした。
「ルックラ」で働き始めていきなりあんなセクション分けをされて、それでもうちらは我慢してここまでやってきました。そのかいがあったな、とエクトールと目を合わせながら喜びました。
前々からエクトールとはシェフの話をしていました。
「何で彼には、右腕がつかないんだろうね?」
すごい腕を持った料理人も、彼と一緒になってある程度すると辞めてしまう。今まで彼と働いたことのある人にもいろいろと彼の噂話を聞いた。いいことばかりではなかったが、まぁ、相性の問題もあるとは思うが、俺には不思議でした。
確かに、よく酒を飲む人ではあったけど(笑)
シェフによると、そのホテルのオーナーは別にもう二つジローナにホテルを持っていて、これからいろいろな事業が進んで行くという話でした。
うちら二人とは別に、英ちゃんやエクトールと付き合いの長いジョルディ、「カル ロス」で一緒に働いていて俺にいろいろと教えてくれたダビ、それとベネズエラから料理の勉強に来ていて半年前くらいに「ルックラ」に入ってきたエンリケ、その彼女で俺のコール場での最初のアシスタントになったタティアナ。その面子を引き連れて行きたいという事でした。
シェフは更に話を続けます。
「最初はつらいと思うよ。もうオープンして十年になるホテルで、そこの仕事のシステムが完全に出来上がってる。そこに入るってことはかなり難しいことだから、覚悟だけはしておいて欲しい。そのホテルでは今までの料理とは違った、ガストロノミーな料理を提供するホテルだから、より楽しい仕事ができるかもな。今度お前たちと一緒にそのホテルに行って案内するし、支配人にも紹介するからな」
とにかく、今まで働いていた店は、「スピードだけが命、味は二の次」くらいに忙しかったので、正直コックとしては働きたくない環境ではありました。
もちろん、味もスピードを同じくらいのクオリティを求められていましたけど。
しかし実際は、ああいう仕事をしたおかげで自分で仕事のリズムも作れるようになったし、どんなに忙しくても少々なことでは忙しいと思えなくなったし、へこまなくもなりました。
それくらいあの店は「忙しかった」というよりか、「おかしかった」んです(笑)
だからジョアンの言っている「より楽しい仕事」」というのは、「いい環境で」という意味で、「楽しく仕事ができる」と言っているのだろうと感じました。
食事も済ませジョアンと別れ、帰りの車の中でエクトールと今までを振り返りながら早速今後の話を進めました。
「でも、皆すぐに辞めるわけにはいかないよなぁ。英ちゃんはもうすぐ辞めて、近くの日本料理屋に働きに行って日本に帰るお金貯めるって言ってたけど、誘ったら一緒に来るかな?」
実際、英ちゃんにその話をしてみても、彼は日本に帰るつもりでいたので乗り気ではありませんでした。
実際に働くレストランを見てみないとなんとも言えないし。それは俺も一緒でした。
先にエクトールと俺がそのホテルを見学しに行って、それからもう一度考えようということになりました。
ちなみに余談ですが、
「ルックラ」でなぜそんなに数字がきちんと出なかったかというと。
なんと、
店のオーナーが不正に店の売り上げを着服していたらしいのです。
堂々と経理の人に「それじゃうまくやっといてね」なんて言っていたらしい。
しかも、「億」という単位で。
経理のマヌエルも毎晩遅くまで残って修正しようとしていましたが、それだけの大金をそう簡単に埋められるはずがない、というか不可能です。
「業者にお金が払えない」なんて噂も出ていたから何かおかしいとは思っていましたが、「やっぱりそうだったか」という感じでした。
あ
れだけ忙しい店で皆でオープンから頑張ってきたのに、その話を聞いた途端一気にやる気が失せてしまったんです。
夏も過ぎ、秋になる頃にジョアンが店を辞めました。ジ
ョアンの後釜に、うちらと一緒にコックとして始めたうちの一人、マルクがその店のシェフとして皆を引っ張る事になりました。
それまでに俺は店のセクションを一通り任せてもらい、エクトールは宴会の調理場を仕切っていたが、マルクが調理場を引っ張るようになり始めてから、少しずつ不調和音が調理場に響き始めました。
しかも、マルクとエクトールは次第にどんどん仲が悪くなっていき、皆の前で大喧嘩を始めたりと、なんとも気まずい空気。
「俺もそろそろ店、辞めようかなぁ」
10月になって、店の空気がさらに悪くなった。9月から新しく支配人が入ってきたが、英ちゃんと俺の二人を利用して、店内に日本料理ブースを設けてそこでうちらを日本料理を作らせるために働かせようとしていたりと話が違う方向に進んできたので、これはもう辞めるしかないと俺の中で話はまとまっていた。
実際に料理の勉強に来ているのに、それじゃ意味が無くなってしまう。それとは別に、マルクも俺がエクトールと仲が良いため俺との距離を置き始めてきました。しかも、オープンメンバーはうちら3人だけになってしまったのに、彼の下に他の人を2番手に付けたので、そりゃさすがに俺も気分悪くなっちゃいますよね。
さらに彼は新しい支配人へのゴマすりで毎日忙しそうにしています。
俺はもともと、ゴマすりや人のご機嫌を伺うようなことは嫌いなので、次第に俺は調理場の輪から外れるようになっていきました。
淡々と料理を作るだけです。
あーつまんない(笑)
先ほども言いましたが、調理場にはオープンから残っているコックはマルクと俺、それに宴会の調理場にいるエクトールだけでした。調理場の中を見渡しても、明らかにオープン当初と雰囲気が違います。正直、やる気の無いようなコックでいっぱいでした。
ジョアンはすでにいない。英ちゃんも辞めるしジョルディも辞めたし、エクトールも宴会の調理場にいるから、話をしたくても話せる人間が身近に一人もいない。
しかも、周りはダラダラと仕事してて、プロ意識のかけらもない。
そんな環境は俺にはとても窮屈で、これでは自分の志気も下がると思い、年末を待たずに11月で店を辞める事にしました。
日に日に志気は下がって、やる気も半減していました。
「エクトール。俺、先に辞めるわ。もう我慢できないや」
「来年まであと少しあるけど、どうするの? 俺は年末までいるぞ?」
「とりあえず部屋でなんもしないでゆっくり休んでるよ。引越しもするだろ?」
11月15日付けで「ルックラ」をやめる事になり、年明けまでの一ヶ月半、ゆっくり休む事にしました。
店を辞めたのはいいですが、まだなんとなく落ち込んでいました。
いつからか、自分の運が下がりつつあったのを実感していて、どうしても前向きになれない自分がそこにいました。
こんなにへこんだのって、本当に久しぶりでしたね。
こんなのって本来の自分の姿ではないし、こんな姿は誰にも見られたくないし、早く元に戻りたい。変わりたい。
なんとかここで気合を入れ直して、来年は新たな気持ちで新しい職場で心機一転して頑張ろう。
そう思って、色々と考えた結果、
今までもこれからも経験しそうにないであろう、
スペインで当時流行していた「ぬりえ」を腕に入れてもらいに行く事にしました。
当時、まだまだガキんちょだったからそれくらいしか思いつかなかったんですよ(笑)
★★★つづく★★★
毎日ただひたすら「忙しい!!」という状況に追われていましたが、それでも少し落ち着き始めてきたころ、一年を境にオープンメンバーが次々と辞めてしまいました。
その頃、英ちゃんも秋にはここを辞めて日本に帰ると言ってました。
しかし。
お店の空気が何か変だ。
日本人の俺でも判るくらいにお店の空気がどんよりしていました。
忙しくて繁盛している店にも関わらず、急にレストランの支配人も辞めさせられたり、とにかくお店の全体に変な雰囲気が漂っていました。
すると、シェフも店を辞めるという噂が夏頃に皆の間で広まりました。
「なんでそんな事になっちゃうの? お前、何か知ってる?」
俺はすかさずエクトールに聞いてみましたが、彼は知っているけど知らないようなそぶりを見せます。
というか、「今それは話してはいけないタブーな話」的な。
この頃レストランはさらに事業を拡大し始めていて、宴会やパーティーも受けるようになり、別に調理場も設け従業員もさらに雇うようになり、店がどんどん大きくなろうとしていた矢先でした。
翌日になって、やっとエクトールが俺に小声で言いました。
「今はまだ話せないんだけど、近いうちにゆっくり話すからさ」
「え、何の話だよ?」
「まぁ、仕事の話だよ。今は言えないからまた今度、な?」
何のことだかさっぱり分からなかったが、彼の言うとおりにしました。
だけど、そう言われるとどうしても気になってしまい、「頼むから!」とお願いして、部屋でゆっくり話しを聞かせてもらうことにした。
「実はさ、秋にシェフが辞めるんだよ」
「うん、噂では聞いてたけど。でも、どうして?」
「上とモメたみたいだね。数字が出ないって」
「は?」
そんな話はまずあり得ませんでした。
毎月、レストランと宴会で億という単位の売り上げを出しているほど忙しい店で、そんなことがどうして起こるのか不思議で仕方がありません。
当時、経理を知らない俺でさえそれはおかしいと。
いや、誰でもそう思いますって。
どおりで急に数名辞めていったワケだ。
それで、数字を出せないシェフが責められるような形で店を辞めさせられる、というのだ。
だが、そこには違う話がありました。
エクトールは俺にこう続けます。
「だけどさ、もうシェフは次に行くところが決まってるんだって。そこで、うちらも引っ張って行くっていう話。俺もよく分からないんだけど、今度一緒にシェフとうちらの三人で食事に行こうって言ってるから、そのときにゆっくり話を聞こうよ。詳しい話は聞いてないんだけど、なんでも五つ星のホテルらしいよ」
「テツには説明したよ」とエクトールはシェフに話していたみたいで、調理場を通るときシェフはいつも俺に目で合図をするようになった。
シェフは小声で俺に、「そういう話だから、また今度ゆっくりな」。
一週間後、三人で夕食をしました。
シェフも一応有名人なので、あまりバルセロナ近郊での食事をするのは見られたくないらしく、ジローナの山奥にあるミシュラン一つ星のレストラン「Can Jubany」まで行きました。
別にそんなに山奥でなくても(笑)
俺はエクトールの運転で一緒に向かい、シェフとは現地で合流。
そこで三人で食事を始める前に、ジョアンの口から新しい仕事の話を聞かされた。
「実は、ジローナに五つ星のホテルがあって、そこのシェフとして働きに行くんだけれど、そこで今まで働いてたシェフを始めキッチンスタッフが今年いっぱいで抜けるから、来年の一月からお前たちに一緒に来て欲しいんだ」
