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さて。
あの「悪夢」の後。(笑)
俺はジローナに戻ってから、バルセロナに引っ越す準備を始めました。
くよくよしている場合ではありません。
あれ?
何かありましたっけ?(笑)
部屋で荷物を全部まとめると、その日の夜エクトールが迎えに来てくれました。
事前に来てもらうお願いはしていたのですが、やっぱり彼の車のガソリンの残量だけはいつも気になってしょうがないですね(笑)
すでにエクトールは、一緒に働くバルセロナの新しい店に行くために今まで働いていた「フォルケー」を辞めていたので、俺を迎えに来てくれる余裕があったのです。
「持つべきものは友達」ですね。
いや、
単に俺が甘えちゃってるだけです(笑)
ここまで来たら、
後は「バルセロナで新しいレストランが出来上がる」のと「労働許可が下りる」という二つの事を待つだけでした。
「皆、短かい間だったけどどうもありがとね。たまにはこっちまで遊びに来るからさ!」
「おう、うちらも近いうちにバルセロナに遊びに行くよ!」
同居人達に軽く挨拶をして、俺はジローナを後にしました。
帰り道、車中ではエクトールと「この半年間に起きた話」で盛り上がりました。
エクトールはエクトールで、俺のいない間にマンションで起きた出来事や、最近辞めた「フォルケー」の話をしてくれます。
「あれ?」
なぜか今回は、彼の車のガソリンランプは満タンだったんですよ。
ガソリンメーターを覗き込んだ俺に気が付いたエクトールが、
「さっきガソリン入れてきたから。今回はさすがに危なかったよ!!」
「なんだよ、やっぱり赤ランプだったのかよ!ってお前はいつも危ないだろ!!」
間一髪で、高速道路で車を押さずに済みました(笑)
バルセロナまで向かう道中ですが、夜だったためか高速道路も空いていて意外と早くバルセロナに着きマンションに戻れました。
二人でコーヒーを飲みながらゆっくりしていると、ジョアン・ピケからエクトールの携帯に電話がきました。
しばらく話してエクトールが電話を俺に換わります。
電話を換わる前に、彼はニヤニヤしながら小声で俺に、
「明日からまたジローナだね」
「は?」
電話に出ると、ジョアン・ピケが
「レストランの話しなんだけど、6月に最終的にオープンが決まったから、それまでもう一度、ジローナにある俺の店で働きに来いよ。今度は『カル ロス』ではなくて、この前オープンした新しい店にな。来るか?」
返事をゆっくり考えてる時間もなかったので、
「そうですね。それじゃ明日、ジローナに行きます」と、即答です。
ジローナに行かないとなるとこれから一ヶ月も何もしない時間ができてしまうし、お給料もいただけるし、そう返事するしかないですよね、普通(笑)
電話を切ってからまた、エクトールと目を合わせて大笑い。
「なんだよそれ!!『一日前にそれ伝えろよ!!』だよなぁ?」
新しいレストランは6月にオープンを控え、他のコック達は先に調理場に入って仕込みを始めるらしいのですが、俺はその時点ではまだ労働許可が下りていないので、許可が下りるまでは新しいお店では働けないからと、ジョアン・ピケが気を遣ってくれたのです。
俺は早速、ジローナの「元」同居人達に電話を入れます。
「また明日、ジローナに行くことになったからさ。まだ『俺の部屋』空いてるよね?」
「えぇっ!? なんだよそれ!!」
バルセロナに戻った当日に、また次の日ジローナに行かなければいけない連絡が入るとは偶然というか、かなり笑える話です。
エクトールもすでに「フォルケー」を辞めていたので、バルセロナのレストランがオープンするまで、俺が前に働いていたレストラン「カル ロス」へアルバイトに行くという話が決まりました。
エクトールはバルセロナからジローナまで毎日車で通うそうです(笑)
翌日、何事もなかったようにジローナに戻ると、同居人達は俺を大歓迎。
