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――やっべ、忘れてた!――
あまりにも忙しい毎日を送っていたため、アルサークへ研修に行ける話などいつの間にか忘れていて、気が付けば、あれから一年もの月日が経っていたのです。
「それで留守電、なんて入ってました?」
「とりあえず連絡下さいだって」
「分かりました。すぐに電話します!」
そう言って、内山さんと電話切ったその日のうちにアルサークに電話をかけました。
「どうもすみません。実は今、違うところで仕事をしてまして…」
「それで、10月からだけど、来るの?」
「いや、ですからちょっと今、違う店で働いていまして、ここにしばらく残ろうと思うんです。すいませんが、もう少し後になってからということでもいいですか?」
「なんだって!!君が来たいって言うから、他にも何人もここに来たいって言ってた人を断ってきたのに、そういう話は聞き入れられない!」
1年間の間にこれくらいの会話はできるようになり、
聞き取れるようにもなっていました。
しかし。
はい。
「アルサークに勉強に行ける!」という話はあっけなく終わりました。
怒られました。
当たり前です(笑)
そんな、「願っても無いチャンス」を自分から蹴ってしまいましたからね。
アルサーク本人はもう忘れているかもしれませんが、
もしもどなたかアルサークで研修に行くような話があった場合、
万が一、この話は言わないほうが良いと思われます(笑)
「ルックラ」で働き始めて、「スペインでの仕事の楽しさ」を覚え始めていました。
今までのように、人に言われたことだけをこなすだけではなく、自分の頭で考え、順序を決め、自分のやりやすいように仕事を進める。
たとえ今のお店がどんなに忙しくても、それは「人に言われて進めるだけの仕事」ではなく、「自分のやりたいように仕事を任され」ているのは確かでした。
めっちゃめちゃに忙しかったですけどね(笑)
ルックラでの仕事がそういう意味で面白くなり始めたとき、
「別に有名な店に行かなくても立派に仕事ができるのかな?」と思い始めたのです。
「きっと、自分のやる気次第で人生どうにでもなる!」と。
でも、最高の食材を使った有名な店で働いてみたいという思いももちろんありました。
だからこそアルサークへも行ってお願いもしました。
ですが、
「大勢のコックがいる中で一日中同じ仕事をして過ぎてしまう一年」より、
「いろいろと日々新しいことを学べて、なにより今の店で一つのセクションを任されて仕事をさせてもらえる一年」のほうが、俺には何倍も得るものがあると思ったし、充実していると思いました。
それにいつか、日本に帰ってから「コックが厨房に四十人もいないと作れない高級料理」を作るということが、はたして自分の店を出したときに同じようにできるのか? と考えると、コックが二人や三人くらいで回すような小さな店をやりたいと思っている俺にとっては、それは少し難しいような気がしました。
こういう話は、きっと賛否両論かもしれません。
確かに、世界的に有名な店で働けばいい経験にもなるでしょうし、きっと自分の名声も高くなって有名になれるかもしれませんが、それは確実に、自分が持っている「夢」とは違っていたのです。
「たとえ小さな店でも、たとえ有名になれなくても、おいしい料理はきっと作れるようになる」と。
俺だって、若いときから有名な店で働くということには憧れましたし、正直、有名店で働いたことのある人のことはうらやましいと思います。
自慢だってできますしね。
もちろん、人によって考え方は様々ですが、俺はそこに価値観を見出さなかったんです。
今居る店でも十分に学べることはあるし、やる気があれば何でもやらせてもらえますから。
長い人生の中で「自分が納得できる」ものにめぐり合えば、
「どこにいても楽しく充実した人生が送れるんだ」という結論に至ったのです。
自分の決めたことに、迷いなんて全くありませんでした。
これが俺の「価値観」です。
そして俺は、
「この土地に、昔から伝わる郷土料理」をたくさん覚えて日本に持って帰ろうと決めました。
アルサークさんごめんなさい!
