「ぼくのおみせ」ができるまで 忍者ブログ
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エル ニョスキ店主の スペイン バルセロナでの料理修行体験記。 といっても、 料理のお話だけではありません! 時間があるときに少しずつアップさせてもらいます♪ ※当ブログの無断転載はしないでくださいね!! でもまぁ転載するほどの大作でもありませんけど(笑)
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2012/02/19 (Sun)
 
 
 
スペインで仕事を始めてから、初めて「Vacaciones(バカシオネス)」をもらえることになりました。
 
「バケーション」。
 
「長期休暇」です。
 
 
しかも
一年に一度、もれなく一ヶ月もの休みが有給でもらえるのです。
 
 
 
ここはなんて素晴らしい国なんだ!!(笑)
 
一度日本に戻ってからもうかれこれ三年近く経とうとしていたので、休みがもらえる一ヶ月の半分の二週間くらいは日本に帰ってゆっくりしようと早速計画を立てました。
 
親父に電話をしてその事を伝えると、そのついでに親父がスペインに来て旅行がしたいと言い始めたので、先に俺が日本に帰って、スペインに戻るときに親父を連れて観光をしよう、ということになりました。
 
 
しかし。
久しぶりに日本に帰って一番困ったのが「時差ボケ」でした。
 
なんだかんだとずっとバタバタとしていた毎日を送っていましたし、なんだかんだと毎日気を張っていたのもありましたし、帰国して家に帰るなり安心しきって爆睡でした。
 
 
とにかく、
どれくらい時間が経ったかもわからないくらい寝てました。
 
多分、24時間くらい寝たままの状態でしたね。
 
そんな俺を見て親父も痺れを切らしてしまったのか、
「お前、いい加減に起きろ!」と少々怒鳴られ気味に言われましたが、時間がずれているのでこればかりはどうにもなりません。
 
日本とスペインの時差は、冬場で八時間、夏場で七時間。
日本とスペインでは昼と夜がちょっとずれます。

日本からスペインに行く場合は「太陽を追いかけて行く」ので一晩寝れば大抵治りますが、太陽の方向と逆に行くと、それが急にずれるみたいです。
 
しかし。
頭では分かっているけど、体が分かってくれません。
日本に居る間は、昼間に眠くて夜に目が覚めてしまう日が続きました。
 
でも、そうも言ってられないので無理矢理にでも時差ボケを直し、落ち着いてからジャンボさんに電話をしたり、友達に会ったりしているうちに、あっという間に二週間が経ってしまいました。
 
 
 
結局全然休めませんでしたね(笑)
 
 
そして、二週間が経ち、親父を連れていざ、スペインへ。
 
今回、親父にとっては初めての海外旅行でした。それまでは親父に手紙を書いたり電話で話したりしていましたが、親父にとっては全く想像もつかない世界です。
それに、今まで俺がどんなところに住んで、どんな仕事をしているのかなんて、横浜のホテルにいたとき以外に見たこともありませんでしたからね。
 
とにかく親父にとっては初めての海外旅行なので、空港内でも飛行機の中でも親父は周りをキョロキョロと見回したり、落ち着かない様子でした。
 
 
やがて飛行機は離陸します。
 
初めて見る外国の空。
 
シベリアの大地やヨーロッパの田園風景。
 
親父はまるで子供のようでした。
 
 
 
俺が初めてそれを見た日と光景がダブって見えました。
 
 
「子は親に似る」って本当です(笑)
 
 
 
そして、約14時間の空の旅も終わり、
バルセロナの空港に着いてから、そのままタクシーに乗って家まで行きました。
空港から家まで約二十分の距離です。
家で少しゆっくりして、仕事から帰って来たエクトールと英ちゃんを紹介して、その夜はすぐに眠りました。
 
翌日からバルセロナ観光をして名所へ案内したり、「ルックラ」に連れて行き食事をして調理場に案内して仲間を紹介したり、ケイゴさんのお店にも連れて行きました。
 
俺がロサさんと話をしている間、ケイゴさんが何か親父と話をしていましたが、気にせずにロサさんと話し続けていました。
 
 
そして夕方になり、
ケイゴさんのお店を出て駅まで送ってもらい帰りの電車を待っている時。
 
駅のホームで親父が急に涙を流して泣き始めました。
 
「どうしたの?何泣いてんの?」
 
親父は黙ったままうなずいていた。
 
しばらくしてから親父は俺に、
「お前の人生だから、ここで好きなようにやってこい」と。
 
俺がスペインに来て四年目にして初めて、俺の海外生活に納得してくれたことをこの耳で聞きました。
 
 
半ば喧嘩腰で強引にスペイン行きを決めましたからね。
 
 
初めて見る海外で、自分の息子がこういうところに誰と住んでこういう仕事をしていると初めて知ったときに、感極まって泣いてしまったと言っていました。
 
 
どうやらケイゴさんが、親父に余計な事を言ったらしいんですよ。
 
「鉄也は成長しましたよ」みたいなことを言ったと、後でケイゴさんから聞きました。
 
 
なにもそんな余計なことを(笑)
 
