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さて。
あの「悪夢」の後。(笑)
俺はジローナに戻ってから、バルセロナに引っ越す準備を始めました。
くよくよしている場合ではありません。
あれ?
何かありましたっけ?(笑)
部屋で荷物を全部まとめると、その日の夜エクトールが迎えに来てくれました。
事前に来てもらうお願いはしていたのですが、やっぱり彼の車のガソリンの残量だけはいつも気になってしょうがないですね(笑)
すでにエクトールは、一緒に働くバルセロナの新しい店に行くために今まで働いていた「フォルケー」を辞めていたので、俺を迎えに来てくれる余裕があったのです。
「持つべきものは友達」ですね。
いや、
単に俺が甘えちゃってるだけです(笑)
ここまで来たら、
後は「バルセロナで新しいレストランが出来上がる」のと「労働許可が下りる」という二つの事を待つだけでした。
「皆、短かい間だったけどどうもありがとね。たまにはこっちまで遊びに来るからさ!」
「おう、うちらも近いうちにバルセロナに遊びに行くよ!」
同居人達に軽く挨拶をして、俺はジローナを後にしました。
帰り道、車中ではエクトールと「この半年間に起きた話」で盛り上がりました。
エクトールはエクトールで、俺のいない間にマンションで起きた出来事や、最近辞めた「フォルケー」の話をしてくれます。
「あれ?」
なぜか今回は、彼の車のガソリンランプは満タンだったんですよ。
ガソリンメーターを覗き込んだ俺に気が付いたエクトールが、
「さっきガソリン入れてきたから。今回はさすがに危なかったよ!!」
「なんだよ、やっぱり赤ランプだったのかよ!ってお前はいつも危ないだろ!!」
間一髪で、高速道路で車を押さずに済みました(笑)
バルセロナまで向かう道中ですが、夜だったためか高速道路も空いていて意外と早くバルセロナに着きマンションに戻れました。
二人でコーヒーを飲みながらゆっくりしていると、ジョアン・ピケからエクトールの携帯に電話がきました。
しばらく話してエクトールが電話を俺に換わります。
電話を換わる前に、彼はニヤニヤしながら小声で俺に、
「明日からまたジローナだね」
「は?」
電話に出ると、ジョアン・ピケが
「レストランの話しなんだけど、6月に最終的にオープンが決まったから、それまでもう一度、ジローナにある俺の店で働きに来いよ。今度は『カル ロス』ではなくて、この前オープンした新しい店にな。来るか?」
返事をゆっくり考えてる時間もなかったので、
「そうですね。それじゃ明日、ジローナに行きます」と、即答です。
ジローナに行かないとなるとこれから一ヶ月も何もしない時間ができてしまうし、お給料もいただけるし、そう返事するしかないですよね、普通(笑)
電話を切ってからまた、エクトールと目を合わせて大笑い。
「なんだよそれ!!『一日前にそれ伝えろよ!!』だよなぁ?」
新しいレストランは6月にオープンを控え、他のコック達は先に調理場に入って仕込みを始めるらしいのですが、俺はその時点ではまだ労働許可が下りていないので、許可が下りるまでは新しいお店では働けないからと、ジョアン・ピケが気を遣ってくれたのです。
俺は早速、ジローナの「元」同居人達に電話を入れます。
「また明日、ジローナに行くことになったからさ。まだ『俺の部屋』空いてるよね?」
「えぇっ!? なんだよそれ!!」
バルセロナに戻った当日に、また次の日ジローナに行かなければいけない連絡が入るとは偶然というか、かなり笑える話です。
エクトールもすでに「フォルケー」を辞めていたので、バルセロナのレストランがオープンするまで、俺が前に働いていたレストラン「カル ロス」へアルバイトに行くという話が決まりました。
エクトールはバルセロナからジローナまで毎日車で通うそうです(笑)
翌日、何事もなかったようにジローナに戻ると、同居人達は俺を大歓迎。
俺がいなくなったことが、かなり寂しかったようです。
そんなこと言われちゃうと、こっちも照れちゃう(笑)
そういう俺も、彼らとお別れしてしまって実はかなり寂しかったんですよ。
本当に楽しい半年間でしたからね。
俺は照れ笑いしながら、
「またよろしくな! でもさ、昨日お別れ言ったばっかりなんだけどなぁ?」
「まぁ、これでまたしばらくは皆で一緒に居られるな!」
早速その日の晩は皆で明け方まで飲みながら、また「サンロック」のジョアンの話です(笑)
バルセロナに戻る前にあまり時間がなかったので話せなかった事まで皆に全部話したら、俺の中で「あの悪夢」は完全燃焼しました(笑)
そして。
今回俺が働きに行く事になった「ジョアン・ピケが新しくジローナでオープンさせた店」とは、俗に言う「お惣菜屋さん」です。
「お店で作った料理をお客さんが買いに来て持ち帰る」という「デリカテッセン」。
当時のスペインでは新しいスタイルでした。
お店で作っていたものは郷土料理の煮込み、いろいろなサラダ、パスタにソースを和えたもの、コロッケなどの揚げ物、などなど。
それとは別に、平日の昼間はランチメニューで「お弁当」みたいなものを出したり、週末には「丸鶏のオーブン焼き」や「持ち帰りパエジャ」、「豚モモのロースト」などをメインにして、店は大繁盛していました。