★★★つづく★★★
スペインではもう秋が近づいていましたが、日差しがまだ強かったある日のこと。
俺がいつも日本食が食べたくなったときに買出しに行っていた、そして店の材料でもお世話になっていた日本食料品店「東京屋」のタカハシさんが、いつものように配達に来たときにこんな話を切り出しました。
「てっちゃん、スペイン料理を勉強したいってニューヨークから来た男の子がいるんだけど、ここのシェフに紹介してもらえないかなぁ?」
「あ、いいですよ? それじゃ今度ここに来てもらってくださいよ!」
早速シェフに説明して話を聞いてもらうことにして、翌日タカハシさんに彼を連れて来てもらいました。
「てっちゃん、この人が昨日話した人。坂部英一君ね」
「どうも。」
なんだかそっけないなこの人(笑)
そんな感じの軽い会釈をして、「とりあえず厨房で話すのもなんだから外に行こうよ」と、客席に彼を案内して少しだけ話すことに。
仕込みがてんこ盛りなので長い間話してもいられません(笑)
「・・・なんですよ」
「・・・そうなんですか。」
なんだかお互いに敬語で話すのも堅苦しいので、「敬語は使わないでいいよ!」と彼に話しかけます。
そして、いろいろと話を聞くと、
彼は名古屋出身で、俺より一つ年上のコックさんでした。
今までニューヨークで料理の仕事をしていたらしく、ニューヨークの寿司屋でも働いていたらしいんです。
おっと。
その瞬間思いましたよ。
ひらめきましたよ。
「良かった!!これで俺は違うセクションに行ける!」
でも、それより彼に俺の作ってる“なんちゃって寿司”は恥ずかしいから見られたくないよ!!(笑)
彼曰く、「やっぱり一度、ヨーロッパで仕事がしてみたかった」そうで、スペインに来るまでにイタリアやフランスにも職を求め歩いたらしいのですが、残念ながらどこでも「門前払い」だったようです。
そんなこんなでバルセロナへたどり着き、彼が泊まっていた日本人経営のペンションで東京屋を紹介してもらい、タカハシさんに話を持ちかけたそうだ。
「このお店、何席あるのかな?」
その辺は解りやすく丁寧に「250席だよ」と教えておきました(笑)
もちろん彼は、目を丸くして驚いてましたね。
あの光景、今でも目に焼きついてます。
「に、にひゃくごじゅう!?」
はい。
アリ地獄へようこそ(笑)
とにかく、普通の日本人には想像できない数です。
「よく皆であの数をこなせたなぁ」と今でも思います。
普通の人でも3日もちませんから。
そして、
「一応、前のお店のシェフに書いてもらった紹介状を持ってるんだけど・・・」
と彼は続け、俺がその手紙を受け取りジョアンに渡します。
するとジョアンは、興味深くその紹介状を読んでいました。
ルックラの二番シェフのジョージは英語が話せるので、彼と英語で何やら会話をしています。
しばらくするとシェフが、「いいよ、ここで働いてもらおうよ」と、快く言ってくれました。
「良かったね!働いてもいいってさ。とりあえず、いつから来る?」
だけど、彼は一度日本に帰らなければいけなかったのです。
当然ですが、ビザを持っていなかったので、俺がビザ取得のための段取りで今までやってきたことを話すと、
「一度日本に帰って学生ビザを取って戻ってくるよ」と彼は決め、とりあえず一度帰国することになりました。
そんな中、
店の忙しさだけは相変わらずで
というよりかますます忙しくなっていました。
一度、
「ディナータイムの最高人数、239名」という記録が出た日がありましたが、
さすがにこの日は皆、廃人になっていました。
厨房内で誰も会話すら交わしません(笑)
ですが、この日の最高人数が239名なだけで、
普段から200名とか220名とか毎日ザラでしたけど。
それでも、最初からいるメンバーは誰一人として辞めませんでした。
ここまで来るともう「意地」ですかね?