「やった! 我慢した甲斐があった!!」
一瞬、心の中で正直にそう思いました。
今までシェフと一緒に仕事をしてきたコックの中で、エクトールと俺は一番長い間一緒に仕事をしていて、ある意味彼の右腕と左腕でした。
「ルックラ」で働き始めていきなりあんなセクション分けをされて、それでもうちらは我慢してここまでやってきました。そのかいがあったな、とエクトールと目を合わせながら喜びました。
前々からエクトールとはシェフの話をしていました。
「何で彼には、右腕がつかないんだろうね?」
すごい腕を持った料理人も、彼と一緒になってある程度すると辞めてしまう。今まで彼と働いたことのある人にもいろいろと彼の噂話を聞いた。いいことばかりではなかったが、まぁ、相性の問題もあるとは思うが、俺には不思議でした。
確かに、よく酒を飲む人ではあったけど(笑)
シェフによると、そのホテルのオーナーは別にもう二つジローナにホテルを持っていて、これからいろいろな事業が進んで行くという話でした。
うちら二人とは別に、英ちゃんやエクトールと付き合いの長いジョルディ、「カル ロス」で一緒に働いていて俺にいろいろと教えてくれたダビ、それとベネズエラから料理の勉強に来ていて半年前くらいに「ルックラ」に入ってきたエンリケ、その彼女で俺のコール場での最初のアシスタントになったタティアナ。その面子を引き連れて行きたいという事でした。
シェフは更に話を続けます。
「最初はつらいと思うよ。もうオープンして十年になるホテルで、そこの仕事のシステムが完全に出来上がってる。そこに入るってことはかなり難しいことだから、覚悟だけはしておいて欲しい。そのホテルでは今までの料理とは違った、ガストロノミーな料理を提供するホテルだから、より楽しい仕事ができるかもな。今度お前たちと一緒にそのホテルに行って案内するし、支配人にも紹介するからな」
とにかく、今まで働いていた店は、「スピードだけが命、味は二の次」くらいに忙しかったので、正直コックとしては働きたくない環境ではありました。
もちろん、味もスピードを同じくらいのクオリティを求められていましたけど。
しかし実際は、ああいう仕事をしたおかげで自分で仕事のリズムも作れるようになったし、どんなに忙しくても少々なことでは忙しいと思えなくなったし、へこまなくもなりました。
それくらいあの店は「忙しかった」というよりか、「おかしかった」んです(笑)
だからジョアンの言っている「より楽しい仕事」」というのは、「いい環境で」という意味で、「楽しく仕事ができる」と言っているのだろうと感じました。
食事も済ませジョアンと別れ、帰りの車の中でエクトールと今までを振り返りながら早速今後の話を進めました。
「でも、皆すぐに辞めるわけにはいかないよなぁ。英ちゃんはもうすぐ辞めて、近くの日本料理屋に働きに行って日本に帰るお金貯めるって言ってたけど、誘ったら一緒に来るかな?」
実際、英ちゃんにその話をしてみても、彼は日本に帰るつもりでいたので乗り気ではありませんでした。
実際に働くレストランを見てみないとなんとも言えないし。それは俺も一緒でした。
先にエクトールと俺がそのホテルを見学しに行って、それからもう一度考えようということになりました。
ちなみに余談ですが、
「ルックラ」でなぜそんなに数字がきちんと出なかったかというと。
なんと、
店のオーナーが不正に店の売り上げを着服していたらしいのです。
堂々と経理の人に「それじゃうまくやっといてね」なんて言っていたらしい。
しかも、「億」という単位で。
経理のマヌエルも毎晩遅くまで残って修正しようとしていましたが、それだけの大金をそう簡単に埋められるはずがない、というか不可能です。
「業者にお金が払えない」なんて噂も出ていたから何かおかしいとは思っていましたが、「やっぱりそうだったか」という感じでした。
あ
れだけ忙しい店で皆でオープンから頑張ってきたのに、その話を聞いた途端一気にやる気が失せてしまったんです。
夏も過ぎ、秋になる頃にジョアンが店を辞めました。ジ
ョアンの後釜に、うちらと一緒にコックとして始めたうちの一人、マルクがその店のシェフとして皆を引っ張る事になりました。
それまでに俺は店のセクションを一通り任せてもらい、エクトールは宴会の調理場を仕切っていたが、マルクが調理場を引っ張るようになり始めてから、少しずつ不調和音が調理場に響き始めました。
しかも、マルクとエクトールは次第にどんどん仲が悪くなっていき、皆の前で大喧嘩を始めたりと、なんとも気まずい空気。
「俺もそろそろ店、辞めようかなぁ」
10月になって、店の空気がさらに悪くなった。9月から新しく支配人が入ってきたが、英ちゃんと俺の二人を利用して、店内に日本料理ブースを設けてそこでうちらを日本料理を作らせるために働かせようとしていたりと話が違う方向に進んできたので、これはもう辞めるしかないと俺の中で話はまとまっていた。
実際に料理の勉強に来ているのに、それじゃ意味が無くなってしまう。それとは別に、マルクも俺がエクトールと仲が良いため俺との距離を置き始めてきました。しかも、オープンメンバーはうちら3人だけになってしまったのに、彼の下に他の人を2番手に付けたので、そりゃさすがに俺も気分悪くなっちゃいますよね。
さらに彼は新しい支配人へのゴマすりで毎日忙しそうにしています。
俺はもともと、ゴマすりや人のご機嫌を伺うようなことは嫌いなので、次第に俺は調理場の輪から外れるようになっていきました。
淡々と料理を作るだけです。
あーつまんない(笑)
先ほども言いましたが、調理場にはオープンから残っているコックはマルクと俺、それに宴会の調理場にいるエクトールだけでした。調理場の中を見渡しても、明らかにオープン当初と雰囲気が違います。正直、やる気の無いようなコックでいっぱいでした。
ジョアンはすでにいない。英ちゃんも辞めるしジョルディも辞めたし、エクトールも宴会の調理場にいるから、話をしたくても話せる人間が身近に一人もいない。
しかも、周りはダラダラと仕事してて、プロ意識のかけらもない。
そんな環境は俺にはとても窮屈で、これでは自分の志気も下がると思い、年末を待たずに11月で店を辞める事にしました。
日に日に志気は下がって、やる気も半減していました。
「エクトール。俺、先に辞めるわ。もう我慢できないや」
「来年まであと少しあるけど、どうするの? 俺は年末までいるぞ?」
「とりあえず部屋でなんもしないでゆっくり休んでるよ。引越しもするだろ?」
11月15日付けで「ルックラ」をやめる事になり、年明けまでの一ヶ月半、ゆっくり休む事にしました。
店を辞めたのはいいですが、まだなんとなく落ち込んでいました。
いつからか、自分の運が下がりつつあったのを実感していて、どうしても前向きになれない自分がそこにいました。
こんなにへこんだのって、本当に久しぶりでしたね。
こんなのって本来の自分の姿ではないし、こんな姿は誰にも見られたくないし、早く元に戻りたい。変わりたい。
なんとかここで気合を入れ直して、来年は新たな気持ちで新しい職場で心機一転して頑張ろう。
そう思って、色々と考えた結果、
今までもこれからも経験しそうにないであろう、
スペインで当時流行していた「ぬりえ」を腕に入れてもらいに行く事にしました。
当時、まだまだガキんちょだったからそれくらいしか思いつかなかったんですよ(笑)
★★★つづく★★★
PR
2012/05/25 (Fri)
エクトール、英ちゃん、俺の三人でルームシェアしていたマンションの一階に、
スペインのどこにでもある「バル」が一軒ありました。
「バル」とは、正確に説明すると日本に全く同じものが存在しないのでいつも説明するときに困りますが、日本で言うと「軽食屋兼喫茶店兼居酒屋」みたいなものです。
お茶を飲むだけでもいいし、食事もできるし、お酒を飲みながらサッカーの試合中継をテレビで見てたりと、
「近所の皆の溜まり場」的な、スペイン人の生活にとても密着している場所、というかお店です。
「安い立ち飲みバー」というだけではありません。
うちら三人も、そのバルを大いに活用します。
毎朝仕事に行く前に、家の下のバルで目覚ましのコーヒーを飲んだり、ランチ営業が終わったあと、中抜けで家に帰ってから空腹を満たすのにちょっとしたサンドイッチ「ボカディージョ」を作ってもらって食べたり。
休みの日も、
のんびりとバルのおばちゃんと長々とコーヒーを飲みながら話をしていたりしていました。
そのバルのおばちゃんの名前は、ジョセフィーナ。
もう七十歳近かったかな。
金髪で背が低く、ちょっとぽっちゃりしているけど、いい意味で年寄りっぽさを感じさせないくらい気さくなおばちゃんで、うちらは彼女のことを「フィナ」とあだ名で呼んでいました。
彼女もうちらのことを、ものすごく可愛がってくれました。
そういえば、フィナも俺の名前を「テチュ」と呼ぶ一人でしたね(笑)
彼女はもう随分と長いこと、ここでバルを続けているそうです。
旦那さんは何年か前に亡くなり、娘さんは結婚して一緒に住んでいませんでしたが、息子のダビが同居していて、たまに店の手伝いをしていました。
実は彼、大の遊び好きで。
気が向いた時にしかお店を手伝わないような感じ。
日本で言う「ほぼニート」でした(笑)
それは置いといて。
当時うちらは、そのマンションの三階に住んでいました。
するとある日フィナから、
「私が所有するマンションが同じビルの一階にあるんだけど、来月からそこが空くからあなたたちが借りない?」
という話をもらいました。
同じ建物の、バルのちょうど裏手になります。
その時に住んでいた人が引っ越しをしてしまうので、そのあとに住んでくれる人を探していたようです。
聞いてみると、
家賃はなんとその時に住んでいた同じビルの五階の家賃より30,000ペセタも安い。
部屋数も同じで、三人で楽に住めるスペース。
しかも一階なので、階段を使う必要もないし、さらにそのマンションの一階部分には広い庭「テラス」が付いていたんです。
広さで言うと、テラスだけで15坪くらいありましたね。
日本じゃありえない広さ。
同居猫ベニートも走り回れるし嬉しい話です。
早速三人で話し合いましたが、もちろんその部屋に移ることに即決です。
だって、楽になって家賃も下がるし、大家さんはフィナです。
反対する理由がありません(笑)
フィナからしてみても、見ず知らずの人に部屋を貸すよりかはある程度知っている人に貸して、問題を少なくしようと考えていたのでしょう。