俺がいなくなったことが、かなり寂しかったようです。
そんなこと言われちゃうと、こっちも照れちゃう(笑)
そういう俺も、彼らとお別れしてしまって実はかなり寂しかったんですよ。
本当に楽しい半年間でしたからね。
俺は照れ笑いしながら、
「またよろしくな! でもさ、昨日お別れ言ったばっかりなんだけどなぁ?」
「まぁ、これでまたしばらくは皆で一緒に居られるな!」
早速その日の晩は皆で明け方まで飲みながら、また「サンロック」のジョアンの話です(笑)
バルセロナに戻る前にあまり時間がなかったので話せなかった事まで皆に全部話したら、俺の中で「あの悪夢」は完全燃焼しました(笑)
そして。
今回俺が働きに行く事になった「ジョアン・ピケが新しくジローナでオープンさせた店」とは、俗に言う「お惣菜屋さん」です。
「お店で作った料理をお客さんが買いに来て持ち帰る」という「デリカテッセン」。
当時のスペインでは新しいスタイルでした。
お店で作っていたものは郷土料理の煮込み、いろいろなサラダ、パスタにソースを和えたもの、コロッケなどの揚げ物、などなど。
それとは別に、平日の昼間はランチメニューで「お弁当」みたいなものを出したり、週末には「丸鶏のオーブン焼き」や「持ち帰りパエジャ」、「豚モモのロースト」などをメインにして、店は大繁盛していました。
とにかく忙しいのなんの(笑)
ですが、この店の労働時間は、普通のレストランとは違ってとても短かったんです。
朝10時に店に行って仕込みをして、昼の営業をしてからそのまま夕方18時まで働いておしまいです。
同業の人は「え?それだけ?」と思うでしょう。
はい。ほんとにそれだけしか働かないんですよ。
とにかく今まで働いたことがないくらい短い労働時間だったので、ものすごく楽に感じました。
「本当にコレでいいの!?」って感じです(笑)
そして、仕事が終わった夕方からは、同居人達と近所のバルへビール飲みに行ったり、映画を観たり、食事に行ったりと、結構優雅に1ヶ月のんびりと生活させてもらいました。部屋で「日本食パーティー」みたいなのもやったら、かなり盛り上がったっけ。
そんな感じで、5月もあっという間に過ぎていこうとしたとき、
ついに役所から「労働許可が下りました」という内容の手紙が届きました。
「よーし、これで俺も堂々とスペインで働けるよ!!」
今までも当然「学生ビザ」でアルバイトとして働いていたのでもちろん違法ではありませんでしたが。
あ、
アルバイトとして決められていた時間は確か4時間だったような(笑)
当初、日本を出るときは「二、三年くらいスペインに居て、それから日本に帰ろう」と思っていたのですが、この労働許可が下りたことによって、それがいつになるのか全く分からなくなりました。
ですが、もうそんなことは考えずに、
これからは自然の流れに任せてみることにしてみようと決めました。
「いつ日本に帰る?」
『日本に帰る!』と決めたときに帰ろう。
ここまでを振り返ってみると、良い事も良くない事もありましたが、トータルで考えてみると俺は「ラッキー」だったし、
「俺ってツイてる!!」と、自然に思えるくらいツイていたと思います。
何が?って、タイミングです。
タイミング良く色んなことが進んだのです。
もちろん、これも自分ひとりのおかげではないことは十分に解っていました。
俺の周りに色んな人達が居てくれて、色んな場面で助けてくれたおかげです。
決して俺一人の強運ではないのは間違いありません(笑)
不思議と、
それまで歩いてきた道が一本につながっていったのが自分でも分かったし、
これから先も、ずっと一本につながっていくような気がしました。
「この『一本道』は、どこまで続くんだろう?」
そんなことを考えていたら、きっと日本に帰るのは相当先の話でしょうね。
そして再び、俺はエクトールと一緒にバルセロナへ戻りました。
きっと今回は大丈夫。
うん。絶対に大丈夫!!