とにかくめちゃくちゃ忙しかったけど、仕事は楽しいしすごく充実していました。
だけど、スペインに来てからずっとコール場でしか働いてないのが俺の中で引っかかっていて、さすがにそろそろ違うセクションに移りたかったんです。
もちろん最初はなかなかOKをもらえませんでした。
なぜかといえば、「SUSHI」が出せなくなってしまうからです。
俺が作るのは恥ずかしかったけど、
スペイン人が見様見真似で作るものに比べれば、俺の「それ」はまだマシでした。
ご飯だって水の分量もきちんと教えていたし、酢飯の割合もちゃんとタイミングから混ぜ方まで。
でも、やはり実際に何度も何度も食べてみないと分からない「何か」があるのでしょうね?
逆に考えると、
「日本にあるスペイン料理のお店のコックさんで、実際にスペインで本場の料理を口にしたことがある人とない人の差」でしょうか。
どんなに見様見真似でやってみても、その「差」は見えないところで開いてくるんじゃないのかなと思います。
ひとつ思い出しました。
「いつか必ずスペインに行って、向こうの水を飲んで、向こうの太陽に照らされて、向こうの雨に打たれて来いよ! 一度行くだけでも全然違うんだからな!!」
俺がまだ広島に居たときに、ジャンボさんに何度も言われていた言葉です。
「本場のものをしっかりと学んで来いよ!」ということですよね。
俺の後輩にも同じ話をします。
「絶対に一度でもいいから、旅行でもいいからスペインに行ってきたら?」と。
これはスペイン料理に限らず、他のジャンルでも同じことが言えると思います。
その土地にどっぷりと浸かって、その国の文化、習慣、国民性など自分の五感を持って吸収してこそ、それに近づけることができるのかなと思います。
それに、若ければ若いほどいろんなことを吸収しやすいと思います。
料理はもちろん、言葉もそうです。
っていうか、
このまま脱線すると話がもっと長くなってしまいそうなので話を戻します。
結局のところ、何が言いたかったのかというと、
「だから俺は違うセクションに移動できない」ということです(笑)
そんな中、ある日ケイゴさんから久々に電話が入りました。
「どうも、久しぶりです!どうしたんですか?」
「この前うちの店の留守電に、アルサークからメッセージが入ってたぞ?」
――やっべ、すっかり忘れてた!――
★★★つづく★★★
――とにかく、シェフが言ったオーダーの料理を順番に終わらせていく――
気が付けば皆、一つのミスもなく全部頭に各自のオーダーが入っていたから大したものだったけど、体力的には相当やられていましたね。
営業時間中はとてつもない数のお客さんをこなし、そのために睡眠時間まで削ってみんな必死になって仕込んでましたから。
しかし、何度も何度も言いますが、このお客さんの量は半端じゃありません。
ホントに仕込みが全然間に合わないんですよ。
朝に作った「2~3日は足りるであろう仕込み」をしても、
「あれ?」という感じで全てをその日のうちに全部使い切ってしまい、すぐに翌日また同じものを仕込まないといけない状況です。
中には、営業途中で仕込まないと間に合わないようなものもあったり。
こんなの初めて(笑)
そのうち、通常なら毎朝10時に出勤するはずが、
気が付けばみんな朝8時くらいから入って仕込みを始め、
13時からランチ営業が始まります。
言うまでもなく、ランチ営業で一度調理場はぐちゃぐちゃになり、
16時から20時まで抜けるはずの中抜けもできずそのまま仕込み続け夜の営業に入り、
もう一度調理場はぐちゃぐちゃ(笑)
そしてラストオーダーが0時で、その後片付けが終わって帰れるのは夜中の1時。
その時間で帰れればまだ良い方で、夜中の3時まで残る日もありましたよ。
一日の労働時間は、
「8時間ってなに?」って感じで、毎日「17~18時間」。
その間、ほぼノンストップですよ!?