とにかく忙しいのなんの(笑)
ですが、この店の労働時間は、普通のレストランとは違ってとても短かったんです。
朝10時に店に行って仕込みをして、昼の営業をしてからそのまま夕方18時まで働いておしまいです。
同業の人は「え?それだけ?」と思うでしょう。
はい。ほんとにそれだけしか働かないんですよ。
とにかく今まで働いたことがないくらい短い労働時間だったので、ものすごく楽に感じました。
「本当にコレでいいの!?」って感じです(笑)
そして、仕事が終わった夕方からは、同居人達と近所のバルへビール飲みに行ったり、映画を観たり、食事に行ったりと、結構優雅に1ヶ月のんびりと生活させてもらいました。部屋で「日本食パーティー」みたいなのもやったら、かなり盛り上がったっけ。
そんな感じで、5月もあっという間に過ぎていこうとしたとき、
ついに役所から「労働許可が下りました」という内容の手紙が届きました。
「よーし、これで俺も堂々とスペインで働けるよ!!」
今までも当然「学生ビザ」でアルバイトとして働いていたのでもちろん違法ではありませんでしたが。
あ、
アルバイトとして決められていた時間は確か4時間だったような(笑)
当初、日本を出るときは「二、三年くらいスペインに居て、それから日本に帰ろう」と思っていたのですが、この労働許可が下りたことによって、それがいつになるのか全く分からなくなりました。
ですが、もうそんなことは考えずに、
これからは自然の流れに任せてみることにしてみようと決めました。
「いつ日本に帰る?」
『日本に帰る!』と決めたときに帰ろう。
ここまでを振り返ってみると、良い事も良くない事もありましたが、トータルで考えてみると俺は「ラッキー」だったし、
「俺ってツイてる!!」と、自然に思えるくらいツイていたと思います。
何が?って、タイミングです。
タイミング良く色んなことが進んだのです。
もちろん、これも自分ひとりのおかげではないことは十分に解っていました。
俺の周りに色んな人達が居てくれて、色んな場面で助けてくれたおかげです。
決して俺一人の強運ではないのは間違いありません(笑)
不思議と、
それまで歩いてきた道が一本につながっていったのが自分でも分かったし、
これから先も、ずっと一本につながっていくような気がしました。
「この『一本道』は、どこまで続くんだろう?」
そんなことを考えていたら、きっと日本に帰るのは相当先の話でしょうね。
そして再び、俺はエクトールと一緒にバルセロナへ戻りました。
きっと今回は大丈夫。
うん。絶対に大丈夫!!
「せっかくだから一杯だけ飲んで帰ろうか?」
俺がモンセのことを以前気になっていたんだ、という話を車の中でネタにしてみます。
完全に自虐ネタです(笑)
「なんでもっと早く言ってくれなかったの?」
と、モンセ。
「は?」
皆さんもお分かりの通り、俺は一歩遅かったんです。
別に一ヶ月だけしかいないつもりだったし、そのあとはバルセロナに行くし、そこで話を大きくしてもあとできっと無理が生じると。
僕ももう良い大人ですから(笑)
「もう少し早く言ってくれればね。でもしょうがないよ。こういうこともあるよね」
と、モンセは俺にもたれかかって頭を俺の肩に乗せながらそう言います。
「あ~ぁ、俺はなんでこう、一歩遅いんだろう!」
今更、モンセの頭が俺の肩に乗っかっても胸はときめきません。
ただ俺は凹むばっかり。
モンセ、肩が重いってば(笑)
そこでビールを何杯か飲んで部屋に帰って、その晩はふて寝ですよ、ふて寝(笑)
なぜかと言うと、その日はバルセロナの新しいレストランで働くスタッフの「初顔合わせ」だったから、前日のうちにジローナへ戻っていたのです。
モンセに送ってもらってね(笑)
バルセロナ港の横にある、新しくできた商業ビル
「World Trade Center Barcelona(ワールドトレードセンター バルセロナ)」。
船をデザインしたような、四つの棟で出来たビルです。
北棟の一階にその新しいレストランはありました。
名前は「Ruccula(ルックラ)」。
ルッコラのスペイン語読みです。
俺はエクトールと待ち合わせて、ビルへ向かいます。
午前10時にレストランの事務所に皆が集まって、一人ひとり軽い自己紹介を済ませた後、新しい職場となるレストランを案内してもらったのですが、まだ工事中のため、砂埃舞う中、皆ドロドロになっての見学でした。
「うわ、でかっ!」
「これ、あと一ヶ月でできると思う?」
「いや、多分無理だろ」
周りに聞こえないように、そんな会話をエクトールと小声で交わします。
店内や調理場を案内してもらいましたが、客席も厨房も、とにかくでかい。
早速ジョアン・ピケに聞いてみます。
「この店、どれくらいのお客さんが入るんですか?」
「一応、250席だね。個室が2つ別にあるけど」
「は? 250席!?」
その瞬間、すぐにエクトールと目が合い、そのときお互いに目で、
「おいおい、ほんとに大丈夫かよ~」
とアイコンタクトをとりながら、ひたすら苦笑い。
だって、250席ですよ!?
