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ニョスキ店主
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エル ニョスキ店主の
スペイン バルセロナでの料理修行体験記。
といっても、
料理のお話だけではありません!
時間があるときに少しずつアップさせてもらいます♪
※当ブログの無断転載はしないでくださいね!!
でもまぁ転載するほどの大作でもありませんけど(笑)
2024/11/22 (Fri)
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2008/10/30 (Thu)
今でも「あの時一緒に踊りたかった!!」という思いは消えません。
「ねぇ、見てる?この景色、すごいよね!?」
もちろん、今でも大好きです。
★★★つづく★★★
2.生まれて初めての海外、そして退職
当時俺は広島に住んでいたため、関西国際空港からスペインへ向かいました。
高卒なので、「大学生生活」というものを楽しむことができず、「キャンパス」とか「単位」とか「ゼミ」という言葉にものすごく憧れていた店主です(笑)
高卒なので、「大学生生活」というものを楽しむことができず、「キャンパス」とか「単位」とか「ゼミ」という言葉にものすごく憧れていた店主です(笑)
当然それまで海外に旅行なんてしたこともなく、恥ずかしいけれど、これが生まれて初めての海外旅行。パスポートなんて取ったのももちろん初めてで、行ったこともない国へ向かうワケですよ。
当然、チェックインのシステムなんて全然分かりません。
荷物はスーツケースにパンパンだし、しかもその日はどうしようもなく暑く、ただでさえ汗っかきなのに、じっとしているだけでも額から汗がどんどんと流れ出てきます。
それでもなんとか早めに早めにと行動して、なんとか無事にはチェックインできました。
関西国際空港からイタリアの「アリタリア航空」という航空会社の飛行機に乗ってローマまで行き、ローマから別の便に乗り換えてバルセロナに着く予定でした。
当時も現在もスペインまでの直行便が日本から出ていないので、乗り継ぎの時間も入れると片道に約15時間かかるとの事。
といっても、その「乗り継ぎ」とか「15時間」という言葉にすら実感がわかなくて(笑)
さて。飛行機に乗り、チケットに書いてある席番号を辿り、席に着きます。
機内アナウンスの英語とイタリア語を聞いているだけで、気分はすでに外国人。
あんまり読まないくせに、新聞とか広げてます。
ちょっとだけ快適です。
同僚は今頃ホテルで仕事中ですから(笑)
それと、
スチュワーデスが教える救命胴衣のセット方法を、さりげなーく真似してみたり。
当時の店主、弱冠23歳。
明らかに調子に乗っております(笑)
そしていよいよ、待ちに待ったジェットコースターにも感じた離陸の瞬間。
「3、2、1、GO!」とか誰も掛け声なんてかけてもないのに、いきなりジェット機が猛スピードで滑走路を突き進む。
店主、ますます調子に乗ってきました(笑)
そして機体が上向きに傾き、腰が浮いてしまうような変な感覚で、飛行機は雲の上へと上昇して行きました。しばらくして飛行機が雲の間をすり抜けた後、辺り一面青い空には白い雲。
この景色に見とれてしまい、俺は「子供が電車の窓にへばりつく」ようにして外を見るように、くぎづけになってずーっと窓の外を眺めていました。
「いやぁ。地球ってでっかいなぁ…」
ごく当たり前な、単純なことを思っていました。
でも、初めてのことならきっと他の人でも同じこと考えます
よね?(笑)
「ばっぱちゃん」の写真を俺の視点と同じ高さに持っていき、俺が今見ている景色を見せてあげる。
「これ、見せてあげたかったなぁ。きっと見たことないんだろうなぁ、こんな景色」
一面、見渡す限りの真っ青な空の天井と真っ白い雲の絨毯。
きっと見慣れてしまえばどうって事のない景色なのでしょうが、俺にはもちろん生まれて初めて見る景色でしたので、飛行機の中で寝ることができずに、しばらくずっとその景色に見とれていました。
説明が遅れましたが「ばっぱちゃん」とは、俺の祖母のことです。
いつからか分かりませんが、小さい頃そうやって呼んでいました。
残念なことに、俺が広島に来て二年目に、ばっぱちゃんは他界してしまいましたが。
高校生の時の正月に会いに行った以来、それがばっぱちゃんに会えた最後になってしまったことが、なによりも残念です。
俺がまだ幼稚園に入る前に親父が離婚してしまい再婚するまでの数年間、わざわざ俺の面倒を見てくれるために、実家の茨城からわざわざ出てきてくれたのです。
ばっぱちゃんは宮城県は石巻の出身で、若い頃に芸者をしていたそうです。ちっちゃい頃よく俺の前でもいろんな歌を唄ってくれていましたが、大人の歌は正直、当時の子供心には全く興味がありませんでした。
でも、今になってみると、一曲くらい覚えていれば良かったと後悔しています。
あんなにしょっちゅう俺の目の前で唄っていた「いろはの歌」すら、出てこない。
今でも当時のことを思い出しますが、
俺って「おばあちゃんっ子」だったなぁと、つくづく思います。
いつもいつも、ばっぱちゃんに甘えてばーっかり。
あの頃「ぼくは、ばっぱちゃんのこどもだよ!」と、本気で思っていたくらいですから(笑)
何度も言いますが、とにかく俺は「甘えん坊」でした。
ある日、幼稚園の運動会のお遊戯で、「お母さんと一緒に踊りましょう」というのがありました。俺は当然ばっぱちゃんと踊るのであろうと、今か今かとそのお遊戯を心待ちにしていたワケですよ。
だけどばっぱちゃんは当時すでに七十歳を超えていたため、俺と一緒に踊ることができなかったのでその旨を前もって先生に伝えていたのです。
そんなの、直前まで俺は知りもしません。
もちろん、他の友達皆は、それぞれのお母さんと一緒に踊っています。
だけど、俺はばっぱちゃんと踊れない。
皆がお母さんと一緒に踊ってるのに、俺だけばっぱちゃんと踊れないんですよ!?
