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エル ニョスキ店主の
スペイン バルセロナでの料理修行体験記。
といっても、
料理のお話だけではありません!
時間があるときに少しずつアップさせてもらいます♪
※当ブログの無断転載はしないでくださいね!!
でもまぁ転載するほどの大作でもありませんけど(笑)
2024/11/21 (Thu)
×
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2009/02/15 (Sun)
そして、年も明けて一段落した頃、
しかし、
そして後日、合格発表日に学校に出向きます。
今思えば、
その日の足取りも結構重かったですね(笑)
「スペインにいてスペイン語を勉強しているのだから、英語なんて話していたらスペインに来た意味が無い!!」(英語の話せる人のセリフだと思いますが)
★★★つづく★★★
そして、年も明けて一段落した頃、
語学の勉強も料理と平行したかったので、
バルセロナ市内にある私立の語学学校に入学しました。
「私立」ということで授業料もかなり高いため、俺は二週間だけ通うことにします(笑)
日本にいたときに少しは独学で勉強したけど、もっともっと話せるようになりたい。
それと同時に、2月から始まる「カタルーニャ州立の語学学校」に通うための試験勉強も兼ねていました。
しかし、
今まで約一年半もの間日本で独学してきた俺のスペイン語は、
わずか半日で否定されてしまいます。
「・・・だめだ。何言ってんのか全然分かんないよ・・・」
俺は、ひたすら辞書を片手に先生が話している言葉を追いかけますが、
そんなことをしていても間に合うわけがありません。
根本的な勉強の方法を間違えました。
スペインに来る前に独学で文法や単語を勉強していましたが、会話の勉強は何一つしてなかったのです。
それじゃもちろん会話になんてついていけるわけがありませんよね。
それじゃもちろん会話になんてついていけるわけがありませんよね。
言い訳に聞こえてしまうかもしれませんが、「それが日本の教育方針?」とも思われる
「試験のためだけに、文法だけ教わるような外国語教育」を受けていると、どうしても会話は「苦手」というか「未知の世界」になってしまいます。
実際に中学高校と、英語の発音の試験なんて一切ありませんでした。
教室でテキストを音読する程度です。
音読しても、ある意味「棒読み」ですから(笑)
というワケで、今まで全く気にした事がない
「会話の勉強の辛さ」を、俺はここで痛いほど味わうことになります。
次第に、
先生に指されて返事をしたり、クラスメートと話をしたりするのも苦痛になってきます。
だって、スペイン語しゃべれないんだもん(笑)
さらには、間違えたり「解りません」って答えるのが恥ずかしくて、
クラスの中で俺だけ一人、無言になっていくにはそう時間がかかりませんでした。
要は、
「もの凄いスピードで無口になった」ということです。
俺の性格からは想像もつかないくらいの猛スピードで、ですよ(笑)
次第に、
毎朝起きると、きっと学校に行きたくないからでしょう。気分が悪くなりだしました。
「おいおい。これって、登校拒否かよ!?」
ホント、俺が俺らしくなかった二週間でした。
それでも、俺なりに会話の練習をしようと毎朝学校に行く前に、
学校近くのバルに寄っては、朝食を取るための注文を毎朝変えてオーダーしていたんですよ。
「よし。今日はクロワッサンとコーヒー、明日はサンドイッチとジュースにしよう」
次第にその店のウェイターとも顔見知りになると向こうから「おはよう!」と挨拶してくれてから色々と話しかけてくるようになりましたが、当然俺にはウェイターが何を言っているのかは全く分からず、ただただ、笑顔でその場をかわすしかありません。
いつかテレビの英会話のCMでもやっていた、忘れもしないあのセリフ。
「分かっているフリをしたことありませんか?」
きっとあれは、誰もが通る道です。
最初からペラペラと話せる人など聞いたことありません。
あそこでもし、「会話が分かっていない顔」をすればそこで会話が終わってしまうし、自分の勉強にもなりません。最初の頃は、とりあえず自分が解る単語だけをつないで、あとは自分で勝手に解釈するしかありませんでした。
