スペインで仕事を始めてから、初めて「Vacaciones(バカシオネス)」をもらえることになりました。
「バケーション」。
「長期休暇」です。
しかも
一年に一度、もれなく一ヶ月もの休みが有給でもらえるのです。
ここはなんて素晴らしい国なんだ!!(笑)
一度日本に戻ってからもうかれこれ三年近く経とうとしていたので、休みがもらえる一ヶ月の半分の二週間くらいは日本に帰ってゆっくりしようと早速計画を立てました。
親父に電話をしてその事を伝えると、そのついでに親父がスペインに来て旅行がしたいと言い始めたので、先に俺が日本に帰って、スペインに戻るときに親父を連れて観光をしよう、ということになりました。
しかし。
久しぶりに日本に帰って一番困ったのが「時差ボケ」でした。
なんだかんだとずっとバタバタとしていた毎日を送っていましたし、なんだかんだと毎日気を張っていたのもありましたし、帰国して家に帰るなり安心しきって爆睡でした。
とにかく、
どれくらい時間が経ったかもわからないくらい寝てました。
多分、24時間くらい寝たままの状態でしたね。
そんな俺を見て親父も痺れを切らしてしまったのか、
「お前、いい加減に起きろ!」と少々怒鳴られ気味に言われましたが、時間がずれているのでこればかりはどうにもなりません。
日本とスペインの時差は、冬場で八時間、夏場で七時間。
日本とスペインでは昼と夜がちょっとずれます。
日本からスペインに行く場合は「太陽を追いかけて行く」ので一晩寝れば大抵治りますが、太陽の方向と逆に行くと、それが急にずれるみたいです。
しかし。
頭では分かっているけど、体が分かってくれません。
日本に居る間は、昼間に眠くて夜に目が覚めてしまう日が続きました。
でも、そうも言ってられないので無理矢理にでも時差ボケを直し、落ち着いてからジャンボさんに電話をしたり、友達に会ったりしているうちに、あっという間に二週間が経ってしまいました。
結局全然休めませんでしたね(笑)
そして、二週間が経ち、親父を連れていざ、スペインへ。
今回、親父にとっては初めての海外旅行でした。それまでは親父に手紙を書いたり電話で話したりしていましたが、親父にとっては全く想像もつかない世界です。
それに、今まで俺がどんなところに住んで、どんな仕事をしているのかなんて、横浜のホテルにいたとき以外に見たこともありませんでしたからね。
とにかく親父にとっては初めての海外旅行なので、空港内でも飛行機の中でも親父は周りをキョロキョロと見回したり、落ち着かない様子でした。
やがて飛行機は離陸します。
初めて見る外国の空。
シベリアの大地やヨーロッパの田園風景。
親父はまるで子供のようでした。
俺が初めてそれを見た日と光景がダブって見えました。
「子は親に似る」って本当です(笑)
そして、約14時間の空の旅も終わり、
バルセロナの空港に着いてから、そのままタクシーに乗って家まで行きました。
空港から家まで約二十分の距離です。
家で少しゆっくりして、仕事から帰って来たエクトールと英ちゃんを紹介して、その夜はすぐに眠りました。
翌日からバルセロナ観光をして名所へ案内したり、「ルックラ」に連れて行き食事をして調理場に案内して仲間を紹介したり、ケイゴさんのお店にも連れて行きました。
俺がロサさんと話をしている間、ケイゴさんが何か親父と話をしていましたが、気にせずにロサさんと話し続けていました。
そして夕方になり、
ケイゴさんのお店を出て駅まで送ってもらい帰りの電車を待っている時。
駅のホームで親父が急に涙を流して泣き始めました。
「どうしたの?何泣いてんの?」
親父は黙ったままうなずいていた。
しばらくしてから親父は俺に、
「お前の人生だから、ここで好きなようにやってこい」と。
俺がスペインに来て四年目にして初めて、俺の海外生活に納得してくれたことをこの耳で聞きました。
半ば喧嘩腰で強引にスペイン行きを決めましたからね。
初めて見る海外で、自分の息子がこういうところに誰と住んでこういう仕事をしていると初めて知ったときに、感極まって泣いてしまったと言っていました。
どうやらケイゴさんが、親父に余計な事を言ったらしいんですよ。
「鉄也は成長しましたよ」みたいなことを言ったと、後でケイゴさんから聞きました。
なにもそんな余計なことを(笑)
「成長」と呼ばれるほど、当時はまだまだ「成長」なんて言葉とは程遠いところにいましたし、自分で感じていたことは「日本に居た時から比べたら少し変わったかな?」くらいでしたから。