日本にそんなレストランがあったら、僕に教えてください。
デパートの屋上の大食堂並みの、スペインレストランですからね?(笑)
とにかく、
俺はそんなレストランは今まで働いたことがなかったので、
ちょっとだけ、
いや、かなりビビってました。
この「250席の店」で働くようになったら、エクトールと一緒に店の近くに部屋を借りようという話になっていたので、近くの不動産を帰りに見て回りました。
エクトールが一人で先に探していたけど、なかなかいい物件が見つかりません。
二人で半ば諦めかけていたところに、電柱にあった張り紙を見つけます。
「バダル 駅近く 3部屋+リビング+キッチン 85,000pts(ペセタス)」
二人してその電柱に脚が止まりました。
「お! ここにするか? 家賃はちょっと高いけどさ、二人で割ればなんとかなるよ。部屋も3つあるけど、そのうち誰かもうひとつの部屋を借りる人を探せばいいよな?」
今まで住んでいたバルセロナの部屋は、とにかく我慢できないくらい汚かったんです。
前にも話しましたが、ゴミ袋が廊下に並んでいたり、誰も部屋の掃除をしなかったり、洗濯機が動かなくなってもそのまま放置されて誰も直しに来る気配もなかったり。
そんな話をずっとエクトールから聞かされていたので、「それじゃ、うちらだけで別のところに部屋借りようぜ!」となったワケです。
早速エクトールが電柱にあった張り紙の番号に電話をかけて、その日のうちに大家さんに会い、物件も見せてもらって詳しい話はまた今度に、という話ですぐに決めてきました。
場所は、バルセロナサンツ駅から、「カンプノウ」というバルサのサッカークラブスタジアムの近く。地下鉄の「Badal(バダル)」という駅から歩いて三分くらいのところにある、古いマンションがひっきりなしにある住宅街の一角のマンションの五階の部屋でした。
エレベーターも付いていなくて多少古いイメージがあったけど、部屋に入るとリフォームもされていて、住みやすそうな場所です。
「これでなんとかいいスタートができそうだな!」
エクトールが「今まで見た物件の中で一番良かった」というので、即決でした。
さてさて。
翌日、パラフルジェイのホテルに戻ると、どうもジョアンの様子がおかしいんです。
俺を妙に避けてくるし、口も聞いてくれません。なぜかモンセも俺に気まずそうな顔をしています。
「あ、やっぱりそうか!」
俺の思った通り、モンセは先日のことを彼に話していたんです。
モンセは普通に彼にこの前の事を話したらしいのですが、彼が相当なまでに激怒したみたいですね。
そう読み取りました、この空気(笑)
そう。
彼は極度の嫉妬男でした。
だから、「モンセは俺に話をしてこなかった」というより、「彼が目の前にいるので俺に話しに来れない」という状況です。
とにかく彼は、俺が今までに出会ったことのないくらいのヤキモチ妬きで、この日を境にうちらの仲がどんどん悪くなっていったのは言うまでもなく、というか彼は俺に全く口を聞いてこなくなりました。
もう、しんどいですねこういうの。
それがまだ一緒の部屋で寝泊りするんだから、さらにしんどい(笑)
彼とは一緒に飲みにも行かなくなり、ついには影で俺の悪口まで言うようになりました。
でも、ここで大人気なく怒ってもしょうがないので最後まで気にせず、今月いっぱいここに居ようと思っていたけど、やっぱりそういう奴が俺の隣で寝ているのが気に入らなくて、予定日より一日早くそのホテルを出る事にしました。
ホテルのオーナー夫婦には、
「バルセロナの引越しが一日早まっちゃって、すいません。」とだけ伝えておいて。
まぁ、そういった噂話には気が付いていたのかもしれませんが。
とにかく、このホテルの皆にはとても良くしてもらっていました。
まだこの事件が起こる前に、「テツはタダで働きに来ているから」と、料理の本を一冊、ホテルの皆からの寄せ書き付きでプレゼントしてもらったりと、皆とも仲良くやっていただけに、残り一日で出ていってしまうのはすごく残念でした。
あと一日、ちゃんと最後まで居て、きれいにお別れをしたかったんですけどね。
とにかく彼のことでは気分が悪かったけど、同時にこんなくだらないことで気分を悪くする自分にも腹が立っていました。
そして、一日早まった最終日。
荷物をまとめて無言で部屋を出ようとすると、ジョアンは俺の目も見ずに一言。
「お前は、人の女性に手を出すような奴なのか?」
「手なんか出してねぇよ。思ってたことを伝えただけだろ?」
「まぁいいよ。今後一切、俺の事は思い出さなくていいからさ。忘れてくれ」
「言われなくてもそうするよ」
と、俺はすぐに部屋を出ました。
これくらいのスペイン語会話はできるようになっている自分にやや感心(笑)