タバコだけが唯一の俺の「癒しグッズ」でしたね(笑)
「スペインの昼寝の習慣はどこへやら?」
そんなもの、ここには存在しません。
おまけに、皆の休みだって、まとめて一度に全員が休めるわけが無いので、
ルックラがオープンして何日か経ってから順番に休みを取り始めたのですが、
エクトールと俺は他の皆が休んだ後、つまり最後まで休みをもらえないんです。
これも、「うちらはシェフと一番長く居るから」でしょうね。
ざっと三週間近くそんな生活が続き、ちょっと手が空いた時にタバコを吸っていると、俺は吸ったまま眠ってしまうし、エクトールは吸ったままいびきをかく。
そんな日が続きました。
しつこいようですが、ホントに忙しかったんですって。
「忙しい」という枠を通り越し、「ワケがわからない」状態です。
そして、そんなハードな日々が一ヶ月くらい続いたある日のこと。
とうとう我慢できなくなって俺がキレちゃいました(笑)
「皆と同じ時間働いて、なんで俺だけ給料が50000ペセタも違うんだよ!! こんな店、もう辞めるよ!」
初日で辞めちゃったカロリーナとフランセスクの気持ちが、今になってやっと100%解った気がしました(笑)
みんなの前で思い切り大声出してキレちゃったので、調理場が一瞬静まり返りました。
「ちょっと待てよ!落ち着けよ!テツ。俺がシェフに話すから!」
と、エドゥが俺に近寄ります。
「そんなこと無理だろ? いいよ!もうココを辞めて他の店探すから!!」
こんなの、「料理修行」どころの話ではありません。
「戦場」をはるかに通り越し、「未知の世界」へ突入していましたから。
今のところ、あそこまで忙しいお店には日本でも出会っていません。
いや、
出会わないほうが身のためです(笑)
するとなんと次の日、
俺の給料が「他のコックと同じ額をもらえるようになるから」とエドゥに言われました。
シェフを通してオーナーに話をしてもらえたらしいのです。
もちろん、給料が上がって当たり前です。
だって、皆と同じ量の仕事を、皆と同じように手際良くやってるんですよ?
仮に俺が「全く仕事ができない使えないコックさん」だったら、そんな事は口が曲がっても絶対に言えませんが、自慢じゃありませんが毎日怒られもせずに黙々と自分の仕事はきっちりとやっていましたからね。
もちろん「SUSHI」だってきっちりとやっていましたよ、俺なりに(笑)
「たとえ給料が安くても、もっと落ち着いて勉強できるところがあるはずだよ」
とさえ思っていましたから、ホントにこの店を辞めてやろうと思ってました。
ですが事態は、「TETSU、賃金50000ペセタUP」で終止符。
俺の気分も少しは晴れましたね。
単純ですから(笑)
とにかく、
「この店での思い出は?」と聞かれても、すぐに出てくる答えは、
「今までに経験したことがないくらい忙しかった」に尽きます。
ストレスのせいか、両脛に蕁麻疹も出ました。
それがまた痒くて、辛くて。
実は、日本を出発してからこの時期くらいまで、ほぼ毎日地道にメモ帳に日記をつけていたんですよ。
「どこに行った」とか、「誰と知り合った」とか、「何を食べた」とか、他愛ない毎日の軽いことをいつも書いていたのですが、この時期になってあまりの忙しさに全く日記が書けなくなってしまったのです。
続きの日記が書けなくなってしまったのは少し残念ですが、
記憶だけはしっかりと焼きついてますね。
だけど実は結構良い思い出だったりするんです(笑)
さて。
「思い出」はまだまだ続きます。
次第に皆が仕事に慣れてくると、シェフは「新メニューをやろう!」と突然言い出し、勝手に試作を始めて、
「はい、テツ。これね、明日から」
「は?」
新メニューに目をやる暇なんてどこにもありませんが、シェフの命令です。
「Vale(OK)」と答えるしかありません。
もちろん俺だけにではなく、他のセクションの皆にも同じように次々に新メニューを教えていました。
それでさらにぐちゃぐちゃです(笑)
とにかく時間も過ぎるのも忘れるくらいの忙しさで、やっと店の上層部にも分かってきたのか、自然とコックを何人か採用するようになったのですが、