別に俺は、親や周りに感心されようと思って海外で生活していたわけでもないし、すべては「自分の将来のため」にと思っていました。
「いつかは自分の店を開いてそれを繁盛させて、親孝行したいなぁ」くらいです。
そのためには、自分の好きな仕事を見つけて、一生楽しく働きながら過ごしていたい。
とにかく「後悔するばかりの人生」だけは送りたくないですし、
人生の最期を迎えるときに「あぁ・・・あれもしたかった。これもしたかった。あそこにも行きたかった~!!」なんて考えたくはありません。
それよりも「俺の人生楽しかったな!ここまで来れてまずまずの人生だった!80%くらい、いや、それ以上!本当に楽しい人生だった!!」
と思いながら最期を迎えられたらいいなと思っているし、そうなれるようには毎日ひたすら努力するだけです。
だけど正直、親父の泣き面は見たくなかったですよね。
小さいころから厳しく育てられ、事ある毎によく殴られました。
でも今、そのことを恨んではいませんし、逆にそういうしつけをしてもらって感謝しています。
白は白、黒は黒。
明らかに「うちはよその家庭とは違う育てられ方をしている」と小さいながらにも感じていました。
とにかくすごかったんだって(笑)
最近の日本では、様々な事件が起きています。
例えば「親と喧嘩して、カッとなって親を殺した」というのを良くニュースで見ますが、俺にはどうしてか分かりません。
確かに俺だって、親に対して反抗心を抱いたことはいくらでもあります。
「いつか殴ってやろう」
そう思ったこともありましたよ(笑)
ですが、やはり育ててもらった親父に感謝しているので殴るわけにはいかなかったし、そう簡単に殴れるものでもありません。
子供のころ、親父の背中に憧れました。
いつまでも「強い親父であって欲しかった」というのもありましたが、人は自然に歳を取るものですし、いつのまにか涙腺が弱くなってしまうのですかね。
最近俺も涙腺が弱くなってきた感じはしますからね(笑)
スペインの家庭はものすごく家族の絆が深いです。
日本の家族と比べても、それはもう比べ物にならないくらいです。
とにかく、スペインでは親は子に、「これでもか!」というくらいに愛情を注ぎます。
子もそんな親の愛情を受けて育つので、日本で起きるような事件なんてほとんど見たことも聞いたこともありません。
誕生日だって、クリスマスだって、どんなに子供が大きくなっても、どんなに遠く離れて暮らしていても、その日は家族で一緒に過ごす。親戚も呼んで大きなパーティーになったりもするくらいです。
たまに、エクトールの家族の会話を聞いていると結構楽しいです。
日本でもきっとそんな家族がいるのでしょうが、うちも含めて恥ずかしくてなかなか声に出して言えない人の方が多いのかもしれませんね。
日本では子供が小さければ家族でずっと一緒にいますが、次第に大きくなると家を出てしまい、そのまま帰って来なかったり連絡もほとんどしなかったり。
エクトールの親の話ですが、二日に一回くらい両親から彼のところに「元気か?」と電話がかかってきます。
それを彼は俺に、「ここまでくると、さすがにうっとおしいよ」と言っていましたが、俺から見れば彼は別にそれを嫌がってはいないように見えたし、逆にそんな親を持っている彼は幸せだと思うし、うらやましかった。
いつかは俺も「親」になるかもしれません。
できれば俺も、スペインの家庭のように子供には「これでもか!」というくらいの愛情を注いで、いつまでも家族皆で誕生日を祝えるような家族を作りたいなぁと思います。
しかし、今思い出しても、俺が小さいときは相当なくらい親父に殴られました。
なにもそこまでしなくてもいいとは思いますが、子供には俺の背中を見て育って欲しいなと思います。
いつになるか分かりませんが、
いつか、俺の背中を見て、「すごい親父を持った」と思ってくれることを願います。
なんだか今回も脱線しましたね(笑)
★★★つづく★★★
話は変わりますが、
このお話しについては色々な意見があると思いますが、
スペインに住んでみて感じたことをお話しさせていただきます。
「スペイン人と働いてみて感じたこと」ですね。
先に言っておきますが、
もちろん『みんながみんなそういうわけではない』のですが、
日本人から見た欧米人は、どこか『いい加減』な部分があるように見えます。
しつこいようですが、あくまでも俺の感想です。
生活を見ていても、仕事をしていても、どこか大雑把に見えます。
でも、そこが彼らのいいところなのかもしれません。