あそこでもし、「会話が分かっていない顔」をすればそこで会話が終わってしまうし、自分の勉強にもなりません。最初の頃は、とりあえず自分が解る単語だけをつないで、あとは自分で勝手に解釈するしかありませんでした。
そんな学校生活もあっという間に二週間が経ちましたが、
なんと、
勉強の成果は全くといっていいほど見られません。
これでは試験なんて受かるはずがありません。
そしてしばらくはケイゴさんの店での仕事と語学勉強をする生活が続き、
ついに1月の終わりに公立の語学学校の入学試験の日がやってきます。
さて。
テスト問題なんて、当たり前ですが俺にはさっぱり。
解るわけがありません。
いや、解るほうがおかしいってば(笑)
いや、解るほうがおかしいってば(笑)
実際、俺でも解るような問題なんて、ほんの二、三問。
しかも「○○について作文を書きなさい」なんて問題もあるし。
俺が何を書け、と?(笑)
もちろん、俺はそこも空欄にして、憂鬱な気分で学校を後にします。
そして後日、合格発表日に学校に出向きます。
今思えば、
その日の足取りも結構重かったですね(笑)
「どうせ受かってないだろう・・・」
と思っていたら、
なんと俺の番号がありました。
そう。 「合格」です。
「え!? なんで合格? ほとんど何も問題の答えを埋めてなかったのに!」
後で聞いた話ですが、この公立の語学学校というのは、安い授業料というのもあって倍率も相当高いらしく、合否をほとんど抽選で決めるそうです。
ということは、俺はラッキーだったとしか言いようがありません。
当然、解らないから勉強に行くのが学校であって、これは単に「クラス分け」のためだけの試験だそうです。
当然、俺がスタートする学年は1年生から。
でも、正直言って、当時の俺の語学力なんてそれ以下でしたよ。
だから学校に行くんですよ!!(笑)
さて。
公立の語学学校と言っても、特に変わったことといえば「一クラスの人数が四十人くらいに増えたこと」くらいです。私立の学校に通っていたときは、生徒が俺を含めて三人だけだったので、マンツーマンに近い授業だったからそれだけプレッシャーがかかりましたが、ここに来てからはそうでもなくなりました。
だけど、やっぱり先生に指されて答えたりするっていうのは苦手でした。
苦手というよりか、全く話せなかったんですから・・・。
質問に答えるのはいいのですが、
どうしても「途中で間違ったらどうしよう」と考えてしまいます。
――会話の最中に、自分が言っている単語や冠詞などがちょっとでも間違っていることに自分で気が付くと、途端に緊張。すると、この先は間違えないようにと焦り始めてしまうがそれがかえって逆効果で、その先の会話がつながらなくなってどんどん空回りして――
そして最終的に頭ん中が真っ白になり、全く言葉が出てこなくなってしまうというのが俺のパターンでした。
そうなるのが嫌で嫌で、
少し大げさかもしれませんが、
少し大げさかもしれませんが、
俺はスペイン語で会話をすることに一種の恐怖感を抱き始めました。
しかも、休み時間になるとクラスメートと自由に会話をすることができるのですが、全員いろんな国から来ている「外国人」なので、初級者同士だとスペイン語会話が全く成立しません。
すると、どうしても会話には英語を頼って話してしまいます。
すると、どうしても会話には英語を頼って話してしまいます。
が、俺なんかスペイン語はもとより英語すら話せないので、その英語の会話すら楽しめません。
でも、もし出来たとしても英語は使いたくありませんでした。
でも、もし出来たとしても英語は使いたくありませんでした。
「スペインにいてスペイン語を勉強しているのだから、英語なんて話していたらスペインに来た意味が無い!!」(英語の話せる人のセリフだと思いますが)
というワケで、
解らないけど解らないなりに、とりあえずコツコツと勉強します。
「そのうち普通にしゃべれるようになるかなぁ・・・」
先も見えないまま、しばらくは辞書とにらめっこの毎日が続きました。
なぜここまで公立の語学学校にこだわっていたか?というと、安い授業料だからというだけでなく、学生ビザが下りるからという理由もありました。
この公立学校の入学証明書を持っていけば外国人登録ができる、という話を聞いていたからです。もちろん、長期滞在も可能になってきます。
というワケで、とりあえずこの学校の入学許可証を持って役所へ向かいます。
スペインには、かなりの外国人が職を求めてやって来ます。
大半はモロッコやアフリカ、中国から。
その列に一緒になって自分の順番が来るのを待つ。