そして、すぐさまホテルの外にあった公衆電話からエクトールに電話。
「ちょっとエクトール、聞いてくれよ~!!」
それを聞いたエクトールは、電話の向こうで大笑いです。
苦笑いしていた俺も、ここは大笑いするしかありません(笑)
後で聞いた話ですが、やっぱり彼は相当な変わり者だったらしく、その後ホテルのオーナーともめ事を起こして、あれから間もなくホテルをクビになったそうです。
そんな奴に腹を立てた俺も情けないですね、ホント大人気ない。
もう少し人を見極める力をつけないとなぁ、と思いながら一人ジローナへ帰りました。
だけど、今となってはこれも忘れられない思い出のひとつですよ。
このホテルの皆からもらった料理の本は、今でも俺の宝物です。
その本の寄せ書きには、例の彼、ジョアンからの一言も。
「お前にとって、このカレージャ(パラフルジェイの地域の名前)での日々を忘れられない思い出としてくれることを願ってるよ! 永遠の友人へ! ジョアンより」
と書いてあります。
おぅ、当たり前だよ。
お前の事ももちろん忘れないさ!!(笑)
★★★つづく★★★
いろいろありながらも年が明けました。
ですが、バルセロナの新しいレストランの話は一向に進んでいないようで。
「10月」のオープン予定が「12月」になり
「12月」が「年明け」に
「年明け」が「3月」
「3月」が「5月」と、とにかく延びに延びた。
このままでは、いつまでも宙に浮いているような感じで落ち着かなかったし、俺が持っていた学生証の期限は5月で切れるし。それまでに何とかしないと不法滞在扱いになって、もし捕まったりしたら強制送還になりかねませんし、その後しばらくスペインに入国できなくなってしまったりしたら、後が大変なことになってしまいます。
「このままだと何にも話が進まないから、一度日本に帰ってお金貯めて、それからアルサークに行こうかな?」
と、そこまで考えていました。
そういうことも全て踏まえて「カル ロス」のチャビに、このお店を3月で辞めさせてもらえないかと相談してみました。
チャビからジョアンに伝えてもらおうと。
このお店を3月に辞めてバルセロナへ戻って、もし新しいお店の話が進まなければそのまま日本に一度帰ろうと。
そんなある日、同居人のジョルディが、なにやらテレビを見ながら俺に何か言ってます。
「おいテツ!これ見ろよ、テレビニュース。外国人に労働許可をあげるって言ってるぞ?」
「まさか、そんなわけないでしょ?」
「いや、ほんとだって。テレビ見てみろよ」
ニュースでしゃべっていることがまだあまり分からないから、ジョルディにもっと簡単に説明してもらいながらでしたが、ニュース内容は
「不法に滞在している外国人に対して労働許可を特例措置で与える」という話でした。
俺は不法じゃなかったんですけど(笑)
そのためには、
今までのスペインの滞在期間は「最低これだけの期間滞在していないといけない」とか、「現在働いている会社の契約書を持っていること」などという条件がありましたが、俺はその項目をクリアーできるので、とりあえずそれを申請する準備に早速とりかかります。
というか、シェフのジョアンにまず相談(笑)
町の中に無料弁護士相談所みたいな場所があって、ジョアンと一緒にそこまで行って、説明を受けました。
すると、そこの担当者の若い男性から
「でも、今現在あなたは学生なので、学生で労働許可を申請できるのか一度確認してみます」
と言われたので、返事を待ってみることに。
学生だと一日4時間ほど「アルバイト」できる話は聞いていたけど、実際は学校はやめちゃって朝から晩まで働いていたので、あまり気にもしていませんでした。
とりあえず申請はできるということだったので、申請しておくことに。
元々この話は「不法滞在・労働者」が対象だったので、学生の俺は結果待ちの状態でしたが、仮にこの話がどういう結果になっても、3月には一度バルセロナに戻るつもりでいました。
そしてその二週間後、相談所から連絡が入ります。
「学生でも、学生証の期限が切れれば労働許可証の申請ができるので、あなたの場合はもうすぐ期限が切れるので、こちらから明日、役所へ申請書を出しに行ってきます」
朗報でした。
タイミングが良かったのか、それとも運が良かったのか。
あとはこれで、労働許可が下りるのを待つだけです。
2月になって、「カル ロス」に若いスペイン人コックが働きに来ました。ジョアン・ピケがジローナの町の中に別のお店を出したため、何人かが「カル ロス」から移り、人が急に足りなくなったためです。彼の名前もジョアン。彼は「次のお店で働くまでの一ヶ月間だけ」という話でここに働きに来ました。