きっと、彼らから見た日本人も奇妙に映るでしょう。
それはもちろん承知の上で話しています。
確かに、
彼らの言っていることもスペインで生活をしてみて違いが分かるようになりました。
大まかに言えば、
欧米人は
「日本人は『そこまでしなくても』ということに極端にこだわる」と言います。
日本人からしてみれば「それが普通」であって、
何でも「完璧に近い、もしくは完璧な状態で」としたくなります。
料理に例えてみるとそれがすぐに分かりました。
『一寸の狂いもなく綺麗に材料を切り出したり、何枚ものお皿に料理を全く同じように盛り付けたり』。
そこにも満足感を見出すのが日本人ですが、よその国の人に聞いてみると
それを「すごい」という人もいましたが、反対に「そんなのやりすぎ」という人がいたのも事実です。
俺は、スペイン人と仕事をしていて何度となく呆れたことがありました。
だって、
言われたことすらできないんだもん(笑)
もちろん個人差もありますし、それぞれのやる気の問題というのもあるのでしょうが、
例えば、
料理を料理と思っていなかったり、
盛り付けもどうでもよさそうだったり、
「無ければ、あるものでいいよ」とか、
「お皿の上に食べるものが乗っていればいい」と思わざるをえない食品の扱い方。
全員がそうだったとは言いませんが、結構そういう人が多かったです。
それはきっと、日本の中においても同じ事でしょう。
きれいな仕事をする人もいれば、そうでない人もいます。
外国に住んでいたからこそ、そういう部分が余計に見えてしまったのかもしれません。
「自分の国のことは棚に上げて」いたかもしれませんし。
日本に住んでいる外国人も、ひょっとしたら俺と同じ事を思っているのかもしれませんね。
『日本人ってさぁ、・・・だよね』
なーんて(笑)
もちろん、中にはきれいに仕事をする人も、手際良く働く人もいましたよ。
だから「全員が」とは言い切りませんが、普通に料理を勉強している日本人からしてみるとどうしても納得がいきませんでした。
でも、日本人がそう思っていても、逆にスペイン人の考え方にも興味を持ちました。
確かに、そこまで全員がひどかったわけでもありませんでしたから。
ある日エクトールからこんなことを言われました。
日本でこれを普通に聞いたら変な言い方に聞こえるかもしれませんが、
「客はそこまで見ていない」と。
例えば、四名テーブルでそのうち二名が同じ料理を注文したとします。
日本人の考え方ですと、一寸の狂いもなく同じように見せて盛り付け、どちらの皿がどっちにいっても不満のないように仕上げます。
そこに満足感を得るのも、この仕事をしている醍醐味でしょう。
エクトールは俺にこう続けます。
「八割くらい揃っていれば、そこまで文句は言われない」と。
彼はそこに満足感を見出さず、料理本来の味にこだわるのです。
「良い食材を、美味しく仕上げて、最高の状態で。」
スペイン人はそこにこだわると、彼は続けました。
日本人はそれらに加え、「綺麗に盛り付ける」ところまでこだわるのだと思います。
確かに、美味しい料理であれば「盛り付けが違う」なんて文句は言われたことはありませんでした。
「一人で同じ料理を一度に何皿も食べるわけではないので、多少形が違っても別にいい。それが料理だ」とも言われました。
彼の言い分も一理ありますね。
「妥協」と言われればそれまでなのかもしれませんが、
それはきっと「妥協」ではなくて「価値観」の違いだと思いました。
人の考え方は、千差万別です。
いろいろな考え方があるので、それを無理に押し付けようとはしないほうがいいことは分かります。
日本で働いていたときもそうでしたが、俺は今まで自分の考え方を無理矢理、人に押し付けようとしていたんだということに気が付きました。
自分一人でセクションを任されて、そこにアシスタントが入る。
とにかく、俺と同じように料理をさせて同じように盛り付けないと納得がいきませんでした。
自分の思うようにいかないと機嫌が悪くなって、キレてしまうことも多々ありました。
「それなら人には任せないで、どんなに忙しくても俺一人でやるよ。教える方が面倒!」
と思うこともしばしばありました
いや、しょっちゅうかな(笑)
だけど、エクトールは違いました。
「人ってさ、お前が思っているように全く同じようには仕事をしないんだよ?」
この言葉を言われたとき、自分の価値観がひっくり返りました。
確かにそうかもしれません。