やはりこの忙しさ、尋常ではなかったんでしょうね。
ほとんどのコックが三日も持たずに、バックレます。
「あれ? 昨日の奴は!? 来てないよな。またバックレかよ!?」
「この店、もう何人くらい人が出入りしたんだろうなぁ」
新入りの名前も顔もろくに覚えられません。
すでに「二十数人?」というくらいの人が、一年の間に入っては「すぐに」辞めていきました。
そのうち皆、そんな状況に慣れてくると、
「たぶん昨日の奴はもう来ないから、お前がこっちのセクションに入っといて」
というエドゥからの会話が「朝の挨拶」みたいになってました(笑)
とにかく、皆であきれた顔をしながら毎日笑うしかなかったんです。
そんな時期、以前お話した「フォルケー」というレストランでエクトールと一緒に働いていたジョルディも、エクトールのススメでルックラへ働きに来ました。
彼は辞めずにそのままこの店に残りました。
だけど彼は
「なんだこの店?」と毎日のように言ってましたし、
エクトールに向かって
「エクトール!お前は俺を騙した!!」とまで言ってました。
一体エクトールはジョルディに何と言って誘ったんでしょうね?
ハハハ。
このお店に働きに来たら最後です。
「アリ地獄」へようこそ(笑)
★★★つづく★★★
さて。
俺には助手なんて付かず、皆で黙々と二日間ほど仕込みます。
そして、「ルックラ」のオープン初日。
この店の出資者約三十名を集めてのプレオープンパーティーがありました。
なんとその同じ日に、バルセロナ近郊の料理学校から研修生が三名やってきたのです。
そのうちの一人のベネズエラ出身の女の子、タティアナが助手として付いてくれて、俺は彼女と一緒に仕事をすることになりました。
「助かった!とりあえずは一人じゃないよ!!」
そんな話は全く聞いていなかったので、聞いた瞬間飛び上がりそうなくらい喜びました(笑)
でも、やっぱり研修生です。
実践は今までに一度もしたことのないような人と仕事をするのは、俺にとって相当堪えます。
ゆっくり教えている時間なんて全然ないんですから。
しかも、各セクションで担当するアラカルト料理の数は大体八品ずつくらいなのですが、
その「八品」を仕込むと、お店は250名も入るようなレストランですから、その仕込みは自然と膨大な量に膨れ上がります。
しかも、
去年ジョアンに言われていた「日本料理」とは、一品だけでしたが「寿司」をやることになったんです。
だから俺は「コール場」を任されたってワケです。
「だから、寿司は俺の分野じゃないのに~・・・」
でも、言われた以上やるしかありません。
とりあえず、日本のホテル時代の上司に頼んで送ってもらった日本料理の本を頼りに、バルセロナにある日本食料品店に売っているものをかき集めて、「巻き寿司、手毬寿司、押し寿司」の三種類を作ることに。
握りなんてやったことも無い俺が、恥ずかしくて握ることなんてできませんから。
っていうか、
「この三種類を作ってました」と、このブログで書くだけでも相当恥ずかしいのに(笑)
とにかく、仕込みが全く追いつかないので、俺が作る「SUSHI」は、十五人前まで出して売り切れです。
あ、
俺が作るものは「寿司」ではなく「SUSHI」です。
皆さん、何故かお分かりですよね(笑)
話は戻って、十五人前までです。
「SUSHI」の他に七品も全部一人で仕込むのに、十五人前以上仕込める余裕なんてありません。
しかも昼には、そのビルのオフィスで働いている人たちがランチを食べに来ます。
そうです。
アラカルト八品と別に、ランチメニューです。
ランチメニューは「前菜」「メイン」「デザート」が三品ずつあり、そこから一品ずつチョイスしてもらうという感じです。
その「前菜三品」のうち、温製前菜は一品だけ。
はい。
なんと俺は二品も冷製前菜を仕込まなければいけなかったのです。
寺門、計十品仕込みます。
お店は250席あります。
全員が冷製前菜を頼むとは限りませんが、
少なくても100人分は出ますかね?
