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エル ニョスキ店主の
スペイン バルセロナでの料理修行体験記。
といっても、
料理のお話だけではありません!
時間があるときに少しずつアップさせてもらいます♪
※当ブログの無断転載はしないでくださいね!!
でもまぁ転載するほどの大作でもありませんけど(笑)
2024/11/22 (Fri)
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2008/11/12 (Wed)
その後俺は、
もちろん、時間をかけてゆっくりと。
そんなこんなで、気がつくとあっという間に一週間が過ぎていて、もう日本に帰る日です。
今でも一緒に働けていないのが残念ですが。
「先輩」という話で思い出しましたが、
今回の旅行の目玉であった「ケイゴさんへの挨拶」も無事に済ませると、
あっという間に日本へ帰る日が迫ってきました。
今日は、タカコさんの友達のおばあさん宅で昼食会があるのでどうかと誘われていました。
一人でどこかに出かけてもどうせ迷うだけだし、こんな機会は滅多にないと思い、その食事会へ一緒に連れて行ってもらうことに。
タカコさんと歩いて、食事会のお家へ到着。
部屋に着くなりまず、おばあさんが皆の前で自宅のキッチンの自慢話(多分)をしていました。
その家には、おばあさんの親戚や知り合いの若い女性も来ています。
部屋に着くなりまず、おばあさんが皆の前で自宅のキッチンの自慢話(多分)をしていました。
その家には、おばあさんの親戚や知り合いの若い女性も来ています。
皆で大きな四角いテーブルを囲み、席に着く前に一人ずつ自己紹介です。
というか、
俺はできれば自己紹介なんてしたくない!という気分でいっぱい。
だって、
それまで会話の練習なんてほとんどしたことないんですから(笑)
でも、気が付けば俺の番です。
俺はとにかく緊張しながら、つたないスペイン語で自己紹介しました。
とりあえず自己紹介できていたとは思うのですが、
きっとスペイン人からしてみたらカミカミだったでしょう(笑)
その後俺は、
話には聞いていた自己紹介の際にするという
「ほっぺに二回、キス」を、生まれて初めて体験。
とにかくそんなことは今までにした事がないし、日本にはそんな風習もないので、
かなり照れながらも内心では喜んで相手の女性のほっぺにキスをしました。
かなり照れながらも内心では喜んで相手の女性のほっぺにキスをしました。
そういうところはやけに積極的な店主です(笑)
そして皆で席についた後、テーブルに並んだいろんな家庭料理を一品ずつ紹介してもらいながら少しずつつまんで、ワイワイと楽しみながら食事をしました。
「こういう雰囲気っていいなぁ。日本でもいつかこんな食事、皆でできたらいいなぁ!」
スペインでは、とにかく食事の時間を楽しむんだなぁと感じました。
日本の社会での食事からは全く想像がつきません。
いや、当時の俺がそういう生活をしていたからでしょう。
日本人全員がそういう食生活ではないのはもちろんですが、
ただ「立ったまま食べて飲み込む」ような食事とは、大違いでした。
ただ「立ったまま食べて飲み込む」ような食事とは、大違いでした。
俺が日本で働いていたときは「早メシ」が当然のように基本で、
常に忙しい中、飲み込むような食事と焦りながら吸うタバコを毎日十五分以内で済まさないと
仕事が間に合わなかったのです。
仕事が間に合わなかったのです。
たまに外食しても、もちろん自分が若かったということもあるのでしょうが、
今までそんなに食事に時間をかけたことがなかったんです。
それとは正反対に、スペインに来てからノボルさん達にレストランに連れて行ってもらうと、いつも食事するのに結構な時間がかかりました。スペイン人は、食事をするには大抵二時間くらいかけて食べるのが普通だそうです。
とにかく、最初は落ち着かなくて落ち着かなくて(笑)
しかもスペインでは、仕事中にもかかわらず大勢の人が昼間からワインを飲んでいます。朝一からバルでビールを飲んでいる人も多く見かけました。
最初見たときはビックリしましたが、そういうところにもスペインの文化を感じました。
また、おばあさんが作った手料理もどれも美味しく、レストランで食べる料理とは一味違った感覚で食事を楽しませてもらいました。
もちろん、時間をかけてゆっくりと。
「こんなスペインの家庭料理を、いつか日本で自分の店を出して、日本の皆に食べてもらいたい!」
いつの間にか、そんな夢が頭から離れなくなってました。
そんなこんなで、気がつくとあっという間に一週間が過ぎていて、もう日本に帰る日です。
「本当にいろいろとありがとうございました! 数ヵ月後にはまたスペインに来ます。今度バルセロナに来るときはしばらく日本に帰るつもりはないので、またそのとき、色々とお世話になると思いますが、よろしくお願いします!」
と、ノボルさん夫婦にお礼の挨拶を交わして、いざ空港へ。
タカコさんに空港まで送ってもらい、無事チェックインも済ませ、飛行機に乗る。
帰りの飛行機の中で、一つの決断をしました。