人によってですが、自分と似ている価値観を持っている人はいるでしょうが、自分と全く同じ考えを持つ人というのは、まずほとんどいませんよね。
同じ仕事をしている中でも、やはり一人一人が持つ価値観や感性が違うのは当たり前です。
そこに一人一人の個性も見出すことができるし、そこをお互いに譲り合って、双方が折れながらお互いに納得のいくように仕事をしていくのも一つの案だと思います。
頭ごなしに相手を否定するより、相手のやりやすいような方法で仕事をしてもらうと、その人からも新しく得るものがあったり、お互いにとって良い結果が生まれたりするということもあります。
もちろん、『基本があっての応用』ですけどね。
基本がなってないのに自分の好きなやり方でやったところで、良いものなんて絶対にできません。
ここでお話しさせていただいていることは、あくまでも
「お互いに仕事ができる人同士の価値観のやりとり」です。
仕事ができない人が何を言っても『つまらない言い訳』にしか聞こえないのも事実ですから(笑)
「社会人として仕事をするということは社会人として当たり前」のことですからそこは省略します。
そうやって前向きに受け入れる事ができるようになってからは、
「これが一番良い方法!」ではなく、
「これも良い方法のうちの一つ」と思えるようになりました。
付け加えれば、「これが本物!」と言うつもりもありません。
「これも美味しい作り方のうちの一つ」とか、「これをスペインにいたときに教わった」と言う方が、ずっと説得力があると思います。
ちょっと前から俺が思うのは、
「100%より、80%でいこう!」です。
これ、聞く人が聞いたら「妥協」のように聞こえるかもしれませんが、決してそういう意味で言っているのではありません。
人間が100%でいるというのは、まずあり得ないと思います。完璧な人間なんてこの世には存在するとは思えませんし、いつも100%と言うと、どうもそれは嘘っぽく聞こえてしまいます。
まして「120%」なんてなおさらです(笑)
それに、100%だとすると、それをずっと維持していくか、あとは下がるしかありません。
それなら俺は80%を目指していきます。
例えば、十人が俺の料理を食べて、もちろん全員に越したことはないのですが、十人のうち八人が美味しいと言ってくれれば嬉しいです。
ものすごいことだと思いますよ、「十人中八人」って。
仕事のリズムだって、90%に調子が上がることもあれば、75%に下がったりすることだってあります。
風邪引いて熱なんか出したら50%くらいに下がります(笑)
誰にだって調子が良い時もあれば良くない時だってあります。
それくらいの上がり下がりがあるのも普通なことですし、そういう方が人間として味があるのではないかな?と。
それは決して「妥協」ではなく、
「嘘をつかずに自分に『正直』なほうが、きっと後々になって良い結果が生まれるのかな?」
と思えるようになりました。
今回は、料理の世界から見たスペイン人の国民性や価値観についてのお話しでしたが、とてもこれだけでは説明できないくらいで、引っ張り出せばもっといろいろと出てくるのですが、ここでは大まかな話だけさせていただきました。
もちろん意見は様々で、俺と同じことを考えていない人もきっといるでしょう。
それはごく当然のことだと思いますし、他にも色々な意見があると思いますが、それもその人の「価値観」なので、俺はそれを否定も肯定もしません。
「誰が正しい」というわけでもなく、「間違っている」わけでもありません。
これが俺の「価値観」です。
話が本題からかなりそれちゃってごめんなさい(笑)
★★★つづく★★★
今までいろいろとエクトールと仲が良い話をしてきましたが、実は最初からこんなに仲が良かったわけではありませんでした。
仲が良くても、結局は国籍が違う二人です。意見のぶつけ合いも相当なものでした。
例えば。
俺から見たスペインの話を少々愚痴のように彼に話します。
すると、
彼はどちらかといえばまだ『中立的』でいれる人なので、自分の国の事を庇うことなく俺の意見を聞いてくれたり彼の意見を話してくれましたが、
やはりそれでも、いろいろ文句を言われ続けるとさすがの温厚なエクトールも機嫌が悪くなり、そのまま口喧嘩にもつれ込んで、家でも職場でもしばらく口を聞かないことも多々ありました(笑)
もちろんそれは『当たり前』と言えば当たり前なのかもしれません。
俺の立場から見て『変だなぁ』と思うことでも、彼にしてみれば普通のことで、もちろんその逆のこともありました。
