「ぼくのおみせ」ができるまで 忍者ブログ
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エル ニョスキ店主の スペイン バルセロナでの料理修行体験記。 といっても、 料理のお話だけではありません! 時間があるときに少しずつアップさせてもらいます♪ ※当ブログの無断転載はしないでくださいね!! でもまぁ転載するほどの大作でもありませんけど(笑)
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2008/11/19 (Wed)
 
 
一九九七年、十一月。
 
長いことお世話になったホテルを後にしてスペインへ行く前に、横浜の実家へ顔を出しました。
 
 
「俺、今年の秋からスペインに仕事しに行くよ!」

「お前、外国なんて行って、保険とか給料のこととかはどうなってるんだ? 向こうで怪我したりもしものことがあったら、お前どうするんだ?」
 
親父にこんなことを言われ反対され始めたのは、スペイン旅行から帰ってきた七月。
広島から、横浜にいる親父に電話をかけたある日のことです。
 
それでも俺は、とにかく親父を説得するしかありません。
 
「どうしてもこの仕事をしていたら、いつかは海外へ行ってみたい!」、

「本場のものが見てみたい!」など

他にもたくさん、あの手この手を尽くして親父を説得です。
 
保険とか給料とか、そんなものは二の次でした
 
 
 
というよりか相変わらず何にも考えていませんでした(笑)
 

もしも、向こうで怪我をしたり万が一のことがあったとしたら、それはきっと自分にとっての運命であって、例えば同じ時期にどんなところにいても、「それはいつか訪れる事」と俺は思っています。
 
 
「開き直り」が、稀に「ものすごいチカラ」を発揮することがあります。
 
 
―スペインに行っても行かなくても、自分の人生の長さは変わらない―
 
 
 
 
それならもちろん、
「スペインへ行く」という方に、俺の人生の全てを賭けます。
 
先の事は、先になってから考えます。
 
 
ホント、楽天家です(笑)
 
 

そして、必殺の一撃。
 

「そこまで反対するなら、成田からじゃなくて関空から行くわ。横浜寄らずに」
 

「いや、ちょっと待て」

正直、あまりこれは言いたくありませんでした。 
 
きっと、親に対してはかなり寂しい言葉でしょうが、
それでも俺は、どうしてもスペインに行きたかったんです。

―こんなチャンスを逃したら、もう二度と巡ってこない―
 
さすがに、親父も俺のこの一言が利いたみたいで、
渋々、俺のスペイン行きを認めてくれました。
 

ホント、なんも考えてない親不孝者です。
 
 
 
 



横浜へ戻ると、
康一をはじめ、友人や横浜のホテル時代の同僚達が、
俺のために「送別会」を開いてくれました。

「送別会」というより「飲み会」ですが(笑)

飲みに行っては、皆との昔話に花を咲かせ。

「昔話」というほど遠い昔の話ではありませんが、かなり前の話のように感じます。

友達っていいもんです。

11月15日にホテルを退職して、翌日に横浜へ。
んで、成田を出発するのが11月28日。
 
横浜に戻ってから毎日のように友達と飲みに行ってたら、ろくに出発準備もできません。
 
「全部片付けるのは無理!」と、
引越しの荷物を片付けるのはスペインから戻ってからにしようと決めました。

いつ戻るか分かりませんでしたが(笑)

ということは、
実家の片隅に引越しの段ボール箱が山積みの状態のまま放置されることとなり、
その横で俺はスーツケースに荷物を詰めたり、
しばらく使わないであろう物を箱に詰めて押入れにしまったり、
 
要は、部屋中箱だらけ(笑)
 
 
 
ですが。
睡眠時間3時間くらいで荷造りすること約2日。
とりあえず、スペインへ行く準備は整いました
 
いや、無理矢理間に合わせました。
 
気が付けば、
「そんなに要らないでしょ?」というくらいのすさまじい量に。
ある程度の荷物は前もって航空便で送っていましたが、それでもスーツケースははち切れんばかり。
ギューギューに押してからスーツケースを閉じてロックをかけると、
もうロックを外せないくらいにパンパンです。
 
他の荷物は、「SAL」という安くてそこそこの日数で届く航空便で事前に送ることができたので、金銭的に助かりました。荷物ごときに大金は使えません。
 
だからスーツケースがパンパンなんです

いや、
余計な物のほうが明らかに多かったのかも(笑)
 
 
 
さて。
スペインへ出発する日になりました。
 
出発の朝、俺の幼馴染二人がわざわざ彼らの仕事を休んでまで、
横浜から成田空港まで車で送ってくれる事になりました。
彼らとは、幼稚園の頃からの幼馴染です。
 
 
「鉄也をよろしくね」
 
と、出掛けに親父が二人に声をかけていました。
 

 「まぁ、向こうに着いたら連絡するよ」

 「おぅ。それじゃ頑張って行って来いよ」
 

俺と親父の会話は、それほど長くありませんでした。
 
別に、「これでもう一生会えなくなる」わけではありません。
 
こういうところで「親子」というのは、
お互いに恥ずかしがるものなのでしょうか?
照れくさく感じるのでしょうか?
 
うちらには、
特別な、別れを惜しむような言葉とかは特に必要ありませんでした。
 

「いってきまーす」

「いってらっしゃーい」


俺は、それくらいの気分でした。

だけど、やっぱり照れくさかったかな。

それまでに、親父とそんな別れをしたことがありませんでしたから。



親父はその時、何を考えてたんでしょうね。


俺と同じかな。

 
 
 
 
 

 
一九九七年 十一月二十八日。
 
いつのまにか肌寒くなっていた気温の中。
その日、気持ち良く晴れた朝陽は、
荷造りで睡眠不足の目にはかなり眩しかったのを覚えています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「太陽も俺を祝福してくれた/見送ってくれた」とか言いませんから(笑)
 
 
 
「ホントに俺、これからスペインに行っちゃうの!?」
 

ここまで来て、まだ実感が湧いていなかったこと、
今でも覚えてます。
 
 
だけど、
ここまで来たらもう後には引けません。

前に進むだけです。 
 
 
 
 
スペインでたくさん料理の勉強をして
 
いつか日本に帰ってきた時
 
小さい頃からの夢だった
 
「ぼくのおみせ」を実現させるために
 
 
 
今、新しい第一歩を踏み出しました。
 

★★★つづく★★★
 
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この背水の陣の、どうにも逃れられない環境が良いんですね。
また、息子をスペインに送り出すお父さんがどんな気持ちでいたか。
あなたが子供の親になれば痛いほど判りますよ。
どうも還暦を過ぎると涙もろくなってこまります。

青空太郎 2008/11/20(Thu)14:42:58 編集

そうなんです。
僕は、自分を追い詰めるのが大好きなんですよ(笑)

それと、
きっとこの先
僕が家族を持った時に
初めて親父と同じ気持ちになるのでしょうね。

その時僕は、何を思うのでしょう。
ニョスキ店主 2008/11/27(Thu)03:37:40 編集

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