実際に、スペインでは知らない外国人に部屋を貸したりすると、家賃を滞納されたり部屋を汚されたり、知らないうちにその部屋に住む人がどんどん増えたりと、訳の分からない問題が多いようです。
「住む人がどんどん増えたり」ってどうなの(笑)
とにかく、うちらにとっては願ってもない話でした。
早速その部屋を皆で下見に行き、すぐに敷金と家賃を払い、下に引っ越しです。
これもあってか、
フィナとうちらは今まで以上に親子みたいに仲良くなりました。
そんなある日、
エクトールの父親が地元で主催している料理教室に俺が呼ばれました。
講習を受けにではなく、料理の講師として。
エクトールの父親、母親、妹は以前より紹介してもらっていて、何かあるたびに家族の食事に招待されたり、俺の親父がスペインに来たときに皆で食事をしたりと、ある意味家族ぐるみの付き合いをしていました。
そんなエクトールの父親から「日本料理を作って欲しい」と前々から頼まれていてついに講習会が実現するのですが、料理教室のネーミングに笑えました。
「(料理が作れない故に)役に立てない人達のための料理教室」
さすがスペイン(笑)
そこに教えに行くのだから、
メニューは当然凝ったものを作る必要が無く、簡単な物にしようと。
そこで俺が教えたのは、
・鶏の唐揚げ
・海苔巻き
・豚汁 の三品です。
生魚は使わず、海苔巻きにはアボカドと特製スパイシー味噌ダレを入れたり、向こうの人でも簡単に作れて抵抗無く食べられるようなものにしました。
実際には、全く料理のできない人達ではなく、単に料理を趣味として、近所の人たちと集まってワイワイやるのが目的の人達が多かったですね。
中には、四十代の女性や新婚ホヤホヤのお姉ちゃんもいましたが、ほとんどが四十代から五十代の男性でした。
以前にもスペインの料理学校に行って講師みたいなことを一度だけさせていただいたことがありました。
そのときはかなり緊張していてあまり覚えていませんが、
今回は気楽にわいわいと皆で料理を楽しみました。
しかもなんとその日、
エクトールの親が町のローカル新聞記者を呼んでいて、その記者さんに俺の写真を撮っていただいたのですが、次の日のローカル新聞に俺が載ったんですよ。
そのときの新聞記事を家の下のバルに持ってってフィナに見せるやいなや、
「あら、すごいじゃない!!これ、私にちょっと貸してよ!」
「うん、いいよ」
フィナはしばらくその記事を嬉しそうに眺めていました。
が、
その新聞記事の切り抜きを未だに返してもらっていません(笑)
ほとんどいつもといっていいほど、
仕事が休みの日にはフィナのバルで朝はとりあえずコーヒーを飲んでクロワッサンを食べ、また部屋に戻ったり、出かけたり。
昼にはボカディージョを作ってもらって、コカコーラを飲みながら食べ、最後にコーヒーで締める。
夜はポテトチップをつまみながらビールを飲み、フィナと一緒にいろんな話をしていました。
そりゃ太るわ(笑)
ここではランチメニューもやっていたみたいですが、俺はフィナが作るボカディージョが大のお気に入りでした。
普通のバゲットパンを横半分に切り開いて、そこにすりおろしたトマトを塗って、塩とオリーブオイルをかける。
これで、
スペイン・カタルーニャ地方の「Pan con Tomate(パンコントマテ)」の出来上がり。
そこにいろいろと具をはさんでもらいます。
特に俺は、フィナの作る「チーズ入りオムレツ」がお気に入り。
注文すると、フィナは先にコーラを出してくれてそれから作り始めるので、コーラを飲み干してしまうくらいになってからやっと出てくるボカディージョ。
そのためコーラを二本飲んだり、ポテトチップを食べながら待つときもありましたが、文句ひとつ言わずにテレビを見たりタバコを吸いながら出来上がるのをじっと待ってました。
そして待ちに待った、やっと出来上がったボカディージョ。
オムレツはふわふわで、温かくて、一口かじると中身はトロッとしているのですが、
それは卵が半熟になっているからではなく、「溶けるチーズ」が入っているからです。
というのもフィナ、長い時間オムレツを焼いているからあっという間に熱が入って卵がすぐに固まってしまうんです。
だから彼女に頼むときはいつも、
「フィナ、オムレツの卵は半熟でよろしく!」
とお願いするけど、
出来上がるといつも同じ、固いオムレツです。
たまに野菜も食べたいと思い、野菜だけでは味気無いのでツナ缶をマヨネーズで和えて、そこにトマトやレタスを載せてもらったりして作ってもらっていました。
コレも俺のお気に入りのボカディージョのひとつです。
だけどフィナ、
ボカディージョを作るときになんとそのツナ缶の油を切らないんです。
そのため、いつも出来上がってくるツナ入りのボカディージョは、一口食べると周りから油がダラダラと垂れてきます。
ツナ入りが食べたいときはさりげなく、嫌味のない感じで頼んでみます。
「フィナ、今回はツナの油はちゃんと切ってね!」
「はいはい」
そうお願いするとフィナも快く返事してくれて、裏のキッチンに入って一生懸命作ってくれます。
だけど、
毎回出てくるのはパンの下の部分がツナ缶の油でヒタヒタになりそうなくらいの、ツナと野菜(と、油)のボカディージョ(笑)
今回も一口かじると当然油が垂れます。
そう、フィナは
「油を切る」というより、「浮いている汁を流す」ことしかしていなかったんです。
そんなフィナをカウンター越しに眺めながら、
「あぁ。フィナ、またツナの油切ってないよ」と思いながらいつも一人で笑ってました。
それでもフィナの作るものが、
今までスペインで食べたボカディージョの中で一番美味しかったです。
どんなに油まみれでも(笑)
どこにでもある材料で作るボカディージョだったけど、よその店と違っていたのは、フィナの作るそれには愛情がこもっていました。
どんなにオムレツの卵が硬かろうが、
ツナの油を切ってなかろうが、
スライスした腸詰めの皮が付いたままだろうが(笑)
フィナの作ってくれたそれが、俺には一番愛情がこもっていて美味しかったんです。
高くて美味しい食材を使ってよほど変な調理をしなければ、美味しい料理を作るのは簡単なことです。
でも、安っぽい、どこにでもあるような食材を使っておいしい料理を作るには、やはりどれだけその料理に愛情を込められるかにかかってくるでしょうし、そういう料理を作るほうが、高い食材を使うよりはるかに難しいと俺は思います。
実際に、外食をする時より「大切な人」が自分のために作ってくれた食事ってものすごくその人の愛情を感じるときがありますよね。
「塩味」や「焼き加減」云々ではなく、
見ただけで愛情がこもっているかそうでないのかくらいはよく分かるし、食べればそれがもっと分かります。
「何がどういう風に愛情なの?」と聞かれても、その質問には俺は答えることはできません。
なぜなら、その料理に込められている愛情というのは、「誰が、誰に作ってあげるか」によって違いますから。
そう考えると、自分の店で愛情のこもった料理をお客さん全員に作るということは並大抵のことではありませんが、実際にそういう「心のこもった料理」をみんなに作れるコックさんはたくさんいますので、俺もそういうコックになりたいと常々思っています。
少し話はそれましたが。
うちらがそのマンションを引っ越してから、しばらくしてフィナは店を閉めました。
うちらが引っ越す前から彼女はうちらに、バルでこんなことを話してました。
「これからはゆっくり家でのんびりと生活するわ。」
それを聞いてちょっと寂しくなりましたが、
実際には体力的にもきつかったのかもしれないので、仕方ないですよね。
とにかく、
しつこいようですがフィナの料理は美味しかったです。
また彼女の作ったボカディージョ食べたいなぁ。
フィナが作ってくれたあのボカディージョの味を思い出して、俺も負けないくらいの愛情のこもった料理を作ってお客さんに喜んで欲しいですし、
俺の料理でいつかフィナを驚かせたいです。
でも、ツナ缶の油は切りませんよ(笑)
★★★つづく★★★
エクトール、英ちゃん、俺の三人でルームシェアしていたマンションの一階に、
スペインのどこにでもある「バル」が一軒ありました。
「バル」とは、正確に説明すると日本に全く同じものが存在しないのでいつも説明するときに困りますが、日本で言うと「軽食屋兼喫茶店兼居酒屋」みたいなものです。
お茶を飲むだけでもいいし、食事もできるし、お酒を飲みながらサッカーの試合中継をテレビで見てたりと、
「近所の皆の溜まり場」的な、スペイン人の生活にとても密着している場所、というかお店です。
「安い立ち飲みバー」というだけではありません。
うちら三人も、そのバルを大いに活用します。
毎朝仕事に行く前に、家の下のバルで目覚ましのコーヒーを飲んだり、ランチ営業が終わったあと、中抜けで家に帰ってから空腹を満たすのにちょっとしたサンドイッチ「ボカディージョ」を作ってもらって食べたり。
休みの日も、
のんびりとバルのおばちゃんと長々とコーヒーを飲みながら話をしていたりしていました。
そのバルのおばちゃんの名前は、ジョセフィーナ。
もう七十歳近かったかな。
金髪で背が低く、ちょっとぽっちゃりしているけど、いい意味で年寄りっぽさを感じさせないくらい気さくなおばちゃんで、うちらは彼女のことを「フィナ」とあだ名で呼んでいました。
彼女もうちらのことを、ものすごく可愛がってくれました。
そういえば、フィナも俺の名前を「テチュ」と呼ぶ一人でしたね(笑)
彼女はもう随分と長いこと、ここでバルを続けているそうです。
旦那さんは何年か前に亡くなり、娘さんは結婚して一緒に住んでいませんでしたが、息子のダビが同居していて、たまに店の手伝いをしていました。
実は彼、大の遊び好きで。
気が向いた時にしかお店を手伝わないような感じ。
日本で言う「ほぼニート」でした(笑)
それは置いといて。
当時うちらは、そのマンションの三階に住んでいました。
するとある日フィナから、
「私が所有するマンションが同じビルの一階にあるんだけど、来月からそこが空くからあなたたちが借りない?」
という話をもらいました。
同じ建物の、バルのちょうど裏手になります。
その時に住んでいた人が引っ越しをしてしまうので、そのあとに住んでくれる人を探していたようです。
聞いてみると、
家賃はなんとその時に住んでいた同じビルの五階の家賃より30,000ペセタも安い。
部屋数も同じで、三人で楽に住めるスペース。