お互いに、生まれた国や育った環境や教育が違うので、お互いの持つ意見が違うのは当然のことです。
その二人が知り合って、共同生活をして、おまけに職場も一緒。
日本ならすぐにストレスでもたまるところですかね(笑)
スペインに来るまでは実家暮らしや一人暮らしをして、
ケイゴさんの家では居候していたので、
今まで気にしなかったようなことが、ここで問題となって現れました。
ホントに、エクトールとは幾度となく喧嘩をしました。
そのたびにお互い生活しづらかったし、俺は何度となく、「一人暮らしのほうがいいや!」と思いましたが、
スペインではワンルームマンションを探すほうが難しいし、一人で高い家賃を払うわけにもいかないので、この「ルームシェア」という形が一番ベストな方法でした。
「郷に入れば郷に従え」
よく聞く言葉ですが、まさにその通りです。
俺は『外国人』なのだから、よその国に来たらその国のルールに従わなくてはいけないこともあります
というよりか、ほとんど従わなくてはならないのが普通でしょう。
自国の考え方をそのままよその国に持って来たとしても、三日ともつわけがありません。
そういった、『自分の国と違うもの』を受け入れられるように前向きに考えられると、今まで自分が持っていなかった『違った価値観』というものが見えてきて、自分にもいい勉強になりました。
せっかく違う国に来ているのだから、料理と言葉だけではなく、その国の習慣や文化、価値観を学ぶのも大きな収穫になると思うし、俺はそれを絶対に薦めます。
俺もそうやってケイゴさんに言われました(笑)
それが嫌なら外国に住む必要などなく、すぐに日本に帰ってしまえばそんなことは全く気にしない生活をしていけますからね。
「いいなぁ!スペインなんて外国に長いこと住んでて」
よく言われますが、決してそうでもないです。
そう言われて返す言葉は、
「住むのと旅行で来るのとは全く違いますよ」。
旅行ならば観光して楽しんで癒されて、とにかく良い思いをして帰るのが普通ですが、実際に住んでみるとその国のいい部分だけでなく、良くないところも少しずつ見え始めてきます。
旅行だと、添乗員さんが一緒にいてくれれば何の問題もなく楽しい旅行ができるでしょうし、個人旅行でも行きたいところ、見たいところ、食べたいところを好きなように選べて。
ですが、住んでみると
以外にも『些細なこと』が積もり積もって、気が付いたら大変なことになっていたりします。
そういうことに嫌気が差す人もいるでしょうが、前向きに考えて物事を解決していくと、これが結構面白いんです(笑)
そんなときに、
「そうだ。俺は今、外国に住んでるんだっけ」と、変に実感することもありました。
ケイゴさんの家でお世話になっていたときは「居候」としてケイゴさんの家族と一緒に暮らしていました。
「居候」というのも生まれて初めて経験することだったのですごくいい経験になりましたが、やはりどうしても気を遣ってしまいます。
タバコが吸えなかったり、長々と風呂にも入らなかったり。
そうそう、『お風呂』といえば!
バルセロナのマンションに住み始めて二ヶ月目くらいに、いきなりエクトールとエリに怒られました。
もうケイゴさんの家を出ていたので、そのときは気兼ねなく毎日のように風呂に湯を張ってのんびりと浸かっていましたが、
翌月になると、彼らが俺の前でヒソヒソと話をしているので聞いてみれば、
『水道代がいつもの倍になった』と(笑)
スペインでは風呂に入る習慣がないようで、ほとんどシャワーで済ませる人が多いみたいです。
ちょっと古いアパートタイプの住居だと、風呂場に湯船なんてどこにも見当たりませんからね。
そのため、お湯を張って毎日浸かっていると相当な額になるのは当たり前ですね。
渋々、その月の差額は俺が全部払いましたよ。
それ以来。
『お風呂にゆっくり浸かるのは週に一度だけ』と決めました(笑)
★★★つづく★★★
今年もあっという間に一年が過ぎていき、もうクリスマスの時期がやってきました。
スペインに来てから、一番早く感じた一年でしたね。
さて。
ルックラでは、『年越しコースメニューの料理』と『12粒のブドウ』に、
『生演奏で朝までレストランで踊りましょう』というオプションが付いたスペシャルプランを用意していました。
食事をした後、お客さんが年越しの12粒のブドウを食べ終わってから、夜の0時以降に店内がクラブに早変わりして営業を続け、お客さんは飲みながら朝まで踊り明かします。
日本でもやってみたいですねこれ(笑)