皆がお母さんと一緒に踊ってるのに、俺だけばっぱちゃんと踊れないんですよ!?
それがすごく残念でたまらなくなり、しまいには大声を上げて泣きながら、幼稚園の先生と嫌々踊ったこと(ただ先生に手を引っ張られているだけだった)を、今でも覚えています。
それもそのはず、しっかりとその光景は一枚の写真に収められていたのです。
その写真を見なくてもそのときの光景は全て思い出せます。
今でも「あの時一緒に踊りたかった!!」という思いは消えません。
ばっぱちゃんが他界した時に広島から実家の横浜へ寄り、俺のアルバムの中から一枚だけ、俺と一緒に写っている写真を引っ張り出して広島に持って帰りました。
――これから先は、いつでもどこでもばっぱちゃんの傍に居たい。きっと俺のことをどこかで見てくれているに違いない――
甘えん坊とどんなに馬鹿にされようが、構いません。
そう思ったから、写真を持って帰りました。
広島に持って帰ったその写真は、たくさんある写真の中でも俺が唯一気に入ったもので、
ばっぱちゃんが幸せそうに、優しい顔をして笑ってる写真なんです。
今でも、部屋に飾ってあります。
「こんな笑顔で、今でもどっかで俺のことを見守ってくれてるのかな?」
ばっぱちゃんが生きているうちに、あの笑顔をもう一度見たかった。
「ねぇ、見てる?この景色、すごいよね!?」
ばっぱちゃんはある意味、俺の「母親」です。
もちろん、今でも大好きです。
★★★つづく★★★
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昨夜はご馳走様でした。
生ハムもパエリャも全て美味しくて、
ワインを女房と二人で飲み過ぎました。素敵なお店ですね。我が家は犬が居ます。ホームページに外のテーブルで犬もOKと書いてあったのが非常に印象的でした。これからも頑張って下さい。また伺います。
生ハムもパエリャも全て美味しくて、
ワインを女房と二人で飲み過ぎました。素敵なお店ですね。我が家は犬が居ます。ホームページに外のテーブルで犬もOKと書いてあったのが非常に印象的でした。これからも頑張って下さい。また伺います。
こちらこそ、
昨日はどうもありがとうございました!
途中で急な買出しに抜けてしまったため、最後に何も言えなくてどうもすみません。
ですが
これからの季節、
テラスはちょっと寒いと思われますので、ワンちゃん同伴は暖かくなってからでもいかがですか?
いつでもお待ちしております。
コメント、どうもありがとうございました!!
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途中で急な買出しに抜けてしまったため、最後に何も言えなくてどうもすみません。
ですが
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コメント、どうもありがとうございました!!
僕もスペインにはバルセロナから入りました。
当時はまだ、イベリアがあったので、成田→モスクワ(給油)→マドリッドで乗り換えでバルセロナ着いたのは、夜中の零時半過ぎ。そんな時間についてどうすんだとやや心細くなりつつ、初日だけ宿を取ってあったのでタクシーでホテル直行。朝食後、荷物持ったまま宿探ししたのを思い出しました。
97年の夏です。
当時はまだ、イベリアがあったので、成田→モスクワ(給油)→マドリッドで乗り換えでバルセロナ着いたのは、夜中の零時半過ぎ。そんな時間についてどうすんだとやや心細くなりつつ、初日だけ宿を取ってあったのでタクシーでホテル直行。朝食後、荷物持ったまま宿探ししたのを思い出しました。
97年の夏です。
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