しかも一階なので、階段を使う必要もないし、さらにそのマンションの一階部分には広い庭「テラス」が付いていたんです。
広さで言うと、テラスだけで15坪くらいありましたね。
日本じゃありえない広さ。
同居猫ベニートも走り回れるし嬉しい話です。
早速三人で話し合いましたが、もちろんその部屋に移ることに即決です。
だって、楽になって家賃も下がるし、大家さんはフィナです。
反対する理由がありません(笑)
フィナからしてみても、見ず知らずの人に部屋を貸すよりかはある程度知っている人に貸して、問題を少なくしようと考えていたのでしょう。
実際に、スペインでは知らない外国人に部屋を貸したりすると、家賃を滞納されたり部屋を汚されたり、知らないうちにその部屋に住む人がどんどん増えたりと、訳の分からない問題が多いようです。
「住む人がどんどん増えたり」ってどうなの(笑)
とにかく、うちらにとっては願ってもない話でした。
早速その部屋を皆で下見に行き、すぐに敷金と家賃を払い、下に引っ越しです。
これもあってか、
フィナとうちらは今まで以上に親子みたいに仲良くなりました。
そんなある日、
エクトールの父親が地元で主催している料理教室に俺が呼ばれました。
講習を受けにではなく、料理の講師として。
エクトールの父親、母親、妹は以前より紹介してもらっていて、何かあるたびに家族の食事に招待されたり、俺の親父がスペインに来たときに皆で食事をしたりと、ある意味家族ぐるみの付き合いをしていました。
そんなエクトールの父親から「日本料理を作って欲しい」と前々から頼まれていてついに講習会が実現するのですが、料理教室のネーミングに笑えました。
「(料理が作れない故に)役に立てない人達のための料理教室」
さすがスペイン(笑)
そこに教えに行くのだから、
メニューは当然凝ったものを作る必要が無く、簡単な物にしようと。
そこで俺が教えたのは、
・鶏の唐揚げ
・海苔巻き
・豚汁 の三品です。
生魚は使わず、海苔巻きにはアボカドと特製スパイシー味噌ダレを入れたり、向こうの人でも簡単に作れて抵抗無く食べられるようなものにしました。
実際には、全く料理のできない人達ではなく、単に料理を趣味として、近所の人たちと集まってワイワイやるのが目的の人達が多かったですね。
中には、四十代の女性や新婚ホヤホヤのお姉ちゃんもいましたが、ほとんどが四十代から五十代の男性でした。
以前にもスペインの料理学校に行って講師みたいなことを一度だけさせていただいたことがありました。
そのときはかなり緊張していてあまり覚えていませんが、
今回は気楽にわいわいと皆で料理を楽しみました。
しかもなんとその日、
エクトールの親が町のローカル新聞記者を呼んでいて、その記者さんに俺の写真を撮っていただいたのですが、次の日のローカル新聞に俺が載ったんですよ。
そのときの新聞記事を家の下のバルに持ってってフィナに見せるやいなや、
「あら、すごいじゃない!!これ、私にちょっと貸してよ!」
「うん、いいよ」
フィナはしばらくその記事を嬉しそうに眺めていました。
が、
その新聞記事の切り抜きを未だに返してもらっていません(笑)
ほとんどいつもといっていいほど、
仕事が休みの日にはフィナのバルで朝はとりあえずコーヒーを飲んでクロワッサンを食べ、また部屋に戻ったり、出かけたり。
昼にはボカディージョを作ってもらって、コカコーラを飲みながら食べ、最後にコーヒーで締める。
夜はポテトチップをつまみながらビールを飲み、フィナと一緒にいろんな話をしていました。
そりゃ太るわ(笑)
ここではランチメニューもやっていたみたいですが、俺はフィナが作るボカディージョが大のお気に入りでした。
普通のバゲットパンを横半分に切り開いて、そこにすりおろしたトマトを塗って、塩とオリーブオイルをかける。
これで、
スペイン・カタルーニャ地方の「Pan con Tomate(パンコントマテ)」の出来上がり。
そこにいろいろと具をはさんでもらいます。
特に俺は、フィナの作る「チーズ入りオムレツ」がお気に入り。
注文すると、フィナは先にコーラを出してくれてそれから作り始めるので、コーラを飲み干してしまうくらいになってからやっと出てくるボカディージョ。
そのためコーラを二本飲んだり、ポテトチップを食べながら待つときもありましたが、文句ひとつ言わずにテレビを見たりタバコを吸いながら出来上がるのをじっと待ってました。
そして待ちに待った、やっと出来上がったボカディージョ。
オムレツはふわふわで、温かくて、一口かじると中身はトロッとしているのですが、
それは卵が半熟になっているからではなく、「溶けるチーズ」が入っているからです。
というのもフィナ、長い時間オムレツを焼いているからあっという間に熱が入って卵がすぐに固まってしまうんです。
だから彼女に頼むときはいつも、
「フィナ、オムレツの卵は半熟でよろしく!」
とお願いするけど、
出来上がるといつも同じ、固いオムレツです。
たまに野菜も食べたいと思い、野菜だけでは味気無いのでツナ缶をマヨネーズで和えて、そこにトマトやレタスを載せてもらったりして作ってもらっていました。
コレも俺のお気に入りのボカディージョのひとつです。
だけどフィナ、
ボカディージョを作るときになんとそのツナ缶の油を切らないんです。
そのため、いつも出来上がってくるツナ入りのボカディージョは、一口食べると周りから油がダラダラと垂れてきます。
ツナ入りが食べたいときはさりげなく、嫌味のない感じで頼んでみます。
「フィナ、今回はツナの油はちゃんと切ってね!」
「はいはい」
そうお願いするとフィナも快く返事してくれて、裏のキッチンに入って一生懸命作ってくれます。
だけど、
毎回出てくるのはパンの下の部分がツナ缶の油でヒタヒタになりそうなくらいの、ツナと野菜(と、油)のボカディージョ(笑)
今回も一口かじると当然油が垂れます。
そう、フィナは
「油を切る」というより、「浮いている汁を流す」ことしかしていなかったんです。
そんなフィナをカウンター越しに眺めながら、
「あぁ。フィナ、またツナの油切ってないよ」と思いながらいつも一人で笑ってました。
それでもフィナの作るものが、
今までスペインで食べたボカディージョの中で一番美味しかったです。
どんなに油まみれでも(笑)
どこにでもある材料で作るボカディージョだったけど、よその店と違っていたのは、フィナの作るそれには愛情がこもっていました。
どんなにオムレツの卵が硬かろうが、
ツナの油を切ってなかろうが、
スライスした腸詰めの皮が付いたままだろうが(笑)
フィナの作ってくれたそれが、俺には一番愛情がこもっていて美味しかったんです。
高くて美味しい食材を使ってよほど変な調理をしなければ、美味しい料理を作るのは簡単なことです。
でも、安っぽい、どこにでもあるような食材を使っておいしい料理を作るには、やはりどれだけその料理に愛情を込められるかにかかってくるでしょうし、そういう料理を作るほうが、高い食材を使うよりはるかに難しいと俺は思います。
実際に、外食をする時より「大切な人」が自分のために作ってくれた食事ってものすごくその人の愛情を感じるときがありますよね。
「塩味」や「焼き加減」云々ではなく、
見ただけで愛情がこもっているかそうでないのかくらいはよく分かるし、食べればそれがもっと分かります。
「何がどういう風に愛情なの?」と聞かれても、その質問には俺は答えることはできません。
なぜなら、その料理に込められている愛情というのは、「誰が、誰に作ってあげるか」によって違いますから。
そう考えると、自分の店で愛情のこもった料理をお客さん全員に作るということは並大抵のことではありませんが、実際にそういう「心のこもった料理」をみんなに作れるコックさんはたくさんいますので、俺もそういうコックになりたいと常々思っています。
少し話はそれましたが。
うちらがそのマンションを引っ越してから、しばらくしてフィナは店を閉めました。
うちらが引っ越す前から彼女はうちらに、バルでこんなことを話してました。
「これからはゆっくり家でのんびりと生活するわ。」
それを聞いてちょっと寂しくなりましたが、
実際には体力的にもきつかったのかもしれないので、仕方ないですよね。
とにかく、
しつこいようですがフィナの料理は美味しかったです。
また彼女の作ったボカディージョ食べたいなぁ。
フィナが作ってくれたあのボカディージョの味を思い出して、俺も負けないくらいの愛情のこもった料理を作ってお客さんに喜んで欲しいですし、
俺の料理でいつかフィナを驚かせたいです。
でも、ツナ缶の油は切りませんよ(笑)
★★★つづく★★★
2012/02/19 (Sun)
スペインで仕事を始めてから、初めて「Vacaciones(バカシオネス)」をもらえることになりました。
「バケーション」。
「長期休暇」です。
しかも
一年に一度、もれなく一ヶ月もの休みが有給でもらえるのです。
ここはなんて素晴らしい国なんだ!!(笑)
一度日本に戻ってからもうかれこれ三年近く経とうとしていたので、休みがもらえる一ヶ月の半分の二週間くらいは日本に帰ってゆっくりしようと早速計画を立てました。
親父に電話をしてその事を伝えると、そのついでに親父がスペインに来て旅行がしたいと言い始めたので、先に俺が日本に帰って、スペインに戻るときに親父を連れて観光をしよう、ということになりました。
しかし。
久しぶりに日本に帰って一番困ったのが「時差ボケ」でした。
なんだかんだとずっとバタバタとしていた毎日を送っていましたし、なんだかんだと毎日気を張っていたのもありましたし、帰国して家に帰るなり安心しきって爆睡でした。
とにかく、
どれくらい時間が経ったかもわからないくらい寝てました。
多分、24時間くらい寝たままの状態でしたね。
そんな俺を見て親父も痺れを切らしてしまったのか、
「お前、いい加減に起きろ!」と少々怒鳴られ気味に言われましたが、時間がずれているのでこればかりはどうにもなりません。
日本とスペインの時差は、冬場で八時間、夏場で七時間。
日本とスペインでは昼と夜がちょっとずれます。
日本からスペインに行く場合は「太陽を追いかけて行く」ので一晩寝れば大抵治りますが、太陽の方向と逆に行くと、それが急にずれるみたいです。
しかし。
頭では分かっているけど、体が分かってくれません。
日本に居る間は、昼間に眠くて夜に目が覚めてしまう日が続きました。
でも、そうも言ってられないので無理矢理にでも時差ボケを直し、落ち着いてからジャンボさんに電話をしたり、友達に会ったりしているうちに、あっという間に二週間が経ってしまいました。