しかも、レストランの年越しメニューの相場は、10,000ペセタから20,000ペセタなのに、
なんとこの店は30,000ペセタもいただくというんです。
まぁ、オプションの『朝まで生演奏』もついていましたけど、
あ、それと
朝食の『目玉焼き』も付いてましたね(笑)
「そんなに高い値段で、ホントにお客さん入んのかなぁ?」
と、誰もがそう思っていましたが、
予想とは裏腹に、12月の頭から受付を始めると、
定員の80名が、
1週間もしないうちに予約であっという間に埋まりました。
「うそぉ!?」
「ありえないねぇ。こんなに高いお金を払ってまで!?」
今思えば、
この頃のスペインはバブルの絶頂期だったのでしょうね。
一昔前に日本で経験したようなことが、こちらスペインでも起こっていました。
大抵のスペイン人は、クリスマスから年末の時期は家族と過ごしたり、親しい友人達とホームパーティーをしますが、中には、年末をこのようにレストランで豪華に過ごす人も結構多いです。
そして12月、こちらも『忘年会シーズン』に突入し、
毎日毎晩、厨房はいつもよりさらに忙しい毎日を送っていました。
10名、20名、30名の団体さんは毎晩のように当たり前。
だって、
250席あるレストランでしたからね(笑)
中には、
当日の朝、宴会予約のお姉ちゃんが
その日の晩の団体さんのメニューを突然持ってきたり。
それがまた、一度だけではなく、何度も何度も
「またかよ!!」という感じで。
しかも、『20名』とか『30名』の団体さんですよ。
ありえません(笑)
あのお店、
今思い出してもホントに狂ってました(笑)
でも、もちろんやりますよ。
20名だろうが30名だろうが40名の団体さんだろうが、
その日のうちにスタンバイして料理出しましたよ。
皆、プロですから。
というより皆、
『できません』って言えませんでした(笑)
そんな感じで31日の昼までは通常営業をしていましたが、
夜から「特別コースメニュー」のみの営業になると、調理場は決まった料理をお客さんが食べる流れで順番に出していくだけなので、いつもよりは忙しくならないので店の半分くらいのコックは先に帰って自宅でゆっくり休んで年を越すことになりました。
いわゆる『早上がり』です。
残った「料理出しメンバー」は、
偶然にもほとんどこのお店の「オープニングスタッフ」だけでした。
もちろん、予定なんてありませんでしたから俺も残って料理番です(笑)
『残業手当』なんて出ませんでしたが、
そんなもの別に要りませんでしたし、むしろ楽しかったです。
しかし不思議です。
こうして「オープニングスタッフ」だけで働くのは、実にオープン以来。
途中から、ものすごい数の人がお店に働きに来ては辞めていきましたから(笑)
もちろん、最初から一緒に働いているメンバーだけあって、
後から入ったスタッフより気兼ねなくスムーズに仕事が出来ました。
皆がどうやって動くかなんて、半年も一緒に働いていると体が慣れるし、お互いに相手の動きが分かっているので、正直言って楽です。
『年末』ということもあり、気分も良く浮かれていたせいもあって、
俺は仕事の途中からシェフに
「あの、お願いがあるんですけど…」
「ん? なんだ?」
「今日は仕事しながらお酒飲んでもいいですか?」
どんだけ浮かれてるんだこの日本人(笑)
「ホールのスタッフに見られるなよ」とシェフからなんとかOKをもらい、
自分のセクションの魚料理を一卓分出す毎に、料理用に使っていたハウスの白ワインをグラスに注いで、俺の隣で肉料理を出していたスペイン人コック、パチョと一杯ずつ飲み始めました。
すると、次第に俺の顔も赤くなっていき、
「おいおい、テツ、お前相当酔ってるだろ?」
遠くで皆が俺のことを指差して笑っています。
もちろん、酔ってなんかいません。
飲むと顔がすぐ赤くなるのでどうしてもそう思われがちですが、酔っていたのではありません。
空腹だっただけです(笑)
初めてスペインに来てから今までのことを振り返りながら、一杯一杯グラスに注いだワインを飲み干しました。
とにかく、今までだけでいろんなことがありました。
当然、今すぐ日本に帰るつもりなんて全くなく、
これから先どうなるのか、正直不安もあったけどそれ以上にすごく楽しみでした。
年越しに食べるブドウだって、今回はちゃんと皮を剥いて種も取って、
12粒をお皿に乗せ、上からラップをかけて冷蔵庫で冷やしておきました。
準備万端です。
12時になって、厨房とホールのスタッフ皆でブドウを食べました。