 
「成長」と呼ばれるほど、当時はまだまだ「成長」なんて言葉とは程遠いところにいましたし、自分で感じていたことは「日本に居た時から比べたら少し変わったかな?」くらいでしたから。
 
 
 
別に俺は、親や周りに感心されようと思って海外で生活していたわけでもないし、すべては「自分の将来のため」にと思っていました。
「いつかは自分の店を開いてそれを繁盛させて、親孝行したいなぁ」くらいです。
 
そのためには、自分の好きな仕事を見つけて、一生楽しく働きながら過ごしていたい。
とにかく「後悔するばかりの人生」だけは送りたくないですし、
人生の最期を迎えるときに「あぁ・・・あれもしたかった。これもしたかった。あそこにも行きたかった~­!!」なんて考えたくはありません。
それよりも「俺の人生楽しかったな!ここまで来れてまずまずの人生だった!80%くらい、いや、それ以上!本当に楽しい人生だった!!」
と思いながら最期を迎えられたらいいなと思っているし、そうなれるようには毎日ひたすら努力するだけです。
 
 
だけど正直、親父の泣き面は見たくなかったですよね。
 
 
小さいころから厳しく育てられ、事ある毎によく殴られました。
でも今、そのことを恨んではいませんし、逆にそういうしつけをしてもらって感謝しています。
 
白は白、黒は黒。
 
明らかに「うちはよその家庭とは違う育てられ方をしている」と小さいながらにも感じていました。
 
 
とにかくすごかったんだって(笑)
 
 
最近の日本では、様々な事件が起きています。
例えば「親と喧嘩して、カッとなって親を殺した」というのを良くニュースで見ますが、俺にはどうしてか分かりません。
確かに俺だって、親に対して反抗心を抱いたことはいくらでもあります。
 
「いつか殴ってやろう」
 
そう思ったこともありましたよ(笑)
 
ですが、やはり育ててもらった親父に感謝しているので殴るわけにはいかなかったし、そう簡単に殴れるものでもありません。
 
 
子供のころ、親父の背中に憧れました。
 
 
いつまでも「強い親父であって欲しかった」というのもありましたが、人は自然に歳を取るものですし、いつのまにか涙腺が弱くなってしまうのですかね。
 
最近俺も涙腺が弱くなってきた感じはしますからね(笑)
 
 
スペインの家庭はものすごく家族の絆が深いです。
日本の家族と比べても、それはもう比べ物にならないくらいです。
とにかく、スペインでは親は子に、「これでもか!」というくらいに愛情を注ぎます。
 
子もそんな親の愛情を受けて育つので、日本で起きるような事件なんてほとんど見たことも聞いたこともありません。
誕生日だって、クリスマスだって、どんなに子供が大きくなっても、どんなに遠く離れて暮らしていても、その日は家族で一緒に過ごす。親戚も呼んで大きなパーティーになったりもするくらいです。
たまに、エクトールの家族の会話を聞いていると結構楽しいです。
日本でもきっとそんな家族がいるのでしょうが、うちも含めて恥ずかしくてなかなか声に出して言えない人の方が多いのかもしれませんね。
 
日本では子供が小さければ家族でずっと一緒にいますが、次第に大きくなると家を出てしまい、そのまま帰って来なかったり連絡もほとんどしなかったり。
エクトールの親の話ですが、二日に一回くらい両親から彼のところに「元気か?」と電話がかかってきます。
それを彼は俺に、「ここまでくると、さすがにうっとおしいよ」と言っていましたが、俺から見れば彼は別にそれを嫌がってはいないように見えたし、逆にそんな親を持っている彼は幸せだと思うし、うらやましかった。
 
いつかは俺も「親」になるかもしれません。
できれば俺も、スペインの家庭のように子供には「これでもか!」というくらいの愛情を注いで、いつまでも家族皆で誕生日を祝えるような家族を作りたいなぁと思います。
 
 
しかし、今思い出しても、俺が小さいときは相当なくらい親父に殴られました。
なにもそこまでしなくてもいいとは思いますが、子供には俺の背中を見て育って欲しいなと思います。
 
いつになるか分かりませんが、
 
いつか、俺の背中を見て、「すごい親父を持った」と思ってくれることを願います。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
なんだか今回も脱線しましたね(笑)
 
 
★★★つづく★★★
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