結局全然休めませんでしたね(笑)
そして、二週間が経ち、親父を連れていざ、スペインへ。
今回、親父にとっては初めての海外旅行でした。それまでは親父に手紙を書いたり電話で話したりしていましたが、親父にとっては全く想像もつかない世界です。
それに、今まで俺がどんなところに住んで、どんな仕事をしているのかなんて、横浜のホテルにいたとき以外に見たこともありませんでしたからね。
とにかく親父にとっては初めての海外旅行なので、空港内でも飛行機の中でも親父は周りをキョロキョロと見回したり、落ち着かない様子でした。
やがて飛行機は離陸します。
初めて見る外国の空。
シベリアの大地やヨーロッパの田園風景。
親父はまるで子供のようでした。
俺が初めてそれを見た日と光景がダブって見えました。
「子は親に似る」って本当です(笑)
そして、約14時間の空の旅も終わり、
バルセロナの空港に着いてから、そのままタクシーに乗って家まで行きました。
空港から家まで約二十分の距離です。
家で少しゆっくりして、仕事から帰って来たエクトールと英ちゃんを紹介して、その夜はすぐに眠りました。
翌日からバルセロナ観光をして名所へ案内したり、「ルックラ」に連れて行き食事をして調理場に案内して仲間を紹介したり、ケイゴさんのお店にも連れて行きました。
俺がロサさんと話をしている間、ケイゴさんが何か親父と話をしていましたが、気にせずにロサさんと話し続けていました。
そして夕方になり、
ケイゴさんのお店を出て駅まで送ってもらい帰りの電車を待っている時。
駅のホームで親父が急に涙を流して泣き始めました。
「どうしたの?何泣いてんの?」
親父は黙ったままうなずいていた。
しばらくしてから親父は俺に、
「お前の人生だから、ここで好きなようにやってこい」と。
俺がスペインに来て四年目にして初めて、俺の海外生活に納得してくれたことをこの耳で聞きました。
半ば喧嘩腰で強引にスペイン行きを決めましたからね。
初めて見る海外で、自分の息子がこういうところに誰と住んでこういう仕事をしていると初めて知ったときに、感極まって泣いてしまったと言っていました。
どうやらケイゴさんが、親父に余計な事を言ったらしいんですよ。
「鉄也は成長しましたよ」みたいなことを言ったと、後でケイゴさんから聞きました。
なにもそんな余計なことを(笑)
「成長」と呼ばれるほど、当時はまだまだ「成長」なんて言葉とは程遠いところにいましたし、自分で感じていたことは「日本に居た時から比べたら少し変わったかな?」くらいでしたから。
別に俺は、親や周りに感心されようと思って海外で生活していたわけでもないし、すべては「自分の将来のため」にと思っていました。
「いつかは自分の店を開いてそれを繁盛させて、親孝行したいなぁ」くらいです。
そのためには、自分の好きな仕事を見つけて、一生楽しく働きながら過ごしていたい。
とにかく「後悔するばかりの人生」だけは送りたくないですし、
人生の最期を迎えるときに「あぁ・・・あれもしたかった。これもしたかった。あそこにも行きたかった~!!」なんて考えたくはありません。
それよりも「俺の人生楽しかったな!ここまで来れてまずまずの人生だった!80%くらい、いや、それ以上!本当に楽しい人生だった!!」
と思いながら最期を迎えられたらいいなと思っているし、そうなれるようには毎日ひたすら努力するだけです。
だけど正直、親父の泣き面は見たくなかったですよね。
小さいころから厳しく育てられ、事ある毎によく殴られました。
でも今、そのことを恨んではいませんし、逆にそういうしつけをしてもらって感謝しています。
白は白、黒は黒。
明らかに「うちはよその家庭とは違う育てられ方をしている」と小さいながらにも感じていました。
とにかくすごかったんだって(笑)
最近の日本では、様々な事件が起きています。
例えば「親と喧嘩して、カッとなって親を殺した」というのを良くニュースで見ますが、俺にはどうしてか分かりません。
確かに俺だって、親に対して反抗心を抱いたことはいくらでもあります。
「いつか殴ってやろう」
そう思ったこともありましたよ(笑)
ですが、やはり育ててもらった親父に感謝しているので殴るわけにはいかなかったし、そう簡単に殴れるものでもありません。
子供のころ、親父の背中に憧れました。
いつまでも「強い親父であって欲しかった」というのもありましたが、人は自然に歳を取るものですし、いつのまにか涙腺が弱くなってしまうのですかね。
最近俺も涙腺が弱くなってきた感じはしますからね(笑)
スペインの家庭はものすごく家族の絆が深いです。
日本の家族と比べても、それはもう比べ物にならないくらいです。
とにかく、スペインでは親は子に、「これでもか!」というくらいに愛情を注ぎます。
子もそんな親の愛情を受けて育つので、日本で起きるような事件なんてほとんど見たことも聞いたこともありません。
誕生日だって、クリスマスだって、どんなに子供が大きくなっても、どんなに遠く離れて暮らしていても、その日は家族で一緒に過ごす。親戚も呼んで大きなパーティーになったりもするくらいです。
たまに、エクトールの家族の会話を聞いていると結構楽しいです。
日本でもきっとそんな家族がいるのでしょうが、うちも含めて恥ずかしくてなかなか声に出して言えない人の方が多いのかもしれませんね。
日本では子供が小さければ家族でずっと一緒にいますが、次第に大きくなると家を出てしまい、そのまま帰って来なかったり連絡もほとんどしなかったり。
エクトールの親の話ですが、二日に一回くらい両親から彼のところに「元気か?」と電話がかかってきます。
それを彼は俺に、「ここまでくると、さすがにうっとおしいよ」と言っていましたが、俺から見れば彼は別にそれを嫌がってはいないように見えたし、逆にそんな親を持っている彼は幸せだと思うし、うらやましかった。
いつかは俺も「親」になるかもしれません。
できれば俺も、スペインの家庭のように子供には「これでもか!」というくらいの愛情を注いで、いつまでも家族皆で誕生日を祝えるような家族を作りたいなぁと思います。
しかし、今思い出しても、俺が小さいときは相当なくらい親父に殴られました。
なにもそこまでしなくてもいいとは思いますが、子供には俺の背中を見て育って欲しいなと思います。
いつになるか分かりませんが、
いつか、俺の背中を見て、「すごい親父を持った」と思ってくれることを願います。
なんだか今回も脱線しましたね(笑)
★★★つづく★★★
スペインで仕事を始めてから、初めて「Vacaciones(バカシオネス)」をもらえることになりました。
「バケーション」。
「長期休暇」です。
しかも
一年に一度、もれなく一ヶ月もの休みが有給でもらえるのです。
ここはなんて素晴らしい国なんだ!!(笑)
一度日本に戻ってからもうかれこれ三年近く経とうとしていたので、休みがもらえる一ヶ月の半分の二週間くらいは日本に帰ってゆっくりしようと早速計画を立てました。
親父に電話をしてその事を伝えると、そのついでに親父がスペインに来て旅行がしたいと言い始めたので、先に俺が日本に帰って、スペインに戻るときに親父を連れて観光をしよう、ということになりました。
しかし。
久しぶりに日本に帰って一番困ったのが「時差ボケ」でした。
なんだかんだとずっとバタバタとしていた毎日を送っていましたし、なんだかんだと毎日気を張っていたのもありましたし、帰国して家に帰るなり安心しきって爆睡でした。
とにかく、
どれくらい時間が経ったかもわからないくらい寝てました。
多分、24時間くらい寝たままの状態でしたね。
そんな俺を見て親父も痺れを切らしてしまったのか、
「お前、いい加減に起きろ!」と少々怒鳴られ気味に言われましたが、時間がずれているのでこればかりはどうにもなりません。
日本とスペインの時差は、冬場で八時間、夏場で七時間。
日本とスペインでは昼と夜がちょっとずれます。
日本からスペインに行く場合は「太陽を追いかけて行く」ので一晩寝れば大抵治りますが、太陽の方向と逆に行くと、それが急にずれるみたいです。
しかし。
頭では分かっているけど、体が分かってくれません。
日本に居る間は、昼間に眠くて夜に目が覚めてしまう日が続きました。
でも、そうも言ってられないので無理矢理にでも時差ボケを直し、落ち着いてからジャンボさんに電話をしたり、友達に会ったりしているうちに、あっという間に二週間が経ってしまいました。
結局全然休めませんでしたね(笑)
そして、二週間が経ち、親父を連れていざ、スペインへ。
今回、親父にとっては初めての海外旅行でした。それまでは親父に手紙を書いたり電話で話したりしていましたが、親父にとっては全く想像もつかない世界です。
それに、今まで俺がどんなところに住んで、どんな仕事をしているのかなんて、横浜のホテルにいたとき以外に見たこともありませんでしたからね。
とにかく親父にとっては初めての海外旅行なので、空港内でも飛行機の中でも親父は周りをキョロキョロと見回したり、落ち着かない様子でした。
やがて飛行機は離陸します。
初めて見る外国の空。
シベリアの大地やヨーロッパの田園風景。
親父はまるで子供のようでした。
俺が初めてそれを見た日と光景がダブって見えました。
「子は親に似る」って本当です(笑)
そして、約14時間の空の旅も終わり、
バルセロナの空港に着いてから、そのままタクシーに乗って家まで行きました。
空港から家まで約二十分の距離です。
家で少しゆっくりして、仕事から帰って来たエクトールと英ちゃんを紹介して、その夜はすぐに眠りました。
翌日からバルセロナ観光をして名所へ案内したり、「ルックラ」に連れて行き食事をして調理場に案内して仲間を紹介したり、ケイゴさんのお店にも連れて行きました。
俺がロサさんと話をしている間、ケイゴさんが何か親父と話をしていましたが、気にせずにロサさんと話し続けていました。
そして夕方になり、
ケイゴさんのお店を出て駅まで送ってもらい帰りの電車を待っている時。
駅のホームで親父が急に涙を流して泣き始めました。
「どうしたの?何泣いてんの?」
親父は黙ったままうなずいていた。
しばらくしてから親父は俺に、
「お前の人生だから、ここで好きなようにやってこい」と。
俺がスペインに来て四年目にして初めて、俺の海外生活に納得してくれたことをこの耳で聞きました。
半ば喧嘩腰で強引にスペイン行きを決めましたからね。