「この夏はホテルで働いて、秋、十一月にホテルを辞めてスペインへ行こう!」
広島に戻ってからすぐにジャンボさんのお店に顔を出し、無事帰国したことを報告して、秋にスペインに渡ることを伝えました。
「いよいよかぁ。寂しくなるねぇ… スペインから帰ってきたら、一緒に働こうな!」
カンペシーナにはジャンボさんの奥さんやアルバイトの従業員さんが結構いたし、俺もホテルで働きながらよそでバイトをしていたので、未だにジャンボさんと一緒に働いたことがなかったのです。
今でも一緒に働けていないのが残念ですが。
そして、ホテルに出勤してからすぐに料理長に帰国の報告と退職願を伝えました。
「退職したら、スペインへ行ってきます!」
自分の心はすでにスペインに向いていました。
まだ六月で、十一月の退社までには充分な時間があったので、辞める際にそんなにもめることもなく料理長にも快く承諾してもらいました。
すると、あっという間に俺の話はホテル中に知れ渡ることに。
「がんばってね!」
という声をたくさんかけていただいても、なかなか実感がわきません。
辞めるのは3ヶ月も4ヶ月も先の話ですからね(笑)
ホテルの人達から色々な激励の言葉を受ける中、尊敬していたある先輩から、
「お前、すごいなぁ。俺にはそんなことできないよ」
と、ため息混じりに言われたのを今でも覚えています。
正直なところ、ちょっと残念でした。
その人とは職場は一緒になったことはないけど、
「すごい人だ」というのは感じていました。
「こんな人になりたいなぁ。いつか、この人に追いつけ追い越せ!」
と思える人だったのに、
まさかそんな事を言われるとはこれっぽっちも思ってませんでしたから。
「これって、すごいことなの?」
いや。
すごいことだなんて、お世辞でも言われたくありません。
ラッキーなことに綾乃ちゃんから突然スペイン行きの話をもらい、
悩みに悩んで、
悩んだ挙句に「海外に行こう!」と決意して、
自分なりに準備して、飛行機のチケットを買っただけです。
単に「ツイていた」だけです。
単に「ツイていた」だけです。
俺以外にも、海外に行く人なんてわんさかいます。
自分なりには
「すごいこと」ではなく
「すごいこと」ではなく
「思い切ったこと」と思っています。
当時、まだ23歳という若さだったから思い切ったことができたというのもありましたし、
なにより一番の理由は
「何も考えずに突っ走る性格だった」という事に尽きるでしょう。
もちろん、今でもその性格だけは変えられないようです(笑)
「先輩」という話で思い出しましたが、
いつの頃からか自分の中には「俺はこうでありたい!」という「理想の先輩像」というものがあって、
「いつかこの先、後輩ができて俺が先輩になったら?」
ということなどを考えたことがありました。
当時まだ小僧のくせに(笑)
横浜のホテルで働いていたときに理想的な先輩と出会えたことが、その主な理由です。
その先輩は、仕事はもちろんできる人で、いつでも何でも詳しく教えてくれます。仕事が終わってからでも小僧の身分の俺に付き合ってくれて、一緒に食事に行くにしても飲みに行くにしても、先輩は絶対俺に一円も払わせてくれないんです。
「いいからいいから。お前は払わなくていいから!」
「いや、でもいつも先輩が僕におごってばかりじゃないですか?」
俺が何を言おうが、先輩は無視。
そして最終的には、いつも俺がおごってもらってばっかり。
そのとき、決まって先輩の口からは
「いつかお前に後輩ができたら、そいつにおごってあげてよ! 俺も若いときはそうしてもらってたし。お金ってそういう風に回るんだって!」
最近になって、その意味がやっと解りました。
別に「おごってくれるから良い先輩」なのではありません。
少し大げさかもしれませんが、
「自分のことを犠牲にしてまでも後輩に尽くしてあげられる」
そんなところにすごく憧れました。
きっと当時、先輩の財布の中身は、
失礼だけどそんなに潤っていたわけでもないはずです。
もちろん俺だって誰にでもおごるわけではなく、「やる気のある、向上心のある後輩」にしかおごらないのも事実だし、いつも財布が潤っていたわけでもありません。
給料前なのに無理しておごっていたのも事実ですし、先輩だって同じだったはず(笑)
だけど、「自分を犠牲にしてでも可愛がりたい後輩」というのは、
「これから先、彼がどういう風に成長していくのか見てみたい」
「できれば、俺も彼の成長を手伝いたい」
そう思える後輩のことなのかな? と思います。
そして数年が経ち。
現在の俺は気が付いたら、当たり前のようにかっこつけて先輩の真似をしていて、後輩には仕事の帰りにメシをおごるようになり、先輩と同じことを言うようになってました。
まだ若いくせに、先輩気取ってます(笑)
だけど俺は、あの先輩からいつも言われていた言葉に、
さらにもう一言付け加えて後輩に言うようにしています。
「いつかお前にも後輩ができておごってやるときは、俺の顔ぐらい思い出せよな?」
実際に、あの先輩だけは今でも忘れません。
「安藤さん、お元気ですか?」
★★★つづく★★★
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