中には朝5時くらいから列の先頭に立って待っている人もいるそうだ。
「俺は移民じゃないのに、なんでこんなことしなきゃいけないんだよ!?」
でも仕方ありません。
理由はどうれあれ、スペインからしてみれば俺も立派な「外国人移民」ですから。
役所に朝早くから来ているため、眠くて目もショボショボしてきた頃、やっと俺の受付の番が回ってきました。後で会話に困らないようにと、自分の言いたいことをまとめて紙に書いておいた。と言ってもロサさんにお願いして事前に作ってもらいました(笑)
それと一緒に、学校で作ってもらった入学証明書を一緒に提出し、
「この公立の学校の入学証明証で留学生カードを申請したいのですが・・・」
「でも君のパスポートのここに、学生ビザ付いてないよ?」
はい。即答で却下です(笑)
なんでもこれには順序があるらしく、日本にいるときに、スペインのどこかの語学学校(私立しか応募できない)に入学の申し込みをして、仮の入学証明証を作ってもらいます。ですが当時、入学証明証を作ってくれる条件が「三ヶ月以上の在籍期間」と決まっていましたので、三ヶ月以上となると授業料はざっと三十万円くらいか、もしくはそれ以上の金額です。
そんな金額、俺に払えるわけがない!!(笑)
その仮の入学証明証を持って日本にあるスペイン大使館へ行き、学生ビザを取得する。そしてスペインに渡り新たに申請をして、そこで初めてスペインで長期滞在のできる「留学生カード」というものがもらえるという、それはとても面倒くさいシステムでした。
前々からケイゴさんにも「普通に来ても問題ない」と言われていましたが、俺はその「最初の部分」を飛ばしてスペインに来てしまったので、即答で却下されることくらい大体予想していました。それでもその担当の人は優しかったのかどうか、俺は会話もできなかったのでなんとも言えませんが、この申請書をとりあえず保留しますということで受理してくれた。
実際、俺と同じパターンでカードをもらっている人はいます。
要は、担当者の人柄によるものらしくて、嫌な担当者なら、即答でお引き取りくださいとなるらしい。でも、担当者によって対応が違うなんて、日本じゃまずありえませんよね。
だけど、
「ひょっとしたら、これでもカードがもらえるかも?」
そんな期待を寄せながら店に帰りました。
日本では、お役所仕事は堅いと言われていますが、スペインはどうなんでしょう?
俺の話が保留されたまま三ヶ月、四ヶ月経ったが、未だに役所からの返事が来ません。
「返事が来なくても、保留になってるんだから、あんまり気にすることもないか?」
そんな安易な考えでも、この国では通用するみたいです。
でもケイゴさん、
「日本で何にも手続きしてこなくても、何とかなる」って言ってたじゃないですか!!(笑)
「なんとかなる」。
日本では普段、なかなか口にも耳にもしないような言葉ですが、
ここスペインでは頻繁に使われるようです。
「まさか」
これから先、俺も幾度となくそういう体験をすることになるとは、
このとき知る由もありませんでしたね(笑)
それも、後ほどゆっくりお話させていただきます!!
★★★つづく★★★
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2009/02/01 (Sun)
ケイゴさんのお店の仕事を終えると、
お客さんも含め店に居た皆で教会の鐘の音をラジオで聴きながらブドウを食べました。
「新しい年も、どうか素晴らしい一年になりますように!」
そんなバタバタとした中、
気が付くとスペインの街中はクリスマス一色でした。
スペインでは、日本のクリスマスと違って期間が長いんです。
そもそもそれがクリスマスなのでしょう。
日本のクリスマスは所詮「一商売」に過ぎない、と俺は今でも思ってます(笑)
そもそもそれがクリスマスなのでしょう。
日本のクリスマスは所詮「一商売」に過ぎない、と俺は今でも思ってます(笑)
クリスマスのことをスペインでは「Navidad(ナビダ)」と呼びます。
期間はキリスト生誕の前日、クリスマスイブより年越しの1月6日まで。
キリスト生誕から十二日目の「1月6日」に、『東方』から「三人の賢者」が貢物を持って来て祝福に来たそうです。
この時期にスペインの子供たちは、12月25日のクリスマスに一度プレゼントをもらい、なおかつ1月6日にもう一度プレゼントをもらうのです。
まぁ、なんと贅沢な。
でも『東方』からの三賢者なのに、なぜ東洋人がいない?