初めて見る海外で、自分の息子がこういうところに誰と住んでこういう仕事をしていると初めて知ったときに、感極まって泣いてしまったと言っていました。
どうやらケイゴさんが、親父に余計な事を言ったらしいんですよ。
「鉄也は成長しましたよ」みたいなことを言ったと、後でケイゴさんから聞きました。
なにもそんな余計なことを(笑)
「成長」と呼ばれるほど、当時はまだまだ「成長」なんて言葉とは程遠いところにいましたし、自分で感じていたことは「日本に居た時から比べたら少し変わったかな?」くらいでしたから。
別に俺は、親や周りに感心されようと思って海外で生活していたわけでもないし、すべては「自分の将来のため」にと思っていました。
「いつかは自分の店を開いてそれを繁盛させて、親孝行したいなぁ」くらいです。
そのためには、自分の好きな仕事を見つけて、一生楽しく働きながら過ごしていたい。
とにかく「後悔するばかりの人生」だけは送りたくないですし、
人生の最期を迎えるときに「あぁ・・・あれもしたかった。これもしたかった。あそこにも行きたかった~!!」なんて考えたくはありません。
それよりも「俺の人生楽しかったな!ここまで来れてまずまずの人生だった!80%くらい、いや、それ以上!本当に楽しい人生だった!!」
と思いながら最期を迎えられたらいいなと思っているし、そうなれるようには毎日ひたすら努力するだけです。
だけど正直、親父の泣き面は見たくなかったですよね。
小さいころから厳しく育てられ、事ある毎によく殴られました。
でも今、そのことを恨んではいませんし、逆にそういうしつけをしてもらって感謝しています。
白は白、黒は黒。
明らかに「うちはよその家庭とは違う育てられ方をしている」と小さいながらにも感じていました。
とにかくすごかったんだって(笑)
最近の日本では、様々な事件が起きています。
例えば「親と喧嘩して、カッとなって親を殺した」というのを良くニュースで見ますが、俺にはどうしてか分かりません。
確かに俺だって、親に対して反抗心を抱いたことはいくらでもあります。
「いつか殴ってやろう」
そう思ったこともありましたよ(笑)
ですが、やはり育ててもらった親父に感謝しているので殴るわけにはいかなかったし、そう簡単に殴れるものでもありません。
子供のころ、親父の背中に憧れました。
いつまでも「強い親父であって欲しかった」というのもありましたが、人は自然に歳を取るものですし、いつのまにか涙腺が弱くなってしまうのですかね。
最近俺も涙腺が弱くなってきた感じはしますからね(笑)
スペインの家庭はものすごく家族の絆が深いです。
日本の家族と比べても、それはもう比べ物にならないくらいです。
とにかく、スペインでは親は子に、「これでもか!」というくらいに愛情を注ぎます。
子もそんな親の愛情を受けて育つので、日本で起きるような事件なんてほとんど見たことも聞いたこともありません。
誕生日だって、クリスマスだって、どんなに子供が大きくなっても、どんなに遠く離れて暮らしていても、その日は家族で一緒に過ごす。親戚も呼んで大きなパーティーになったりもするくらいです。
たまに、エクトールの家族の会話を聞いていると結構楽しいです。
日本でもきっとそんな家族がいるのでしょうが、うちも含めて恥ずかしくてなかなか声に出して言えない人の方が多いのかもしれませんね。
日本では子供が小さければ家族でずっと一緒にいますが、次第に大きくなると家を出てしまい、そのまま帰って来なかったり連絡もほとんどしなかったり。
エクトールの親の話ですが、二日に一回くらい両親から彼のところに「元気か?」と電話がかかってきます。
それを彼は俺に、「ここまでくると、さすがにうっとおしいよ」と言っていましたが、俺から見れば彼は別にそれを嫌がってはいないように見えたし、逆にそんな親を持っている彼は幸せだと思うし、うらやましかった。
いつかは俺も「親」になるかもしれません。
できれば俺も、スペインの家庭のように子供には「これでもか!」というくらいの愛情を注いで、いつまでも家族皆で誕生日を祝えるような家族を作りたいなぁと思います。
しかし、今思い出しても、俺が小さいときは相当なくらい親父に殴られました。
なにもそこまでしなくてもいいとは思いますが、子供には俺の背中を見て育って欲しいなと思います。
いつになるか分かりませんが、
いつか、俺の背中を見て、「すごい親父を持った」と思ってくれることを願います。
なんだか今回も脱線しましたね(笑)
★★★つづく★★★
2012/01/20 (Fri)
話は変わりますが、
このお話しについては色々な意見があると思いますが、
スペインに住んでみて感じたことをお話しさせていただきます。
「スペイン人と働いてみて感じたこと」ですね。
先に言っておきますが、
もちろん『みんながみんなそういうわけではない』のですが、
日本人から見た欧米人は、どこか『いい加減』な部分があるように見えます。
しつこいようですが、あくまでも俺の感想です。
生活を見ていても、仕事をしていても、どこか大雑把に見えます。
でも、そこが彼らのいいところなのかもしれません。
きっと、彼らから見た日本人も奇妙に映るでしょう。
それはもちろん承知の上で話しています。
確かに、
彼らの言っていることもスペインで生活をしてみて違いが分かるようになりました。
大まかに言えば、
欧米人は
「日本人は『そこまでしなくても』ということに極端にこだわる」と言います。
日本人からしてみれば「それが普通」であって、
何でも「完璧に近い、もしくは完璧な状態で」としたくなります。
料理に例えてみるとそれがすぐに分かりました。
『一寸の狂いもなく綺麗に材料を切り出したり、何枚ものお皿に料理を全く同じように盛り付けたり』。
そこにも満足感を見出すのが日本人ですが、よその国の人に聞いてみると
それを「すごい」という人もいましたが、反対に「そんなのやりすぎ」という人がいたのも事実です。
俺は、スペイン人と仕事をしていて何度となく呆れたことがありました。
だって、
言われたことすらできないんだもん(笑)
もちろん個人差もありますし、それぞれのやる気の問題というのもあるのでしょうが、
例えば、
料理を料理と思っていなかったり、
盛り付けもどうでもよさそうだったり、
「無ければ、あるものでいいよ」とか、
「お皿の上に食べるものが乗っていればいい」と思わざるをえない食品の扱い方。
全員がそうだったとは言いませんが、結構そういう人が多かったです。
それはきっと、日本の中においても同じ事でしょう。
きれいな仕事をする人もいれば、そうでない人もいます。
外国に住んでいたからこそ、そういう部分が余計に見えてしまったのかもしれません。
「自分の国のことは棚に上げて」いたかもしれませんし。
日本に住んでいる外国人も、ひょっとしたら俺と同じ事を思っているのかもしれませんね。
『日本人ってさぁ、・・・だよね』
なーんて(笑)
もちろん、中にはきれいに仕事をする人も、手際良く働く人もいましたよ。
だから「全員が」とは言い切りませんが、普通に料理を勉強している日本人からしてみるとどうしても納得がいきませんでした。
でも、日本人がそう思っていても、逆にスペイン人の考え方にも興味を持ちました。
確かに、そこまで全員がひどかったわけでもありませんでしたから。
ある日エクトールからこんなことを言われました。
日本でこれを普通に聞いたら変な言い方に聞こえるかもしれませんが、
「客はそこまで見ていない」と。
例えば、四名テーブルでそのうち二名が同じ料理を注文したとします。
日本人の考え方ですと、一寸の狂いもなく同じように見せて盛り付け、どちらの皿がどっちにいっても不満のないように仕上げます。
そこに満足感を得るのも、この仕事をしている醍醐味でしょう。
エクトールは俺にこう続けます。
「八割くらい揃っていれば、そこまで文句は言われない」と。
彼はそこに満足感を見出さず、料理本来の味にこだわるのです。
「良い食材を、美味しく仕上げて、最高の状態で。」
スペイン人はそこにこだわると、彼は続けました。
日本人はそれらに加え、「綺麗に盛り付ける」ところまでこだわるのだと思います。
確かに、美味しい料理であれば「盛り付けが違う」なんて文句は言われたことはありませんでした。
「一人で同じ料理を一度に何皿も食べるわけではないので、多少形が違っても別にいい。それが料理だ」とも言われました。
彼の言い分も一理ありますね。
「妥協」と言われればそれまでなのかもしれませんが、
それはきっと「妥協」ではなくて「価値観」の違いだと思いました。
人の考え方は、千差万別です。
いろいろな考え方があるので、それを無理に押し付けようとはしないほうがいいことは分かります。
日本で働いていたときもそうでしたが、俺は今まで自分の考え方を無理矢理、人に押し付けようとしていたんだということに気が付きました。
自分一人でセクションを任されて、そこにアシスタントが入る。
とにかく、俺と同じように料理をさせて同じように盛り付けないと納得がいきませんでした。
自分の思うようにいかないと機嫌が悪くなって、キレてしまうことも多々ありました。
「それなら人には任せないで、どんなに忙しくても俺一人でやるよ。教える方が面倒!」
と思うこともしばしばありました
いや、しょっちゅうかな(笑)
だけど、エクトールは違いました。
「人ってさ、お前が思っているように全く同じようには仕事をしないんだよ?」
この言葉を言われたとき、自分の価値観がひっくり返りました。
確かにそうかもしれません。
人によってですが、自分と似ている価値観を持っている人はいるでしょうが、自分と全く同じ考えを持つ人というのは、まずほとんどいませんよね。
同じ仕事をしている中でも、やはり一人一人が持つ価値観や感性が違うのは当たり前です。
そこに一人一人の個性も見出すことができるし、そこをお互いに譲り合って、双方が折れながらお互いに納得のいくように仕事をしていくのも一つの案だと思います。
頭ごなしに相手を否定するより、相手のやりやすいような方法で仕事をしてもらうと、その人からも新しく得るものがあったり、お互いにとって良い結果が生まれたりするということもあります。
もちろん、『基本があっての応用』ですけどね。
基本がなってないのに自分の好きなやり方でやったところで、良いものなんて絶対にできません。
ここでお話しさせていただいていることは、あくまでも
「お互いに仕事ができる人同士の価値観のやりとり」です。