彼はやけに日本人の俺に対して興味を持ってくれました。知り合った次の日にすぐに飲みに誘われて、近くのバルまで飲みに行って、俺にスペインについてのいろんな話をしてくれます。
「まぁ、これからも仲良くしてくれよ。よろしくな!!」
知り合ってまだ二日目なのに、なんでこんなに仲良くしてくるのか。
「もしや、ゲイ?」とも思いましたが、そのときになってから考えようと気にしなかったけど、実際に彼はゲイではなかったのでやっぱり安心しました(笑)
彼が働きに行く新しい職場とは、ジローナからバスに乗って東へ四十分くらいしたところにある「パラフルジェイ」という町にある「Hotel Sant Roc(オテル サンロック)」という、海岸沿いの丘の上にあるリゾートホテルでした。そこのオーナー達に俺の話をしてくれたらしく、俺も彼に3月には「カル ロス」を辞めてバルセロナに戻るという話をしていたら、彼は俺にこんな話をしてくれました。
「それならそれまでの間、俺が働くホテルにおいでよ!」
給料はもらえないと思うけど勉強になると思うよ、と彼は付け加えます。
バルセロナに戻って、労働許可の話や新しい店の結果を黙って何にもしないで待っていても、その時間がもったいないし、そのホテルに行ってる間は食事にも困らないだろうと考え、たとえ一ヶ月だけでもそのホテルに行かせてもらおうと決めました。
ジローナに借りていた部屋はとりあえずそのままにしておいてもらって、
俺は、一ヶ月間の「料理研修」にパラフルジェイに向かいました。
とりあえずは、彼の寝泊りするホテルの部屋にベッドが二つあったので、そこを一つ使わせてもらいました。仕事といっても調理場の人手は足りているので、軽く仕込みを手伝ったり、仕事を見せてもらうくらいです。
ホテルが豪華というわけでもなければ、有名なシェフがいるわけでもないごく普通のホテルだったので、ここでは、どこにでもあるような料理を出していました。料理もすごくシンプルでリゾート地らしいざっくばらんなもので、ある意味いい加減な印象もしたけど、それはそれで新鮮で勉強になります。
「まぁ、有名なシェフがいないところだと、こういう感じなのかなぁ?」
あくまで「研修」だったので、今までの緊張感とは程遠い感じで、「お手伝いさん感覚」でみんなと楽しくやってました。
夜は仕事が終われば皆と飲みに行ったり、踊りに出かけたりして。
さて。
ここで久々に女性の話が出てきます(笑)
飲みに出かけたりしているうちに俺は、同じホテルで働いていて、一緒に楽しく遊んでいた女性のことが気になり始めます。
名前はモンセ。眼鏡の似合う、小柄な女性です。
が、周りの噂話を聞いていると、ジョアンもその女性が好きだったそうで。
するとホテルの同僚がモンセにジョアンの事を話したりしていて、お互いが気になりだすようになっていました。
そうです。
俺はこのホテルに一ヶ月間だけ研修に来ているんです。
女性にうつつを抜かしている場合でなないのです(笑)
当然ながら、別に彼とは「モンセの争奪戦」を始めるつもりもなかったので、モンセのことは自然と気にもしなくなりました。
当時は「熱しやすく冷めやすい性格」でしたもので(笑)
俺は一ヶ月間の研修中ずっとそのホテルにいたわけではなく、週に一度はお休みをもらってジローナの部屋に帰ってゆっくりしていたので、最初はバスに乗ってジローナまで帰っていたのですが、俺が翌週ジローナに帰るとき、実はモンセもジローナに住んでいて、毎日車でホテルまで通っているということだったので、モンセがジローナまで帰る時間に合わせて、送ってもらうことになりました。
そのときに、「こういうこともあんまりないし、せっかくだから一杯だけ飲んで帰ろうか?」と誘われたので、ジローナへ一緒に飲みに行くことに。
ジローナに着くまでの間まだ少し時間があったので、俺がモンセのことを以前気になっていたんだ、という話を車の中でネタにしてみました。
★★★つづく★★★
俺が住んでいるマンションの同居人の皆とも、一緒に生活をしながら次第に打ち解けて仲良くなっていき、彼らとは週末前、毎週木曜日になるとこぞって夜の町に繰り出しました。
この町には大学があり、学生が大勢住んでいて、金曜日の授業が終わると学生達は各々の実家に帰って週末を過ごすため、木曜日の夜が町に繰り出す日となり、一週間のうち一番活気があります。
このほとんどの学生たちが実家に帰る週末、なぜか彼らのバッグがパンパンになってはち切れんばかりなのですが、
「親に洗ってもらう洗濯物」だと判るにはそう時間がかかりませんでした(笑)
それはさておき。
ほとんど毎週木曜日は、俺も仕事が終わってから彼らと近くのバルで何杯か酒を飲んで、そのあとは「ディスコテカ(日本で言うクラブ)」へ踊りに出掛けます。
そして、帰るのはいつも明け方の5時とか6時とか。