そんな疑問も抱きましたが、まぁそういうことにしておきましょう(笑)
この国では、12月31日の大晦日、
年越しの際に12時の鐘と共に十二粒のブドウを食べる習慣があります。
スペインでは大晦日のことを『Noche Vieja(ノーチェ ヴィエハ)』と呼びます。
直訳すると『古い夜』です。
この『古い夜』を境に、『新しい年が明ける』という意味でしょうか。
この日は大勢の人が街にある教会の広場へ出掛け、皆で鐘の音を聞きながらブドウを食べます。
新しく来る十二ヶ月を無事に過ごせるように願をかけて、鐘の音も普段の12時の時報と同じように12回鳴るので、その鐘の音に合わせて一粒一粒ブドウを食べます。
新しく来る十二ヶ月を無事に過ごせるように願をかけて、鐘の音も普段の12時の時報と同じように12回鳴るので、その鐘の音に合わせて一粒一粒ブドウを食べます。
十二粒全てを鐘の音と共に食べ終わると、次の年は病気もなく元気に過ごせるそうです。
このイベントについての出来事は、スペイン滞在の年を追う毎にいろんなことがあったのですが、
それはまた追ってゆっくりと話します(笑)
それはまた追ってゆっくりと話します(笑)
ケイゴさんのお店の仕事を終えると、
お客さんも含め店に居た皆で教会の鐘の音をラジオで聴きながらブドウを食べました。
ギリギリまでそんなこと何一つ知らされていなかった俺は、年越しの際ブドウの皮も剥かずに種も取らずにそのまま一気に口に含みました。
もちろんこんな食べ方をしてしまうと、口の中が大変なことになります。
ブドウと言っても、デラウェアみたいな小さなブドウではなく、マスカットの大きさなので、ご想像いただけるでしょう。
ブドウの「皮」と「実」と「種」が、全て口の中でミックスされます。
口の中で仕分けることなどできません。
それに、そのブドウを口から全て出してしまうと、いかにも縁起が悪そうです。
そう。
完全に手遅れ(笑)
完全に手遅れ(笑)
当然、我慢してそのまま全部飲み込みました。
「新しい年も、どうか素晴らしい一年になりますように!」
でも、出鼻くじかれたよなぁ。先に教えてくれればいいのに!!!(笑)
★★★つづく★★★
★★★つづく★★★
2009/01/25 (Sun)
「ハガキに羽が付いてたらいいのになー」と、純粋に考えていましたよ(笑)
とりあえずその同僚の人のところに電話をかけると
例外くらい認めろよ、ばーか。俺は今日本に居ないんだぞ。
きっと誰もがそう思いますよね(笑)
まったく、
近くに居ないんだからヒヤヒヤさせんなよ!!
★★★つづく★★★
一夜明けて、
日本でお世話になった方々に手紙を書きました。
駅まで行って、バルセロナの絵葉書をまとめて買い込みます。
一枚につき一言ずつくらいしか書けませんでしたが、
「とりあえず無事に着きました!」という報告までと、ざっと七十枚くらい書きました。
それぞれいろんなところでお世話になっていた人や友人だったので、挨拶も兼ねて手紙だけは出しておこうと思ってましたから、出さないワケにはいきません。
「返事、絶対書くからね!!」
スペインに来る前に皆にそうやって言われていましたが、
残念ながら、これは後々自分の価値観を変えることになってしまいます。
そう、とにかく手紙の返事が来ないんです。
七十通も出して届いた返事は、なんとその「十分の一」以下。
ポストを眺める日々が続きます。
郵便局の人が、郵便配達専用の黄色いベスパに乗って配達に来て、
店の前にバイクが止まると俺は急いでポストへ向かって走る。
「お、手紙が届いたかも!! 誰からだろう?」
と楽しみにしていると、ケイゴさんはあっさりとした顔で、
「何も来ないよ」と
ポツリと一言だけ俺に言います。
実際ポストに行って見ると、届いてない。
来る日も来る日もポストを見に行くのですが、
びっくりするくらいホントに何にも届きません。
当時はまだ、今みたいにインターネットも普及していませんでした。
携帯電話だって電話が鳴ると液晶の画面に「チャクシン」とだけ、カタカナで出ていた時代です。
そんな時代だったからこそ、余計に手紙が来ないと寂しい思いをしましたね。
最初の頃は、ケイゴさんにもよく言われました。
「あまり期待しないほうがいいよ? 忘れたころに誰かから手紙が届くと、やれ『旅行したいから案内してくれ』とか、やれ『泊めてくれ』とか、『通訳』とか、利用されるだけだからさ」
初めてその言葉を聞いたときは正直、「なんだ?この人。やけにネガティブだなぁ」と、決して良い気分にはなれませんでした。
それでも「俺の友達はそんなことない!」と思っていましたが、
それはズバリ、ケイゴさんの言うとおりでした。
「俺、実は友達少なかったのかなぁ?」
そんなことも考えさせられます。
ひょっとすると、今までの俺の交友関係は、「広く浅く」だったのかもしれません。
それでも俺は「彼らは皆、俺の友人、恩人」と思っています。
もちろん、こういうものは自分が送りたいのだから送るのであって、「見返りを期待」する必要は全くありませんが、それでも手紙を待っている方というのは、結構寂しいんですよ。
というワケで、
いつも毎日ポストを眺めては、
黄色いべスパを見かけては、
同じ事を考えていました。
いつでも、どこにいても、自分の友人の事が気になれば手紙なり電話なりと、いろんな手段で連絡も取れるはずだし、俺もきっとそうするでしょう。
あまりこういう表現はしたくありませんが、
言い換えると「裏切られた」というのでしょうか、
はたまた「俺の思い過ごし」だったのでしょうか。
何なんでしょうね?