仕事ができない人が何を言っても『つまらない言い訳』にしか聞こえないのも事実ですから(笑)
「社会人として仕事をするということは社会人として当たり前」のことですからそこは省略します。
そうやって前向きに受け入れる事ができるようになってからは、
「これが一番良い方法!」ではなく、
「これも良い方法のうちの一つ」と思えるようになりました。
付け加えれば、「これが本物!」と言うつもりもありません。
「これも美味しい作り方のうちの一つ」とか、「これをスペインにいたときに教わった」と言う方が、ずっと説得力があると思います。
ちょっと前から俺が思うのは、
「100%より、80%でいこう!」です。
これ、聞く人が聞いたら「妥協」のように聞こえるかもしれませんが、決してそういう意味で言っているのではありません。
人間が100%でいるというのは、まずあり得ないと思います。完璧な人間なんてこの世には存在するとは思えませんし、いつも100%と言うと、どうもそれは嘘っぽく聞こえてしまいます。
まして「120%」なんてなおさらです(笑)
それに、100%だとすると、それをずっと維持していくか、あとは下がるしかありません。
それなら俺は80%を目指していきます。
例えば、十人が俺の料理を食べて、もちろん全員に越したことはないのですが、十人のうち八人が美味しいと言ってくれれば嬉しいです。
ものすごいことだと思いますよ、「十人中八人」って。
仕事のリズムだって、90%に調子が上がることもあれば、75%に下がったりすることだってあります。
風邪引いて熱なんか出したら50%くらいに下がります(笑)
誰にだって調子が良い時もあれば良くない時だってあります。
それくらいの上がり下がりがあるのも普通なことですし、そういう方が人間として味があるのではないかな?と。
それは決して「妥協」ではなく、
「嘘をつかずに自分に『正直』なほうが、きっと後々になって良い結果が生まれるのかな?」
と思えるようになりました。
今回は、料理の世界から見たスペイン人の国民性や価値観についてのお話しでしたが、とてもこれだけでは説明できないくらいで、引っ張り出せばもっといろいろと出てくるのですが、ここでは大まかな話だけさせていただきました。
もちろん意見は様々で、俺と同じことを考えていない人もきっといるでしょう。
それはごく当然のことだと思いますし、他にも色々な意見があると思いますが、それもその人の「価値観」なので、俺はそれを否定も肯定もしません。
「誰が正しい」というわけでもなく、「間違っている」わけでもありません。
これが俺の「価値観」です。
話が本題からかなりそれちゃってごめんなさい(笑)
★★★つづく★★★
話は変わりますが、
このお話しについては色々な意見があると思いますが、
スペインに住んでみて感じたことをお話しさせていただきます。
「スペイン人と働いてみて感じたこと」ですね。
先に言っておきますが、
もちろん『みんながみんなそういうわけではない』のですが、
日本人から見た欧米人は、どこか『いい加減』な部分があるように見えます。
しつこいようですが、あくまでも俺の感想です。
生活を見ていても、仕事をしていても、どこか大雑把に見えます。
でも、そこが彼らのいいところなのかもしれません。
きっと、彼らから見た日本人も奇妙に映るでしょう。
それはもちろん承知の上で話しています。
確かに、
彼らの言っていることもスペインで生活をしてみて違いが分かるようになりました。
大まかに言えば、
欧米人は
「日本人は『そこまでしなくても』ということに極端にこだわる」と言います。
日本人からしてみれば「それが普通」であって、
何でも「完璧に近い、もしくは完璧な状態で」としたくなります。
料理に例えてみるとそれがすぐに分かりました。
『一寸の狂いもなく綺麗に材料を切り出したり、何枚ものお皿に料理を全く同じように盛り付けたり』。
そこにも満足感を見出すのが日本人ですが、よその国の人に聞いてみると
それを「すごい」という人もいましたが、反対に「そんなのやりすぎ」という人がいたのも事実です。
俺は、スペイン人と仕事をしていて何度となく呆れたことがありました。
だって、
言われたことすらできないんだもん(笑)
もちろん個人差もありますし、それぞれのやる気の問題というのもあるのでしょうが、
例えば、
料理を料理と思っていなかったり、
盛り付けもどうでもよさそうだったり、
「無ければ、あるものでいいよ」とか、
「お皿の上に食べるものが乗っていればいい」と思わざるをえない食品の扱い方。
全員がそうだったとは言いませんが、結構そういう人が多かったです。
それはきっと、日本の中においても同じ事でしょう。
きれいな仕事をする人もいれば、そうでない人もいます。
外国に住んでいたからこそ、そういう部分が余計に見えてしまったのかもしれません。
「自分の国のことは棚に上げて」いたかもしれませんし。
日本に住んでいる外国人も、ひょっとしたら俺と同じ事を思っているのかもしれませんね。
『日本人ってさぁ、・・・だよね』
なーんて(笑)
もちろん、中にはきれいに仕事をする人も、手際良く働く人もいましたよ。
だから「全員が」とは言い切りませんが、普通に料理を勉強している日本人からしてみるとどうしても納得がいきませんでした。
でも、日本人がそう思っていても、逆にスペイン人の考え方にも興味を持ちました。
確かに、そこまで全員がひどかったわけでもありませんでしたから。
ある日エクトールからこんなことを言われました。
日本でこれを普通に聞いたら変な言い方に聞こえるかもしれませんが、
「客はそこまで見ていない」と。
例えば、四名テーブルでそのうち二名が同じ料理を注文したとします。
日本人の考え方ですと、一寸の狂いもなく同じように見せて盛り付け、どちらの皿がどっちにいっても不満のないように仕上げます。
そこに満足感を得るのも、この仕事をしている醍醐味でしょう。
エクトールは俺にこう続けます。
「八割くらい揃っていれば、そこまで文句は言われない」と。
彼はそこに満足感を見出さず、料理本来の味にこだわるのです。
「良い食材を、美味しく仕上げて、最高の状態で。」
スペイン人はそこにこだわると、彼は続けました。
日本人はそれらに加え、「綺麗に盛り付ける」ところまでこだわるのだと思います。
確かに、美味しい料理であれば「盛り付けが違う」なんて文句は言われたことはありませんでした。
「一人で同じ料理を一度に何皿も食べるわけではないので、多少形が違っても別にいい。それが料理だ」とも言われました。
彼の言い分も一理ありますね。
「妥協」と言われればそれまでなのかもしれませんが、
それはきっと「妥協」ではなくて「価値観」の違いだと思いました。
人の考え方は、千差万別です。
いろいろな考え方があるので、それを無理に押し付けようとはしないほうがいいことは分かります。
日本で働いていたときもそうでしたが、俺は今まで自分の考え方を無理矢理、人に押し付けようとしていたんだということに気が付きました。
自分一人でセクションを任されて、そこにアシスタントが入る。
とにかく、俺と同じように料理をさせて同じように盛り付けないと納得がいきませんでした。
自分の思うようにいかないと機嫌が悪くなって、キレてしまうことも多々ありました。
「それなら人には任せないで、どんなに忙しくても俺一人でやるよ。教える方が面倒!」
と思うこともしばしばありました
いや、しょっちゅうかな(笑)
だけど、エクトールは違いました。
「人ってさ、お前が思っているように全く同じようには仕事をしないんだよ?」
この言葉を言われたとき、自分の価値観がひっくり返りました。
確かにそうかもしれません。
人によってですが、自分と似ている価値観を持っている人はいるでしょうが、自分と全く同じ考えを持つ人というのは、まずほとんどいませんよね。
同じ仕事をしている中でも、やはり一人一人が持つ価値観や感性が違うのは当たり前です。
そこに一人一人の個性も見出すことができるし、そこをお互いに譲り合って、双方が折れながらお互いに納得のいくように仕事をしていくのも一つの案だと思います。
頭ごなしに相手を否定するより、相手のやりやすいような方法で仕事をしてもらうと、その人からも新しく得るものがあったり、お互いにとって良い結果が生まれたりするということもあります。
もちろん、『基本があっての応用』ですけどね。
基本がなってないのに自分の好きなやり方でやったところで、良いものなんて絶対にできません。
ここでお話しさせていただいていることは、あくまでも
「お互いに仕事ができる人同士の価値観のやりとり」です。
仕事ができない人が何を言っても『つまらない言い訳』にしか聞こえないのも事実ですから(笑)
「社会人として仕事をするということは社会人として当たり前」のことですからそこは省略します。
そうやって前向きに受け入れる事ができるようになってからは、
「これが一番良い方法!」ではなく、
「これも良い方法のうちの一つ」と思えるようになりました。
付け加えれば、「これが本物!」と言うつもりもありません。
「これも美味しい作り方のうちの一つ」とか、「これをスペインにいたときに教わった」と言う方が、ずっと説得力があると思います。
ちょっと前から俺が思うのは、
「100%より、80%でいこう!」です。
これ、聞く人が聞いたら「妥協」のように聞こえるかもしれませんが、決してそういう意味で言っているのではありません。
人間が100%でいるというのは、まずあり得ないと思います。完璧な人間なんてこの世には存在するとは思えませんし、いつも100%と言うと、どうもそれは嘘っぽく聞こえてしまいます。
まして「120%」なんてなおさらです(笑)
それに、100%だとすると、それをずっと維持していくか、あとは下がるしかありません。
それなら俺は80%を目指していきます。
例えば、十人が俺の料理を食べて、もちろん全員に越したことはないのですが、十人のうち八人が美味しいと言ってくれれば嬉しいです。
ものすごいことだと思いますよ、「十人中八人」って。
仕事のリズムだって、90%に調子が上がることもあれば、75%に下がったりすることだってあります。
風邪引いて熱なんか出したら50%くらいに下がります(笑)
誰にだって調子が良い時もあれば良くない時だってあります。
それくらいの上がり下がりがあるのも普通なことですし、そういう方が人間として味があるのではないかな?と。
それは決して「妥協」ではなく、
「嘘をつかずに自分に『正直』なほうが、きっと後々になって良い結果が生まれるのかな?」