そして、乾杯。
明らかに客席に聞こえてるくらいにでかい声出して騒いじゃってました。
無事に年も明け、それまで魚場にいた俺は順番に温前菜、米、肉料理と、一通りのセクションを回り、またそのセクションを任せてもらえ、色々な料理を学ばせてもらえました。
行くことができなかったのは残念でしたが、
ある意味、『あの有名な店』へ行くことを断って良かったと思っていました。
そうでもないと、今頃いろんな意味で悩んでいたのかもしれません。
もちろん、当時全く悩んでいなかったわけではなく、
この頃は俺にとって、スペインに来てから一番忙しくてたくさん悩んだり苦しんだりしていた時期でしたが、
それ以上に、
公私共に今までで一番楽しくて充実していた時期でもありました。
今でもこのお店にいたときの思い出話を始めたら、きっと朝まで話しても終わらないに違いありません。
今でもほとんど鮮明に覚えています。
そんだけ忙しい店だったら絶対に忘れらんないって!(笑)
★★★つづく★★★
スペインの飲食店では、チップを『払う』というか『置いていく』習慣があります。
スペイン語で「Bote(ボテ)」や「Propina(プロピナ)」と言います。
レストランへ食事に行ったりすると、お会計を払った後のおつりの小銭をそのままチップとして置いて帰ったり、食事の金額の一割くらいや、たまに「ドン」と結構な額を置いて帰っていくご機嫌なお客さんもいました。
スペインは日本のお金より小銭の種類が多く、
『おつりを小銭でもらっていると財布がパンパンになってしまうのが嫌だから』
チップとして置いて行くのか
もしくは、そのお店に対しての気持ち良く食事できたことに対してのお礼の意味も込めてチップを置いていくのか
日本で言う
『あ、おつりは結構です』が、スペインでは当たり前のような習慣です。
今考えると、当時のスペインはある意味『バブル期』だったのでしょうか。
それはさておき、チップです。
お客さんからいただいた一週間分のチップは、
翌週になると全てまとめられて、従業員一人ひとりに均等に分けられます。
端数は翌週に持ち越しです。
ルックラでは、昼夜合わせて一日当たり約400名ものお客さんが入っていたので、そのお客さん一人ひとりが少しでもチップを置いていってくれると、
次第には「チリも積もれば山となる」の法則で、一週間で相当な額に膨れ上がります。
当時、安月給な上に高い家賃と水道光熱費や生活費を支払って残る額は本当に微々たるもので、
この毎週いただける「副収入」が、うちらにとって生活の糧だったと言っても過言ではありません。
そこで、エクトールと俺が思いついたことは、
その「副収入」を増やすことでした(笑)
毎週もらえる額はまちまちでしたが、大体5,000ペセタから7,000ペセタ。
日本円で約五千円前後といったところです。
そのチップが、当時のルックラの従業員全員、
約40名に配られるのですから、相当な額です。
その「なけなしのお金」を持ってエクトールと向かった場所は、
『ビンゴ場』でした。
『Bingo Don Pelayo Barcelona』
前から目をつけていたビンゴ場です。
大きな扉のある入り口を抜けると、
ちょっと豪華な絨毯が敷き詰められた、怪しそうな雰囲気の広い会場の中に丸テーブルが会場いっぱいに並んでいて、そこを囲むように小金持ちそうな人がたくさん座っています。
店主、不覚にもちょっと緊張してしまいました。
なにぶん初めてだったもので(笑)
壁には、デジタルで現在のゲームの賞金が表示されています。
コンパニオンのお姉ちゃん達がチケットを歩いて各テーブルを回って売っています。
中にはかわいい子もいましたが、
コンパニオンっても『バニーガール』ではありません念のため(笑)
前方中央にメインテーブルがあり、透明なアクリルでできた大きな箱の中に、90個のボールがぐるぐると風で飛ばされていて、それが順番に機械によって選び出され、コンパニオンによって数字を読み出します。
チケットは六枚綴りでできていて、その六枚の中に1から90までの数字が15個ずつばらばらに入っています。
六枚のうち一枚だけを買うより、六枚綴りを1セット買ったほうが必ずどこかで数字が出てくるので、当てやすいといえば当てやすいですね、確率的にも。
そして、その一枚のカードの中のどれか一列が揃えば「Línea(リネア、列)」、
数字が全部埋まれば「Bingo(ビンゴ)」ということになります。