それから皆で、部屋でパスタをボイルして食べたり、そのまま朝まで飲み続け大宴会になって、たまに翌日に大寝坊したり(笑)
そんな楽しい日々を過ごしていましたが、やはりいろんな所に出かける時は、周囲の視線が気になるんですよね。
俺の勘違いや気のせいならまだしも、
目の前で俺に向かって、
しかも、酔っているから大声で、
「あ、中国人がいるぞ!!」
「テツ、ああいう奴らは放っとけよ!」
いいえ、放っておけないんですねこれが。
こんな感覚は日本で味わったことがありませんから、とにかく腹が立ってしょうがないんです。
スペインや、他の西洋圏の外国でこんな経験をされた方、結構いるでしょう。
俺もそのうちの一人です。
思わずカッとなって、そいつを思い切りぶん殴ってやろうと
「俺は日本人なんだよ!!!」と、
怒鳴りながら向かっていくと、
同居人の皆に止められます。
「俺の気持ちなんて分かんないのに、そんなこと言うなよ!」
そう言いたかっけど、彼らには何も言えません。
グッと堪えるしかありませんでした。
どこに行っても周りから不思議そうな目で見られ
笑いながら指をさされ
すれ違いざまに「チノ、チノ(中国人だ、中国人だ)」と言われ。
こういうことは、
某旅行ガイドや留学ガイド本には間違っても載っていません。
確かに俺の顔は「西洋的」ではなく「純和風」ですが、見た目が違うだけでここまで馬鹿にされるとは、スペインに来る前はこれっぽっちも想像していませんでした。
何にも悪いことしてないんですけどね。
これを書いてるだけで腹が立ってきます(笑)
気が付くとジローナへ来てあっという間に二ヶ月が経ち、町はクリスマスシーズンに近づいていました。
未だにバルセロナのレストランの話は進んでいるようには見えず、ジョアン・ピケから、
「来年になっちゃうかもなぁ。でも、それまでこの店にいても大丈夫だからな!」。
「バルセロナの店ができるまではここにいてもいいぞ」ということです。
実際、ここの店の仕事にも慣れてきたし、皆とも仲良くやっていたし、何より自分がやりたかった料理の勉強ができたので、特に不満はありませんでした。
自分の手の空いているときはいつでもメモを片手に片っ端から聞いて回ったり、実際に火を使わせてもらったり。とにかく毎日が充実していました。
最初にジョアンが言っていた「最低賃金」も、日本円にすれば十万円くらい。
だけど、住んでいた部屋はバルセロナより安く、四人でシェアしていたので格安だったため、残ったお金の大半は、家の近くにある本屋で買う料理本へと消えていきました。
本屋のおばちゃんとも仲良くなり、いつも顔を出すと新しい料理本を俺に紹介してくれます。
よほどいいお客だったんでしょうね、俺(笑)
今年もあっという間に過ぎて年末になり、毎年恒例のブドウを食べる日が近づいてきました。
12月25日、スペインでは家族揃ってクリスマスを祝います。
仕事などで家族揃ってクリスマスを祝えないと、寂しがる人もいるくらいです。
この日は、キリスト教の人がキリストの誕生を家族そろってお祝いする日。
だからこの日、スペインにある大抵のレストランは暇です。
「イヴ」なんてありません。
クリスマスの翌日、12月26日になると前日に家で食事をした家族はレストランへ出て「カネロニ」を食べます。
この日の聖人「エステヴァン」を祝う日らしく、この日はカネロニを食べるみたいです。
カネロニとは、後で詳しく説明しますが、グラタンのような料理です。
前日(25日)の食事が重いため、翌日は軽い食事をするためにこれを食べるのでしょうか。
でも、俺にはこの料理すら重たく感じます(笑)
クリスマス時期に「ピエジャ」ではタルト作りに大忙しで、ここではカネロニの具(お肉と野菜のペースト)を作って、四角く平たいパスタをボイルして具を巻いて、それと別にベシャメルソースを作るのに大忙しでした。
この「カネロニ」という料理、
肉と野菜のペーストを巻いたカネロニにベシャメルソースをかけて、チーズを振ってグラタンにします。
暖かい料理なのに、なぜか冷たい料理担当の俺がその料理を出すことになっていたから、その日はどうしようもないくらいカネロニに追われます。
さらに当日は、
ほとんどのお客さんが「カネロニとサラダ下さい」というオーダーをします。
両方とも俺の担当じゃんか(笑)
レストランでは「年越しメニュー」を出していて、
12時になると、新年と共にお客さんとレストランのスタッフが一緒になってブドウを食べるというイベントがありました。
スペインでは、クリスマスよりこの日の方が盛り上がっています。
日本と逆ですね。
この日ばかりはと、皆でワインを飲みながら仕事をしています。
モロッコ人も一緒になってお酒飲んでます。