それでも俺は、たとえ数人でもマメに返事をくれるととても嬉しかったし、ものすごく励みにもなりました。
そんな時は、
ケイゴさんに「これでもかー!!」と言わんばかりに
俺宛に届いた手紙を自慢します(笑)
最近は音沙汰が少なくなりましたが、それでも彼らとは今でも連絡を取っています。
余談ですが、手紙を送ってくれなかった人達から後日よく聞かされた「言い訳」は、
「手紙の書き方が分からない」
「時間がない、あっという間に時間が過ぎる」
などと様々でしたが、いざそういう風に言われてしまうと、
「何だったのかな? 今までの関係って」
と、思わざるを得なくなってしまうのです。
実際に、ケイゴさんの言うとおり『都合の良いようにされそうになった』こともありました。ケイゴさんは長いことスペインに住んでいるから、すでにそれを悟っていたのでしょう。それでも俺はそういう事をネガティブに考えたくはなかったので、そんなことは気にせず、手紙をくれる友人達にせっせと返事を書き続けました。
別に、
「手紙を書いてくれる人こそが真の友達」
というワケではありませんが、
それだけ寂しかったんですってば(笑)
話は変わりますが、
スペインに行く前に、いろんな方から餞別をたくさんいただきました。
早く自分の店を出してそこで皆に恩返しをしたいと思っていたので、それまで楽しみに待っててください!と、いつか現実になるであろうその光景を想像していました。
「やっとここまで辿り着きました! これもひとえに皆さんのおかげです!!」
そんなことをいつになったら言えるのかなぁと
――俺は将来どんな店をやるのかな? これからどんな人生を送るのかな?――
そんなことを考えながら手紙を書き終え、ハガキをポストに入れます。
「このハガキ達よ、早く日本に飛んでけー!!」
「ハガキに羽が付いてたらいいのになー」と、純粋に考えていましたよ(笑)
それだけ
当時23歳の俺には
「スペイン」という国が
日本からものすごく遠いところにありました。
ホント、
「思えば遠くに来たもんだ」ですね(笑)
数日後、とりあえず無事にスペインに戻ってきたことをノボルさん夫婦に報告するためにバルセロナまで行きました。
ノボルさん夫婦と久し振りに対面して、
周りに知り合いがいない俺にはすごく頼もしく、なんだかホッとした気分です。
「寺門君もこれからいろいろと大変かもしれないけど、頑張ってね!」
しばらくお茶をしてからタカコさんと別れた後、バルセロナを一人で散策してみました
というよりも一人で迷ってました(笑)
当然、右も左も分からないのですから、電車の駅や地下鉄の駅周辺をぐるぐると回っているだけです。もしここで迷ってしまったら大変なことになるので、あまり派手には動き回りません(笑)
だけど迷っちゃったらホントに取り返しがつかないと思い、足早にカルデデウまで帰ります(笑)
ケイゴさんの店では、日本の感覚も取り入れたスペイン料理を提供していました。それでもまだ俺が見たことも聞いたこともないような料理ばかりで、毎日が新鮮で楽しかった。
毎朝ケイゴさんに連れられて、村にある市場へ魚の買出しについて行き、そこでも見たことのないような魚を目の当たりにしては、スペインにいることを実感していました。
週に二度くらいケイゴさんの車で大きな市場へ出掛けて、野菜や肉の買い出しをします。
そこでももちろん、
なかなか日本ではお目にかかれないような肉や野菜に、目を輝かせていた俺です。
そんなこんなで12月も中旬を過ぎた頃、
ケイゴさんのお店の電話に親父の会社の同僚さんから留守電が入っていました。
なんでも、親父がぶっ倒れて入院したらしいのです。
とりあえずその同僚の人のところに電話をかけると
「てっちゃん、一度日本に帰ってきたほうがいいよ?」
でも今は年末だし、この時期に飛行機のチケットなんてそう簡単に手に入るわけがありませんし、広島から横浜に帰るような近い距離でもありません。
病院の電話番号を聞いて早速電話すると、週末ということもあってか病院には担当の先生が休みでいないため、月曜日まで病院からの連絡を待つ事に。
が、
月曜日、待ちきれずに時差を計算してこっちから病院に電話をする。
「あ、寺門さんの息子さんですか? いやぁ、他に誰もご家族いらっしゃらないから、誰に伝えていいのか分かりませんでしたよ」
――マジかよ。――
一瞬ヒヤッとした。
「え、そんなに容態が悪いんですか?」
「いえいえ、そんなことありませんよ。少し疲れがたまっていたみたいですね」
「そうですか。今電話で換わってもらえることってできます?」
「いやぁ、病院の規則でそれは無理なんですよ、残念ですけど。でも心配しないでくださいね、もうすぐ退院しますから」
例外くらい認めろよ、ばーか。俺は今日本に居ないんだぞ。
きっと誰もがそう思いますよね(笑)
とりあえず、スペインから親父宛の手紙を日本の病院へFAXで送ります。
それから年が明けて、しばらくすると親父から電話がありました。
何事もなく無事退院したみたいで、とりあえず一安心です。
まったく、
近くに居ないんだからヒヤヒヤさせんなよ!!