ランチの時間帯に、アラカルト料理の注文も入ります。
これを一人でさばくには、どれくらい仕込んで良いのかまったく見当がつきません。
研修生はあくまで研修生。
何にも任せられません。
さて、どうしましょ(笑)
開店初日のお客さんの入りは「ぼちぼち」という感じでスタートし、
三日目くらいから次第にお客さんは押し寄せるように入り出して、毎日コンスタントに昼200名、夜220名の日々が続きます。
「オープン景気」というやつです。
お客さんたちは最初に前菜を頼んで、その後にメイン、そしてデザート。
同業者の人ならば、これを読んでいて「おおまかな仕込み」と「お客さん」の数を想像していただけるでしょう。
しかも、既製品を一切使わずにこの仕込みですよ。
頭の中の考え方を根本から変えていかないと、この仕込みと向き合うことは到底できません(笑)
前にも話しましたが、スペインの夕食は遅い時間に食べます。
20時半から夜営業は始まりますが、大抵21時45分くらいまでは五組も入らず、全てのお客さんは22時から23時までの一時間に、200名くらい一気に集中して入ってくるんです。
これも、同業者の方ならご想像いただけるはずです。
無理でしょこんなの!!(笑)
そして、オーダーを読むのはシェフ。
これがまた相当早口で、そのオーダーを伝票を見て確認なんてしている時間はありません。
俺だけならともかく、他のコックにも聞こえづらかったらしいからどれだけ早口だったんだか。
「Oído Cocina, marcha vale...、Oído?(オーダー入ります、……、聞こえたか?)」
「¡ ¡Oído Chef!!(ハイ、シェフ!!)」
フランス語では「ウィ シェフ」ですかね。
こんな声と同時に各セクションでは、調理場では鍋やフライパンや皿、いろんなものがぶつかる音だけが鳴り響きます。
俺はまず、オーダーを忘れないように、オーダーが入ったと同時にその料理に使うお皿を作業台の上に乗せます。
そこからダッシュで料理を盛り始めるワケです。
あっという間に「60cm×3m」の作業台はお皿で埋め尽くされます。
全部違う種類のお皿で良かった(笑)
もちろん、誰も喋ってる余裕なんてありません。
ひたすら料理を作り続けます。
次第に皆の「Oído!!」という声のタイミングも揃い始めてきます。
「7人の声が一度に揃う」。
実はこれ、結構カッコいいんです。
あの声が揃う感覚は、今思い出しても結構感動します。
というか、知らない間に皆で「タイミングを皆と合わせよう」と思わないと、ああもピッタリと声が揃うわけありません。
みんな日本人みたい(笑)
しかしさすが皆、プロでやっているだけあって仕事の手際が良いです。
だけどとにかくこの量は半端じゃないです。
「今までこんな店で働いたこと無い」と、ほとんどのコックが口にしていました。
もちろん俺だって無いよ(笑)
★★★つづく★★★
「まったく、今日も店の掃除かよ!!」
2000年6月、バルセロナ。
ジョアン・ピケがプロデュースする新しいレストラン「Ruccula」での俺の仕事初日。
「Ruccula(ルックラ)」
「ルッコラ」のスペイン語読みです。
調理場の皆は雑巾を持って、黙って調理場の中の掃除を始めていました。
「でも、まだ外でガンガン工事してたら、明日来たらまたここ汚くなってるでしょ?」
俺より1週間ほど先にここに働きに来たコック達は、この一週間の間ずっと調理場で掃除だけしかしていなかったらしいのです。
そうです。
まだ内装工事が終わってなくて、俺が見た厨房の初印象は
それはとても「仕込みどころではない」ような埃まみれの調理場でした。
しかしこの「掃除」というのが結構無駄な掃除で、客席はまだ工事中なので、どんなに調理場を掃除しても次の日になればまた客席部分の砂埃が調理場のテーブル一面に敷き詰められます。
まさに『イタチゴッコ』(笑)
そんな中、2~3日してからやっと客席の工事も仕上げに入り、
「明日になったら食材や調理器具が届くから、仕込みを始めるからな!」
そう言ったのはここの厨房を仕切るチーフ、エドゥアルドです。
厨房のスタッフは彼をはじめ2番にフランス黒人のジョージ、
その下にうちらコックが七人と、パティシエにはフランス人のアルベルトの計十人と、
洗い物全般と軽い仕込みを手伝うフィリピン人達の三人の、計十三人でした。
「この人数で、大丈夫なのかよ~!!」
はい。たぶん無理です(笑)
250席を、たったの十人のコックでどうしろと!?