あれ?(笑)
この店では、ブドウを食べる際に教会の鐘を聞くのではなく、調理場にある、カタルーニャの郷土料理の代表的な炊き込みご飯「アロス」に使われる鉄鍋を叩いて鐘代わりにして、それを聞きながらブドウと食べようというのです。鉄鍋を硬いプラスチックでできたヘラで叩くと、なんとも教会の鐘に似たような音が出ます。
「カンカンカン!」と試し鳴らしをしながら、
「よし、これで行こう。テツ、お前もこれ持って行って来いよ!!」
と、調理場のムードメーカー、ホセは俺に言います。
俺は断りました。
「そんなの気にするなよ、年に一度なんだから。ほら!」
と言って、鍋とヘラを渡されますが、
「いや、俺はここでブドウを食べてるから、ホセが行ってきてよ」
どうしても、
今までにあったいろんなことを考えてしまい、正直言って外に出る気になれません。
ひょこひょこと出て行ったはいいけど、
「チノ!チノ!」なんて馬鹿にされたくなかったんです。
表に出て「鐘」を鳴らしたいんです。
「あ、行かれちゃった」
俺もファイサルみたいに普通に出て行けば良かったのに。
そんなところで急に頑固になってしまった自分を後悔しました。
我慢できなくなって、帰り道に、自分の思っていたことを、今自分が話せる言葉を使えるだけ使って彼に全部話しました。
まさか自分にそんなことが起こるとは、全く想像もしていませんでした。
どうしたらいいのか分からなくて、
とにかくいつも悔しくて悔しくてたまらなかった。
ファイサルにそんなことを話し始めたら、急に涙が出てきて止まらなくなって、
大声を上げて泣いていました。
今まで心の中にしまっていたものがそのとき全部出てしまい、
とにかく悔しくて、悔しくて涙が止まりませんでした。
オチではありませんが、
その時、道で大声出して泣いてても、すれ違いざまに「チノ」って呼ばれてた
そんな、スペインでの四度目の年越しでした。
あ、
今ではすっかり笑い話になっていますのでご安心を(笑)
★★★つづく★★★
俺が厨房に入ると、すぐにチャビに呼ばれます。
「今日からここのコール場をやってね」
どこのレストランに行っても、最初は冷たい料理から始めるのが順序といえば順序です。
そこからどれだけ仕事ができるかを試され、次第に火を使う仕事をさせてもらえるようになります。
俺の横には、今までそのコール場を任されているダビが一緒になって付いて教えてくれて、仕込みに取り掛かります。
この店は「ヌエバ・コシーナ」と呼ばれるような高級料理店ではなく、本当にシンプルなカタルーニャの郷土料理を出しているお店です。
煮込み、お米、オーブン焼き、鉄板焼き、サラダ、揚げ物など、盛り付けには特にこだわっていないけど全て手作りのお店。
勉強のしがいがあります。
さて。
「仕込み」と言っても、
俺はダビに言われるがまま料理を作って、
気が付いたらお昼になり、
皆で営業前に食事を済ませ、13時からお昼の営業の始まりです。
すると、営業が始まった途端、カマレラ(ウェイトレス)のソニアが厨房に入ってくるやいなや、次から次へとオーダーを読んでいきます。
「え? 今何が入ったの?」
ソニアはとにかくオーダーを読むのが早く、しかもカタラン語で何を言っているのかさっぱり分からなかった俺は、ダビに言われるがままに仕事をします
というより「ただ動いているだけ」でしたね。
だって言われないとなんもわかんないんだもん(笑)
スペインの食事の時間帯は、日本と比べるとちょっと遅めです。
昼は13時から16時くらいまで、夜は20時から24時くらいまでがレストランの営業時間です。
昼も夜も、ラストオーダーの最後の最後までお客さんがひっきりなしに入ってきます。
しかもオーダーはカタラン語なので、俺にはちんぷんかんぷん。
それだけで頭がいっぱいです。
こりゃ慣れるまでかなりの時間がかかりそうだなぁ。
途中、16時から20時までが「中抜け」の時間で、この中抜けの時間に皆は家に帰り昼寝をしたり、軽い食事をします。
俺も初日から中抜けして家に帰ったのですが、どうも習慣付いていないのと、「初日」ということもあり、興奮していて全然眠れませんでした。
そして20時になり店に戻って、夜の営業です。
ワケのわからないまま、あっという間に24時になって一日が終わり、
家に帰ったら急に気が抜けたのか、すぐにベッドへ落ちました。
そんなこんなで、右も左も分からないながらも毎日が過ぎていきましたが、いつからか自然とカタラン語でのオーダーも聞き取れるようになり、二週間もしないうちにダビは別のセクションに移り、コール場は俺一人で任されるようになって、次第に店のコック達とも打ち解けるようになりました。