その六枚綴りを一組で買ってもいいし、その中の一枚だけとか、二枚だけとか、自分の好きな枚数だけを買うことができます。
確か、一枚300ペセタくらいだったような記憶がありますが、
ゲームによって値段も違ったりしていましたね。
もちろん、一枚が高い値段だと配当金も高いです。
当然、六枚綴りを買うほうが当たる確立が高いです。
ですが当然、自分の払う額も六倍になります。
うちらは二人で六枚綴りを買い、
『当たったら賞金は山分けにしよう』という条約を結んでいました。
初めてビンゴを体験した日は、読まれていくボールの数字を耳で聞きながら自分のチケットの番号を追いかけていくことができず、会場のいたるところにあるテレビ画面を見ながら番号を追っていました。
それが、次第に慣れてくると読まれている数字が自然と耳に入るようになり、自分にとってある意味いいスペイン語の勉強にもなりました。
賭け事を正当化しています(笑)
賞金は、そのときの参加数や一枚の掛け金にもよりますが、
大体リネアで10,000ペセタ、ビンゴだと60,000ペセタにもなります。
しかし、これがなかなか当たるようで当たらないんです。
当たり数字一つだけを残して、他の人に賞金を持っていかれたりすることは多々ありましたね。
そんな中、
初めてビンゴを当てたのは、
俺ではなくエクトールでした。
数字が残り一つになっても
『リーチ!』なんて普通言わないので、いきなりです。
俺の隣でさりげなく、
「Bingo」
と一言だけ言って、手を挙げるエクトール。
「え!? マジかよ!!」
その、
手を挙げた姿がなんともまぶしかったこと(笑)
もう一度言いますが、
数字が残り一つ前になっても「リーチ!」なんて言わないので、いつ誰が急に声を上げるか分かりませんから残り一つの時なんてかなり焦ります。
「残りあと一つ。出るか? 出るか!?」
会場がざわざわしてくるのでそれとなく『そろそろ誰か当たりそうだな』というのは判りますけど、そのときに自分の番号が全然揃っていないと悔しくてたまらないんですよ。
そうなったらもうそのゲームは捨てて、もうタバコに火をつけて次のゲームを待ちながら読まれた数字を自分のカードから見つけ、咥えタバコでなげやりな感じでめくります。
暇つぶしにコンパニオンのお姉ちゃんを眺めていたり(笑)
そして、ビンゴが出るとすぐにそれは近くに居たコンパニオンによって確認されて、場内に『ビンゴが出ました』とアナウンスが入り、賞金が渡されます。
エクトールが当てたときは
60,000ペセタを二人で割って、一人30,000ペセタの副収入。
貯金をしたり、生活費として使うどころか、
「よっしゃ!これからちょっと出掛けてパーッとやろうか!」
と、
エクトールのバイクの後ろに乗っかって、うちらは夜のバルセロナの街へと消えました。
とっておけば生活の糧となるのに(笑)
しかし、
あの日から
すっかり味を占めちゃいましたね。
週に一度のチップが入ったときには、いつからかジョルディや英ちゃんも含め皆でビンゴへ行くようになりました。
初めて当てたときのゲンを担ぎ、そのときにエクトールが頼んで二人で飲んでいたガス入りのミネラルウォーター「VICHY CATALAN(ニョスキにも置いてあります)」を、
グラスに氷をがっつり入れて毎回飲むようにしていました。
それだけ切実だったんですって(笑)
しかし、賭け事って魔物ですね。
大抵が無一文ですっからかんで帰ることのほうが多かったですけど(笑)
ですがある日、
英ちゃんと二人だけで行った時のこと。
ビンゴ場に入り、
『とりあえず』のつもりで最初に買った、六枚綴り一組。
「さぁて、今夜はどうなるかな?」
と思いながらカードをめくっていたら
英ちゃんがいきなり
「ビンゴ!」
「うそぉー!!」
なんと一発でビンゴが当たっちゃったんです(笑)
しかも、そのときは参加数も多く、
そのゲームの賞金が出ている電光掲示板を見たら、
『100,000pts』と、
それはもう、とてもまぶしい光を放っていました(笑)
二人で割っても、一人50,000ペセタ。
当然ここは勝ち逃げです(笑)
その後は二人で、
俺のバイクに乗って夜のバルセロナの街に消えて行きました。
スペインへ渡ってから
めちゃめちゃ仕事していましたが、
しっかり遊んでもいましたよ。
若い頃、先輩に言われたことを思い出します。
「いいか。仕事ができる人間ってのはな?遊びもすごく上手なんだよ。だから、いっぱい仕事したらいっぱい遊べよ!!」
はい。
俺もその道を行かせていただきます!(笑)
★★★つづく★★★