★★★つづく★★★
2008/12/07 (Sun)
「トントントン」
そして、荷物を受け取ってから空港を出ます。
「トントントン」
誰かが部屋のドアを叩いている音で目が覚めました。
ドアを開けずに廊下に向かって、慣れない英語でとりあえず返事をしてみます。
「Yes?」
「eufhbva;hfb va;oihfvb ewoimzxd……」
俺にはこう聞こえたので、
「Thanks」と
とりあえず言っとけばいいだろ的な感じで答えました(笑)
昨晩は服も着替えずにそのまま寝たので、顔をちょっとだけ雪で洗ってから外に出ます。
ドアを開けると、
そこにはホテルの従業員らしき人物が俺を待っていてくれて、
俺を別の部屋に移動させてくれます。
「お? ・・・ !!!」
暗い暗いモスクワで、一瞬だけ希望の光が見えました。
「な~んだ。ちゃーんと朝食あるんじゃん!!!」
昨夜はちっちゃい袋に入ったピーナッツしか食べていなかったので、とにかく腹ペコです。
あ、ちなみに
期待に胸を膨らませた朝食のメニューは、と言うと
・ 茶色くカチカチなパン。 食べると歯が痛くなるくらいに硬い。
・ 茶色くカチカチなパン。 食べると歯が痛くなるくらいに硬い。
・ どっかで昨日余ったらしき、温め直しのハンバーグ。だけどこれもカチカチ。
・ 体の芯まで冷えそうな、冷たい牛乳。
以上(笑)
昨日の誓いは、さらに度を増したのは言うまでもありません。
「これじゃ腹いっぱい雪食ってたほうがまだずっとマシじゃんか!!!」
と思いましたが、さすがに何も味のしない雪よりかはずっとマシです。
まぁ、これも経験です(笑)
さて。
さわやかな朝食タイムも終わりました。
朝食の部屋の時計の針は七時を指していましたが、
まだ外は真っ暗で見た目は昨日と全く変わっていません。
まだ外は真っ暗で見た目は昨日と全く変わっていません。
ずっと暗いまんまです。
気が狂いそうです。
「太陽」って、ホントに大事なものなんだと感心(笑)
自分の荷物を持ってホテルを出て、また「護送車」に乗り込みます。
護送車が別のホテルに停車すると、
昨日の夜別れた日本人が後から乗ってきたので、早速声をかけてみました。
「絶対に俺と同じような扱いを受けた」と、
半分「それ」を言われるのを期待しながら
「おはようございます。昨日はいかがでした?」
するとその人は、
「僕はまぁまぁでしたけど?」
「え? まぁまぁ!? 俺なんか最悪ですよ、聞いてくださいよ~……」
彼も結構な体験をしたのかと思いきや、そうでもなかったみたい
いや、普通の一晩を過ごされたようです。
俺はこれで、一泊45ドル。
誰も経験できないような、実に優雅な一夜を過ごしました。
そういえば空港に向かう護送車の中で、
日本でチケット買って宿をおさえてもらうときに旅行代理店のお姉ちゃんに聞かれた、
ある事をふと思い出しました。
日本でチケット買って宿をおさえてもらうときに旅行代理店のお姉ちゃんに聞かれた、
ある事をふと思い出しました。
「ホテルは、値段が高い方と安い方の2箇所ありますが、どちらになさいますか?」
「もちろん、安い方でお願いします」
そういうことです。
こういうところで変にケチってはいけません(笑)
ですが、ここでそんなにへこんでいても仕方がありません。
気を取り直して、今日はバルセロナです。
飛行機に乗って急に安心したのか、バルセロナに着くまでの約3時間、熟睡してました。
目が覚めると、飛行機はちょうどバルセロナ上空。
飛行機が無事に着陸すると、乗客の誰からともなく大きな拍手が起きました。
「ていうか、この航空会社ってそんなに危ないのかよ!?」
まぁ、何はともあれ無事に着いたので、
俺も周りと一緒になって笑顔で拍手してみましたが(笑)
そして、荷物を受け取ってから空港を出ます。
空港から電車が出ているのは教えてもらっていたので、すぐ電車に乗り込みました。
途中、バルセロナサンツ駅で別の路線に乗り換え、カルデデウまで行きます。
この電車に乗るのは2回目なので、迷わずに乗れました。
そして、ケイゴさんの店に着いたのは15時すぎ。
ケイゴさんも昼の営業を早めに切り上げて、ちょうど従業員の皆と昼食を取るところでした。
「お、長旅お疲れさん」
「ご無沙汰してます! 今日からよろしくお願いします!!」
昨日の晩、ピーナッツしか食べず、今朝もあんな朝食だったので、とにかく腹が減ってどうしようもありません。