たった2週間でいきなり任されるようになったので、内心ちょっとだけビビりましたけどね(笑)
さっきも言ったように、ジローナにはというよりか、スペインにはモロッコ人が多いです。
自国で職が少ないためか、海を渡ってまで密入国して職に就こうとする人もいるし、スペインまで海を渡っている最中に海に流されてしまう人や、運良くスペインに着いても警察に捕まって強制送還される人も少なくないそうです。
不法ではない人ももちろんいましたよ。
この店の調理場には五人のモロッコ人がいました。
彼らは「不法」ではありません念のため(笑)
彼らと俺は、「同じ外国人」意識があったためか、いつの間にか仲良くなっていました。
とにかく、このモロッコ人達とは、仕事の合間にバカなことばっかりする仲になります。
できればここでいくつかご紹介したいところですが、
ここでは話しづらいような下ネタ満載な話ばかりなのでお店で俺に聞いてください(笑)
そのモロッコ人のうちの一人ファイサルは、仕事の帰りに俺を彼の家に連れてってくれ、彼の作るモロッコでは定番の「ミントティー」をよくご馳走してもらっていたのですが、とにかくあちらで使う砂糖の量が半端ではなく、俺には甘すぎたくらいです。
それでもいつもお茶をご馳走になっては、皆でいろんな話をして盛り上がってました。
もちろん「下ネタ話」です。
調理場では、にんじんを使ってふざけてみたり。
おっと
あえてここでは「何をした」のかは内緒にしておきます(笑)
彼らモロッコ人には、こういう下ネタがウケました。
というのもモロッコでは宗教上「下ネタ」はご法度らしく、親子の間ではそんな話は間違ってもできないらしいのです。
この調理場にはモロッコ人親子も働いていたので、たまに俺が彼らに下ネタをアラブ語で教えてもらってそれを親の方に伝えようとすると、彼らは真顔になって俺に突っ掛かって止めに来たくらいです。
それでも俺は止めません(笑)
そんなことをしながら毎日を過ごしていました。
あ、
もちろん仕事だって勉強だってちゃんとやってましたよ!(笑)
だけど、
そんな彼らも実は意外と苦労をしているんです。
ある日、いつものように仕事が終わってみんなで一緒に着替えていると、モロッコ人の一人、ラシの右膝から下、くるぶしにかけて弁慶の部分に、斜めに長く大きな切り傷を見つけました。
「これ、何の傷?」
と俺が尋ねると
「ん、なんでもないよ。まぁ俺にだっていろいろあるんだよ!」
と、隠すようにしながら彼はズボンを履きます。
後で彼から教えてもらった話なのですが、彼らモロッコ人はスペイン人と結構仲が悪かったりして、ある日その辺のスペイン人連中と喧嘩をしたときに蹴りを入れようとしたところ、ナイフで思い切りその部分を切りつけられたらしいのです。
とにかく、切られたときは骨まできれいに見えたであろうくらいの、
俺が今までに見たことのないとても大きな傷でした。
「こういうこともあるから、何かあったときのために俺はいつも体を鍛えてるんだよ!」
確かに、彼の持っている力は半端じゃありませんでしたね。
「自分の体は自分で守れ」ですか。
スペイン人でも、モロッコ人と仲良くしてる人だってたくさんいるのですが、中には差別好きな人も。
昔から敵対関係にあった国同士の名残なのでしょうか、
今でも切っても切れない犬猿の仲みたいですね。
厨房にいるスペイン人コックとも、もちろんすぐに打ち解けました。
当時はまだスペイン語を上手に話すことが難しかったのですが、仕事で自分の力を見てもらえれば、大体どこでも意思の疎通には時間がかからないようです。
それでも俺が厨房でできることと言えば基本的なことばかりでしたが、
自分のできることはしっかりとやって、
そして、このお店で新しく目にする料理には、ひたすら釘付けになりながら勉強する毎日を送っていました。
毎日、小さなメモ帳がびっしり埋まるくらいにレシピ書いて
新しい料理を見ては常に味見を要求(笑)
皆の仕込みの動きもメモに取って
常に頭の中でイメージトレーニング。
分からない料理や言葉はその場ですぐ聞いて、またメモに取る
家に帰ってその日に覚えた料理や言葉を復習
毎日厨房でモロッコ人と下ネタ話ばっかり言って遊んでただけじゃありませんから!(笑)
スペインへ来て2年が経ってから
この「スペイン・カタルーニャ地方の郷土料理のお店」と出会いました。
日本のホテルを辞めてスペインに飛んで行って、
右も左も全く分からないときにケイゴさんからスペイン料理の基本を教わり
ジョゼップとパルミラからたくさんのスペイン菓子を教わって
ジャン・ポールとマリアカルメンからはおしゃれな料理を教えてもらい
この辺りから俺は、
スペイン・カタルーニャ料理にどっぷりとはまっていくことになります。
★★★つづく★★★