だって、毎日十人いるわけではありませんよ。
ローテーションで休み入れたら、毎日六、七人くらいしか調理場にいませんから(笑)
正直、これからどうなっちゃうのか全く分かりませんでした。
だって、調理場がとてつもなく広い上、仕込みの調理場が地下に別に設けられています。
収納スペースは全く問題なさそうでしたが、「これだけの広いスペースをこの人数だけでやるの?」という感じです。
「きっとどうせ明日すぐに汚くなるんだから」と掃除も適当に済ませ、皆で帰りにお茶を飲みに行って、これからのことを話しながら帰りました。
翌日。
朝10時に出勤です。
いろいろな調理器具が厨房に運び込まれたのと同時に八百屋が納品に来ましたが、
「あれ?」
どこをどう見ても玉ネギしか見えません。
「今日はソフリット用の玉ネギのみじん切り!」
と、いつも笑顔なエドゥ。
記念すべき仕込み第一号は、
煮込みや米料理には欠かせない、ベースとなる「ソフリット」の玉ネギのみじん切りから始まりました。
が、とにかく量が多い。
「一袋二十五キロ」の皮付きの玉ネギが、ざっと十袋以上、目の前にドドーンと「これでもか」と言わんばかりに積まれています。
「こんなの機械でやればすぐなのに、なんで手で切らなきゃなんないの?」
そう漏らすコックもいましたが、まだ完全に器具が揃っていないので三日間くらいはずっと朝から晩までこの「玉ネギ切り」。
一度にこんなに大量の玉ネギを切るなんて、生まれて初めてです。
「きっとこの先こんな経験はできないだろうな!」と皆で話しながら、涙を流しながら切りました。
もちろん包丁だけを使ってですよ(涙)
こうして丸2日、延々とうちらはこのタマネギカットに精を出しました。
おかげでタマネギを包丁で切らせたら、うちらはたぶん世界一です(笑)
そして玉ネギ切りの最終日、各自のセクション分けが言い渡されました。
この店のセクション分けはこんな感じです。
・ Cuarto frío(クアルト フリオ‐冷製前菜)
・ Entremetier(エントレメティエール‐温製前菜)
・ Arroces(アロッセス‐米料理)
・ Pescados(ぺスカードス‐魚料理)
・ Carnes(カルネス‐肉料理)
・ Postres(ポストレス‐デザート)
・ Pase(パセ‐料理を通すデシャップ)
・ Preparación(プレパラシオン‐地下の仕込みの厨房)
・ Corre Turno(コレ トゥルノ‐休みの人のセクションの穴埋め、いわばジョーカー)
ジョアンが皆の名前と、セクションを順番に言い渡していきます。
「えっと、テツはコール場で、エクトールは下の仕込みの調理場で…」
「は?」
エクトールと俺は二人で目を合わせて、耳を疑いました。
だって、てっきりうちらはそこそこのセクションを任されるであろうと思っていましたからね。
「うちらが一番ジョアンと長いのに、なんだよ?この仕打ち」
「なんだかやる気失くすよなぁ…」
だって、エクトールと俺の二人は、
前の店からずっとジョアンと居たワケですよ?