そこでありつけた料理は、
「フィデオス入りスープ」。
鶏や牛骨、生ハムの骨と野菜を入れて何時間も煮込んでいい味の出ているスープの中に、フィデオス(ショートパスタ)や野菜の入った、温かいスープだった。
スープの入ったお皿から湯気が出ています。
モスクワでは見れなかった光景(笑)
待ちに待った、温かい食事。
そのスープの美味いこと美味いこと。
周りを気にせずにがっつきながら食べていると、ケイゴさんが一言。
「鉄也君、音立てて食べるのはやめなさい、恥ずかしいよ?」
「え?」
一瞬、我に返りました。
「おとをたててたべるのはやめなさ・・・い?」
そういえば、中学生のときに英語の授業で学んだような気が。
「西洋人は音を立てて食べない」
でも、いきなりそんなこと言われても、急に直せるわけがありません。
しかも、今まで普通に音を立てて食べていたものを急に音を出さないようにして食べても、これがまた美味しくありません。
美味しさが変わるんです。
静かに飲み込んでも、何を食べてるのか分かりません。
音立てて食べたほうが美味しいんだってば(笑)
バルセロナに着いて、いきなり出鼻をくじかれた気分でした。
それでもなんとか音を立てずに食事を済ませた後、
部屋に荷物を置きに行き、ケイゴさんの奥さんの両親を紹介してもらいます。
両親と言っても、おじいさんとおばあさんです。
とりあえず「Hola(オラ)」とだけ、挨拶して軽くお辞儀。
何を話せば良いか、
というより何も話せませんから。
それからしばらくして店に戻り、ちょこっとだけお店のお手伝い。
長旅で少しも休んでなかったので、実はかなり疲れてます。
少しだけお店を手伝ってから部屋に帰ってシャワーを浴びると、すぐに爆睡でした。
ついに始まります。
さぁ、
本当にいよいよこれからです!!
★★★つづく★★★
★★★つづく★★★
2008/11/27 (Thu)
横浜から高速に乗ると、約二時間で成田空港に着きます。
アレは、
ちょうどそのとき、俺が出発する二時間ほど前に、
ホテル時代の親友の剛(つよし)がイタリア旅行から帰ってくる予定でした。
「どうもありがとう! それじゃ、行ってくるよ!!」
男の子だもん(笑)
・給料もなしで、いったいどこまでがんばれるのか?
完全に「護送車」です(笑)
正直、これからどうなるのか不安ですよと、同乗した日本人とただただ不安そうな顔をするしかありません。
もう、
この空気、どうにかしてよ(笑)
腹が減ってしょうがない。
しかし、今のここの時間、何時で時差がどれくらいあるか分からない。
完全に「ふて寝」でしたね。
今となっては楽しい思い出の一つですよ。
★★★つづく★★★
横浜から高速に乗ると、約二時間で成田空港に着きます。
途中、車内で昔話に花が咲きました。
もちろん、ガキの頃に皆でしでかした「いたずら話」。
皆であの頃はあーでもない、こーでもないと大笑い。
幼馴染と一緒にいると、不思議と「あの頃」に戻るんですよね。
アレは、
今となっては懐かしい、そしてちょっと恥ずかしい思い出です。
成田空港には予定より少し早く着き、今回はチェックインも無事に済ませ、
少しの間彼ら二人と別れを惜しみました。
ちょうどそのとき、俺が出発する二時間ほど前に、
ホテル時代の親友の剛(つよし)がイタリア旅行から帰ってくる予定でした。
偶然にも、剛の到着する日と俺の出発する日が一緒だったのです。
彼は長旅で疲れている中、わざわざ出発ロビーまで見送りに来てくれました。
「どうもありがとう! それじゃ、行ってくるよ!!」
別れ際に一瞬泣きそうになりましたたが、
これが最後の別れでもないし、涙はこらえました。
だって
男の子だもん(笑)
今回は、ロシアの航空会社の飛行機に乗りました。
当時、一番安いチケットだったからです(笑)
でも、
安かったけれど、モスクワからバルセロナまでの乗り継ぎ便が時間の都合で翌日まで出ないという「おまけ」が付いてきたため、ロシアにあるホテルで一泊しなければいけませんでしたが、前もって旅行代理店でモスクワで泊まるホテルはおさえてあったので特に心配はしていませんでした。
ですが、
なぜか緊張していました。
前回の「旅行」とは、気合の入り方が全く違います。
バルセロナに着いたら、ケイゴさんの店でお世話になるのと同時に、ケイゴさんの家族が住んでいる家に居候させてもらうことになっています。
・給料もなしで、いったいどこまでがんばれるのか?
