「ぼくのおみせ」ができるまで 忍者ブログ
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エル ニョスキ店主の スペイン バルセロナでの料理修行体験記。 といっても、 料理のお話だけではありません! 時間があるときに少しずつアップさせてもらいます♪ ※当ブログの無断転載はしないでくださいね!! でもまぁ転載するほどの大作でもありませんけど(笑)
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2008/10/12 (Sun)
1.    本当に些細なきっかけ
 
「寺ちゃん、スペインに働きに行かない?」
 
一九九六年、春、広島。チャンスはすごく唐突にやってきました。
当時働いていた某ホテルの同じ職場でホールのアルバイトをしていた綾乃ちゃんに、そうやって話を持ちかけられました。
綾乃ちゃんは1992年、バルセロナでオリンピックがあった年に、現地の日本料理店へ日本選手団のお弁当作りの手伝いに行ったことがあり、そのお店が「日本人調理師を探している」という話を当時から聞いていたそうです。
 
それまでの俺は、地元の県立高校を卒業してからすぐに地元にあるホテルに就職。「洋食調理師見習い」からスタートで宴会調理部に配属され、三年目から広島へ出向させてもらいました。
こんなことを言うと、若僧の戯言にしか聞こえませんが、
「俺って一体、この先何がやりたいんだろう?」
いつからかそう思い始めていたのです。先輩の方々ごめんなさい(笑)
 
というワケで、「本当に自分は何をしたいのか?」を探すために、とりあえず今働いているところからどこか違う所へ行って働いてみたくなり、以前からホテルの調理部長に出向願いを出していました。するとちょうどその年の秋に広島で「アジア大会」が開催されるため、当事広島ではホテルの建設ラッシュで同じ系列のホテルもできるということで、丁度タイミング良く広島行きの話が俺にかかったのです。
 
それとは別に、
前々から「実家を出て一人暮らしをしてみたい」という思いがすごく強かったんです。
 
「高校を卒業したら大阪の調理師学校に行って、知らない街で生活してみたい!」
と親父に相談したこともありましたが、即答で反対され断念せざるを得ませんでした(笑)  そのため、「一人暮らし」というものにすごく憧れがありましたが、就職してからも相変わらず一人暮らしすらさせてもらえず、「何が何でも一人暮らし!!」と、今回は反対されないように親父に軽く嘘をついてみました。
 
「会社から広島に行ってこいって言われたんだよ。三ヶ月ね」
 
親父は、俺がそのホテルに就職が決まったことをかなり喜んでいました。
「できればこのホテルで出世をして、いつかは料理長にでもなって安泰するだろう」
 
と思っていたそうですが、そうは問屋が卸しません(笑)
 
そのホテルに命じられて行くのであれば、今回ばかりは親父も反対できないだろうと予想していました。我ながら、今回は上手い嘘をついたなぁと少し感心したりして。
普段からあまり嘘がつけない性格で、ついてもすぐにバレたりするので、いざ「嘘をつこう!」と思うと結構四苦八苦するんです(笑)
そしてこの「嘘つき大作戦」は見事に成功、予想通り親父は賛成せざるを得なくなり、
一九九四年八月、俺は広島へ行き、晴れて親元を離れての「念願の一人暮らし」という生活をすることになったのです。
 
広島に行った当初はまだ「横浜からの出向社員」扱いだったので、ホテルの客室を寮代わりにして生活していました。
ですが、知らない土地で刺激のある毎日を送り、たくさんの人たちとの出会いもあり、なおかつ仕事も面白い。
「それならいっそこのままこっちに残らせてもらおう!」と、広島に行ってから3年目に入る前には移籍という形で広島の地に残りました。
移籍した理由の一つに「彼女ができたから」という理由ももちろんありました(笑)が、それよりもやはり、「今までとは全く違った生活をしていた」という事が余計新鮮に感じたのでしょう。
そして、移籍が決まってから、ホテルからバイクで5分のところに部屋を借りて念願の「一人暮らし」が始まりました。
 
が、ある休みの日の夕方。
部屋でテレビニュースを見ながら夕食を取っていたときにふと思ったんです。
――親元を離れ、念願の一人暮らしを始めた。これからは新しく、ささやかだけど自由で楽しい生活が始まろうとしていた―― 
にもかかわらず、
「違う! 俺が探し求めていた生活は、これじゃない!!」
 
求めていたようで、自分はこういう生活を本当に求めてはいなかったことに気がついたのです。
店主、そういう意味で「何にも考えずに突っ走る」性格は、昔も今も変わってません(笑)
 
 
調理師学校には行かず、高卒でそのままホテルに就職したので、独学で調理師免許は取りました。とにかくいろんな事にチャレンジして毎日刺激のある生活がしたかったんです。しかも、その頃あまり飲めなかったにも関わらず、夕方から一人で冷奴つまんでビールなんか飲んでちょっと背伸びもしてみましたが、このいたって平凡な「晩酌」が、余計に平凡な生活からの脱出心を駆り立てたのかな? と、今でも思います。
 
当時22歳ですもの。そりゃどう見たって背伸びにしか見えませんよね(笑)
 
中学生から高校生になっても、ホテルに就職してからもアルバイトに精を出してました。新聞配達から始まって、それ以外は今までずっと飲食関係 ――酒屋の配達、八百屋のレジ打ち、そば屋のホールや出前、精肉店、いろんなレストランでの接客や調理など―― 

 とにかく、いろんな経験をしてみたくてなんでもやりました。高校に入ってからラグビー部に入ったけど、どうしても料理がやりたくて途中で退部させてもらって、地元にあったスパゲティレストランでアルバイトを始めました。とにかく料理に興味を持っていて、どれくらい料理が好きだったかというと、時代をさかのぼれば小学校五年生のときのクラブ活動で、女子に紛れて料理クラブに入っていたのを思い出します。

 当時両親は共働きだったため、家に一人でいるときは冷蔵庫にあるものを勝手に引っ張り出して、包丁をいじってみては指を切ってみたり、今どう考えてもおかしなものを作ってみて、「お、なかなかいけるじゃん!!」とか思ったりして、弟や近所の友達を呼んでは試食してもらっていました。さすがに「ウィンナーのてんぷら」を作って、ウィンナーが高熱の油の中で破裂したときは、恐怖すら覚えましたが(笑)
あの時はホントに「あわや大惨事」でしたけど、
「怖いから、痛いから」という理由で料理をやめようとは一度も思いませんでした。
 
「食べ物を作る」という事が、ただ純粋に楽しかったんです。


★★★つづく★★★
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