なのに、なんで他のメインのセクションをやらせてもらえないの!?
誰だって頭にきますよ。
しばらくすると、ジョアンがうちらに寄って、声をかけてきた。
「お前達が一番長く俺と一緒にいるからさ。少しの間だけ辛抱してくれよ」
実際、今までの店で彼と働いていたスタッフのうちこの店に来たのは、キッチンからはエクトールと俺のみで、サービスのスタッフは「カルロス」で一緒に働いていたソニアという女の子だけでした。それ以外のスタッフはジローナの店に残らなければいけなかったからです。
もちろん、ソニアもマネージャーになんてなっていたワケでもなく、普通のウェイトレスです。
「確かに、うちらが一番長く一緒にいるからねぇ。だけどそれで納得するか?」
そして俺と別にもう一人、コール場に入るコックが一人いました。
名前はフランセスク。彼女のカロリーナもコックとして一緒に同じ店に仕事に来ていて、彼女は米料理のセクションに入りました。
彼ら二人も、そのセクション分けに不服だった。
だけどうちらと同じような不満ではなく、実はコックに「雇用枠」があったらしく、
「七人のうちの四人だけコック扱いで、残りの三人、つまり彼らと俺の三人は『調理アシスタント』の枠でしか雇えない」と言われ、しかも月の給料が50000ペセタ(当時日本円で約4万円弱位)も違うのです。
俺は外国人だからまだしも、彼らが不満そうにするのは分からなくもありませんでした。
そして、なんと彼らはその日のうちにお店を辞めてしまったのです。
「こんなの、あり得ないでしょ?」
と言っていた彼らの言い分ももちろん分からなくもないけど、そこで辞めてしまうのはどうかと思いますよね。
エクトールと俺は、うちらがジョアンに言われたことはあまり気にせずに、
「とりあえず辛抱しようか?まだ始まったばかりだしな!」と意外と前向きだったのですが、フランセスクとカロリーナが初日から辞めてしまったので、エクトールが仕込みの厨房と米料理を一人で、そして俺は、「二人いても回らない」コール場を一人で任せられる羽目になったのです。
先ほどのセクション表は、こうなりました。
・ Cuarto frío(クアルト フリオ‐冷製前菜)→俺
・ Entremetier(エントレメティエール‐温製前菜)→セカンドシェフのジョージ。
・ Arroces(アロッセス‐米料理)→エクトール
・ Pescados(ぺスカードス‐魚料理)→ジョルディ(エルブジにいたことがあるツワモノ)
・ Carnes(カルネス‐肉料理)→マルク(バルセロナの数々の有名店で働いていた「出来る男」)
・ Postres(ポストレス‐デザート)→アルベルト(ポールボキューズをはじめ、色んなフランスの有名な店に居たらしいフランス人パティシェ)
・ Pase(パセ‐料理を通すデシャップ)→チーフのエドゥアルド(ここに来る前は料理学校の先生だったとか)
・ Preparación(プレパラシオン‐地下の仕込みの厨房)→またエクトール(笑)
・ Corre Turno(コレ トゥルノ‐休みの人のセクションの穴埋め、いわばジョーカー)→ヴィクトール(レオン出身の彼はまたツワモノで、バルセロナの有名店を渡り歩いてたまたまこの店のオープンにたどり着いた)
と、こんな感じです。
「なんか、ますます大変なことになってきたな?」とエクトール。
「大丈夫だよ。それに俺には、ジョアンが前に言ってた『助手』がつくんだろ?」
が、
全くその気配はありませんでした。
そんなの、
ビビってるみたいで恥ずかしくてシェフに聞くに聞けないって(笑)
★★★つづく★★★