・いつまでスペインにいることができるのか?
・いつ日本に帰って自分の夢をかなえることができるのか?
飛行機の中で、そんなことばかり考えていました。
途中でウトウトとしていると、飛行機は無事にロシアの空港に到着します。
ここからがちょっと、
いや、かなり想像とは違っていたんです。
その日の乗り継ぎの便が無いためロシアで一晩泊まることになっていたので、飛行機を降りてから係員が持っていた、何人かの搭乗者の名前が書かれた看板を目印に集合場所まで向かいました。
当然、この国に出るビザは持っていないので、空港からバスに乗ってホテルに行くんですよーということを、同じ飛行機に乗っていた日本人から聞いていました。
そしてバスが到着するのですが、なんだか雰囲気が変です。
「ってかコレはバスじゃないよ! 護送車じゃん!! なんでこんなのに乗ってくのよ!?」
誰がどこからどう見ても、「バス」ではありません。
完全に「護送車」です(笑)
なんだか自分が「不法滞在」でもして強制送還させられているかのように感じる、重々しい雰囲気。
周りには銃を持った警察官もいて、それはもう重たい空気が流れていました。
正直、これからどうなるのか不安ですよと、同乗した日本人とただただ不安そうな顔をするしかありません。
まだ時刻は夕方だったはずでしたが、ロシアではもう夜中みたいに真っ暗で寒く、しかも吹雪いています。
護送車の中ではなぜか皆、無言です。
もう、
この空気、どうにかしてよ(笑)
そんな中、護送車は無事にホテルに到着しますが、
なんと、一緒にいた日本人だけ一人で先に降りてしまいました。
ライフルを持ったロシア人のおじさんは、俺をその小奇麗なホテルで降ろしてくれません。
俺の行くホテルはそこではなかったようです。
「それじゃ、また明日。 僕はこのホテルみたいなので」
「え!? んで、俺は何処まで連れてかれるの!? なんなんだよ、これ!!」
それからしばらく「護送車」に揺られていると、すごく古臭いぼろぼろのホテルに到着して、ここで俺は降ろされました。係の人に連れて行かれます。
どうやらここは、どこかのホテルの別館らしいです。
誰も教えてくれないから、自分でそう決め付けるしかありません。
別館と本館を結ぶ通路は鉄格子の扉があり、しかも頑丈な鎖でつながれています。
鉄格子の向こう側では、誰かが楽しそうにビリヤードなんてやってます。
こっちの気持ちも知らずにね(笑)
「まぁ、ビザがないから出られないのは分かるけど、ここまではちょっとやりすぎだろ~。」
係の人はそのまま部屋まで案内してくれました。
ですが、ここで安心してはいけなかったのです。
さらに悲劇は続きます(笑)
部屋に着きます。
喉が渇きました。
持っていたペットボトルの水を飲む。が、
水が残り僅かだったことに気が付きます。
仕方ない。
「シャワーでも浴びるか?」
蛇口をひねります。
ひねるが出てくるのは茶色く錆びきった、冷たい水。
しかも、
出しっぱなしにしていても一向に熱くならないし、水は茶色いままです。
「まぁ、今日はシャワー浴びなくてもいいか?」
腹が減ってしょうがない。
しかし、今のここの時間、何時で時差がどれくらいあるか分からない。
だいぶ時間が経ってると思うけど、何時なんだろう?
分かんない(泣)
はぁ。しかし腹減った。
あ、良く考えると、
この国のお金持ってないや =何にも買えない
お、
偶然にも飛行機内でもらった、
偶然にも飛行機内でもらった、
ちっちゃい袋に入ったピーナッツがポケットから出てきた
=今夜の晩御飯はそれだけ
残り僅かなピーナッツをかじりながら、窓の外を眺めます。
雪、ゆき、ユキ…
上も下も右も左も、どこを見ても雪しか見えません。
窓を開けて、窓際に積もっていた雪をちょっとだけすくって口に入れてみました。
まずくはなかったけど、腹の足しになるはずがありません。
でも、もう一口(笑)
テレビをつけます。とりあえずテレビは映ります。
だけど、当然ロシア語なんか分かりもしないし、テレビで時刻すら教えてくれません。
時報すら鳴りません。
もういいや。今夜は寝よう。
「もう二度とこの空港には立ち寄らない!!!」
そう心に誓いながら眠りに就きました。
完全に「ふて寝」でしたね。
だけどコレも
今となっては楽しい思い出の一つですよ。
★★★つづく★★★