と思えるようになりました。
今回は、料理の世界から見たスペイン人の国民性や価値観についてのお話しでしたが、とてもこれだけでは説明できないくらいで、引っ張り出せばもっといろいろと出てくるのですが、ここでは大まかな話だけさせていただきました。
もちろん意見は様々で、俺と同じことを考えていない人もきっといるでしょう。
それはごく当然のことだと思いますし、他にも色々な意見があると思いますが、それもその人の「価値観」なので、俺はそれを否定も肯定もしません。
「誰が正しい」というわけでもなく、「間違っている」わけでもありません。
これが俺の「価値観」です。
話が本題からかなりそれちゃってごめんなさい(笑)
★★★つづく★★★
2011/11/24 (Thu)
今までいろいろとエクトールと仲が良い話をしてきましたが、実は最初からこんなに仲が良かったわけではありませんでした。
仲が良くても、結局は国籍が違う二人です。意見のぶつけ合いも相当なものでした。
例えば。
俺から見たスペインの話を少々愚痴のように彼に話します。
すると、
彼はどちらかといえばまだ『中立的』でいれる人なので、自分の国の事を庇うことなく俺の意見を聞いてくれたり彼の意見を話してくれましたが、
やはりそれでも、いろいろ文句を言われ続けるとさすがの温厚なエクトールも機嫌が悪くなり、そのまま口喧嘩にもつれ込んで、家でも職場でもしばらく口を聞かないことも多々ありました(笑)
もちろんそれは『当たり前』と言えば当たり前なのかもしれません。
俺の立場から見て『変だなぁ』と思うことでも、彼にしてみれば普通のことで、もちろんその逆のこともありました。
お互いに、生まれた国や育った環境や教育が違うので、お互いの持つ意見が違うのは当然のことです。
その二人が知り合って、共同生活をして、おまけに職場も一緒。
日本ならすぐにストレスでもたまるところですかね(笑)
スペインに来るまでは実家暮らしや一人暮らしをして、
ケイゴさんの家では居候していたので、
今まで気にしなかったようなことが、ここで問題となって現れました。
ホントに、エクトールとは幾度となく喧嘩をしました。
そのたびにお互い生活しづらかったし、俺は何度となく、「一人暮らしのほうがいいや!」と思いましたが、
スペインではワンルームマンションを探すほうが難しいし、一人で高い家賃を払うわけにもいかないので、この「ルームシェア」という形が一番ベストな方法でした。
「郷に入れば郷に従え」
よく聞く言葉ですが、まさにその通りです。
俺は『外国人』なのだから、よその国に来たらその国のルールに従わなくてはいけないこともあります
というよりか、ほとんど従わなくてはならないのが普通でしょう。
自国の考え方をそのままよその国に持って来たとしても、三日ともつわけがありません。
そういった、『自分の国と違うもの』を受け入れられるように前向きに考えられると、今まで自分が持っていなかった『違った価値観』というものが見えてきて、自分にもいい勉強になりました。
せっかく違う国に来ているのだから、料理と言葉だけではなく、その国の習慣や文化、価値観を学ぶのも大きな収穫になると思うし、俺はそれを絶対に薦めます。
俺もそうやってケイゴさんに言われました(笑)
それが嫌なら外国に住む必要などなく、すぐに日本に帰ってしまえばそんなことは全く気にしない生活をしていけますからね。
「いいなぁ!スペインなんて外国に長いこと住んでて」
よく言われますが、決してそうでもないです。
そう言われて返す言葉は、
「住むのと旅行で来るのとは全く違いますよ」。
旅行ならば観光して楽しんで癒されて、とにかく良い思いをして帰るのが普通ですが、実際に住んでみるとその国のいい部分だけでなく、良くないところも少しずつ見え始めてきます。
旅行だと、添乗員さんが一緒にいてくれれば何の問題もなく楽しい旅行ができるでしょうし、個人旅行でも行きたいところ、見たいところ、食べたいところを好きなように選べて。
ですが、住んでみると
以外にも『些細なこと』が積もり積もって、気が付いたら大変なことになっていたりします。
そういうことに嫌気が差す人もいるでしょうが、前向きに考えて物事を解決していくと、これが結構面白いんです(笑)
そんなときに、
「そうだ。俺は今、外国に住んでるんだっけ」と、変に実感することもありました。
ケイゴさんの家でお世話になっていたときは「居候」としてケイゴさんの家族と一緒に暮らしていました。
「居候」というのも生まれて初めて経験することだったのですごくいい経験になりましたが、やはりどうしても気を遣ってしまいます。
タバコが吸えなかったり、長々と風呂にも入らなかったり。
そうそう、『お風呂』といえば!
バルセロナのマンションに住み始めて二ヶ月目くらいに、いきなりエクトールとエリに怒られました。
もうケイゴさんの家を出ていたので、そのときは気兼ねなく毎日のように風呂に湯を張ってのんびりと浸かっていましたが、
翌月になると、彼らが俺の前でヒソヒソと話をしているので聞いてみれば、
『水道代がいつもの倍になった』と(笑)
スペインでは風呂に入る習慣がないようで、ほとんどシャワーで済ませる人が多いみたいです。
ちょっと古いアパートタイプの住居だと、風呂場に湯船なんてどこにも見当たりませんからね。
そのため、お湯を張って毎日浸かっていると相当な額になるのは当たり前ですね。
渋々、その月の差額は俺が全部払いましたよ。
それ以来。
『お風呂にゆっくり浸かるのは週に一度だけ』と決めました(笑)
★★★つづく★★★
今までいろいろとエクトールと仲が良い話をしてきましたが、実は最初からこんなに仲が良かったわけではありませんでした。
仲が良くても、結局は国籍が違う二人です。意見のぶつけ合いも相当なものでした。
例えば。
俺から見たスペインの話を少々愚痴のように彼に話します。
すると、
彼はどちらかといえばまだ『中立的』でいれる人なので、自分の国の事を庇うことなく俺の意見を聞いてくれたり彼の意見を話してくれましたが、
やはりそれでも、いろいろ文句を言われ続けるとさすがの温厚なエクトールも機嫌が悪くなり、そのまま口喧嘩にもつれ込んで、家でも職場でもしばらく口を聞かないことも多々ありました(笑)
もちろんそれは『当たり前』と言えば当たり前なのかもしれません。
俺の立場から見て『変だなぁ』と思うことでも、彼にしてみれば普通のことで、もちろんその逆のこともありました。
お互いに、生まれた国や育った環境や教育が違うので、お互いの持つ意見が違うのは当然のことです。
その二人が知り合って、共同生活をして、おまけに職場も一緒。
日本ならすぐにストレスでもたまるところですかね(笑)
スペインに来るまでは実家暮らしや一人暮らしをして、
ケイゴさんの家では居候していたので、
今まで気にしなかったようなことが、ここで問題となって現れました。
ホントに、エクトールとは幾度となく喧嘩をしました。
そのたびにお互い生活しづらかったし、俺は何度となく、「一人暮らしのほうがいいや!」と思いましたが、
スペインではワンルームマンションを探すほうが難しいし、一人で高い家賃を払うわけにもいかないので、この「ルームシェア」という形が一番ベストな方法でした。
「郷に入れば郷に従え」
よく聞く言葉ですが、まさにその通りです。
俺は『外国人』なのだから、よその国に来たらその国のルールに従わなくてはいけないこともあります
というよりか、ほとんど従わなくてはならないのが普通でしょう。
自国の考え方をそのままよその国に持って来たとしても、三日ともつわけがありません。
そういった、『自分の国と違うもの』を受け入れられるように前向きに考えられると、今まで自分が持っていなかった『違った価値観』というものが見えてきて、自分にもいい勉強になりました。
せっかく違う国に来ているのだから、料理と言葉だけではなく、その国の習慣や文化、価値観を学ぶのも大きな収穫になると思うし、俺はそれを絶対に薦めます。
俺もそうやってケイゴさんに言われました(笑)
それが嫌なら外国に住む必要などなく、すぐに日本に帰ってしまえばそんなことは全く気にしない生活をしていけますからね。
「いいなぁ!スペインなんて外国に長いこと住んでて」
よく言われますが、決してそうでもないです。
そう言われて返す言葉は、
「住むのと旅行で来るのとは全く違いますよ」。
旅行ならば観光して楽しんで癒されて、とにかく良い思いをして帰るのが普通ですが、実際に住んでみるとその国のいい部分だけでなく、良くないところも少しずつ見え始めてきます。
旅行だと、添乗員さんが一緒にいてくれれば何の問題もなく楽しい旅行ができるでしょうし、個人旅行でも行きたいところ、見たいところ、食べたいところを好きなように選べて。
ですが、住んでみると
以外にも『些細なこと』が積もり積もって、気が付いたら大変なことになっていたりします。
そういうことに嫌気が差す人もいるでしょうが、前向きに考えて物事を解決していくと、これが結構面白いんです(笑)
そんなときに、
「そうだ。俺は今、外国に住んでるんだっけ」と、変に実感することもありました。
ケイゴさんの家でお世話になっていたときは「居候」としてケイゴさんの家族と一緒に暮らしていました。
「居候」というのも生まれて初めて経験することだったのですごくいい経験になりましたが、やはりどうしても気を遣ってしまいます。
タバコが吸えなかったり、長々と風呂にも入らなかったり。
そうそう、『お風呂』といえば!
バルセロナのマンションに住み始めて二ヶ月目くらいに、いきなりエクトールとエリに怒られました。
もうケイゴさんの家を出ていたので、そのときは気兼ねなく毎日のように風呂に湯を張ってのんびりと浸かっていましたが、
翌月になると、彼らが俺の前でヒソヒソと話をしているので聞いてみれば、
『水道代がいつもの倍になった』と(笑)
スペインでは風呂に入る習慣がないようで、ほとんどシャワーで済ませる人が多いみたいです。
ちょっと古いアパートタイプの住居だと、風呂場に湯船なんてどこにも見当たりませんからね。
そのため、お湯を張って毎日浸かっていると相当な額になるのは当たり前ですね。
渋々、その月の差額は俺が全部払いましたよ。
それ以来。
『お風呂にゆっくり浸かるのは週に一度だけ』と決めました(笑)
★★★つづく★★★
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